(2)グラディクトの悪あがき
国王夫妻が退出し、興奮状態の生徒達も教授達に促されて講堂を出て、その付近が静まり返ってから更に時間が経過した時。そこから程近い備品保管室の前で立哨任務に就いていた近衛騎士達は、彼らの直属の上司である分隊長がやって来た為、無言で頭を下げた。それに自らも頷きで返してから、彼は紐で取っ手を縛り、中から開かないようにした扉を眺めながら、部下に囁いた。
「ここに放り込んだ時と比べて、随分静かになったな」
「少し前までは、酷いものでしたよ」
「さすがに諦めたのでは無いですか?」
「扉を叩くわ喚くわで、見苦しい事この上ありませんでした」
「ところで、分隊長がいらしたという事は、そろそろこの場を離れても宜しいのでしょうか?」
口々に報告してきた部下達に、彼は疲れた表情で告げた。
「ああ。両陛下は既に王宮にお戻りになったし、エセリア様や他のご覧になっていた方々の馬車も全て、学園敷地内から出た事を確認した。中の御仁を解放して構わない」
「それでは我々も、さっさと王宮に戻りますか」
「ああ、行くぞ」
そして一人が固定している紐を外しにかかると、廊下での話し声が室内に聞こえたのか、グラディクトが中から盛大に扉を叩きながら、再び大声で訴え始めた。
「おい、誰か来ているのか!? さっさとここを開けろ!」
それを聞いた分隊長が、うんざりとした表情で溜め息を吐く。
「残念な事に、全く懲りていないようだな」
「もう開いていますよ。出たいなら勝手にどうぞ」
紐をほどき終えた騎士が、そう呼びかけながら扉を引き開けると、中から飛び出してきたグラディクトが、そこに集まっていた騎士達に向かって非難の声を上げた。
「貴様ら! 私を監禁などして良いと思っているのか!?」
「副団長の指示に従ったまでです」
「ふざけるな! 父上はどこだ!?」
「両陛下は既に、王宮にお戻りになりました」
「何だと!? 邪魔だ! そこをどけ!」
淡々と答えた分隊長の台詞を聞いて、グラディクトは血相を変えて騎士達を押しのけて玄関へと向かった。それを見送った面々は、これ以上係わり合いになりたく無いとばかりに、冷静に動き出す。
「それでは我々も、王宮に戻るか」
「あの方の目に付かないように、さっさと戻った方が良さそうですね」
「同感だ。纏わりつかれたら面倒だしな」
そんな事を言い合いながら、彼らはグラディクトが駆け出して行った方向とは反対方向に足を進めた。
(王太子位剥奪に臣籍降下だと!? 私はアーロンに騙されただけだ! どうしてそんな厳しい処罰を受けなければならないんだ、冗談じゃない! 一刻も早く父上にお会いして、処分を撤回していただかないと!!)
焦燥に駆られながらグラディクトは人気の無い廊下を駆け抜け、正面玄関へと到達したが、当然そこには馬車の一台、馬の一頭すら引き出されておらず、立ち往生する羽目になった。
「おい! 馬車はどうした! 早くここに回せ!」
偶々その付近を通りかかった事務係官がグラディクトに捕まって問い質されたが、相手は怪訝な顔で言い返した。
「はぁ? 馬車? 皆さんが乗って来られた馬車は、全部お帰りになられましたが?」
「私が乗って来た、王家の馬車があるだろうが!?」
「知りませんよ。近衛騎士団の方が、乗って行かれたのでは無いですか?」
「何だと! ……あ、お前達! 私の馬車はどこだ! さっさと手配しろ! 待て! どこに行く気だ!?」
そんな押し問答をしている間に、玄関の前をグラディクトを監禁しておく為に最後まで学園に残っていた近衛騎士団の面々が、騎馬で駆け抜けて行った。それを認めたグラディクトが、玄関から飛び出して彼の背中に大声で呼びかけたが、彼らは完全に無視して遠ざかって行く。
「……っ、どこまで私を蔑ろにするつもりだ! おい! 学園の馬車があるだろう! さっさとそれを出せ!」
走っている馬を追いかけるような無駄な真似はせず、グラディクトは事務係官の所に戻って喚き散らしたが、相手は困惑しながら言い返した。
「それは学園長の許可が必要です。私共には、動かす権限がありません」
「それなら学園長はどこだ! 学園長室か!?」
「さあ……。先程から、何やら会議中だと伺いましたが」
「おい、そこで何を騒いでんだ?」
「あ、ドルツさん」
押し問答を近くの部屋で聞きつけたらしいドルツが顔を見せると、若手の係官は救われた表情になったが、グラディクトは苛立たしげに彼を怒鳴りつけた。
「五月蝿い! 貴様には関係無い! 良いからさっさと馬車を出せ!」
「ですから学園長の許可無しには、出せません!」
「私を誰だと思っている!?」
そこですかさずドルツから、からかうような声がかけられる。
「そりゃあ、間抜けな元王太子殿下だろう?」
「何だと!? 貴様!」
憤怒の形相になったグラディクトだったが、ここでドルツは事務係官を引き寄せ、肩を抱くようにして彼の耳元で囁いた。
「おい、五月蝿くて仕事にならんから、学園の馬車で王宮まで送ってけ」
「ですが、ドルツさん」
「貴族の馬車と違って、平民の馬車はきちんとした許可証が無いと、王宮の正門で止められる筈だ。そこまで乗せて行って、降ろしてくれば良い。後はお偉いさんに任せとけ。お前が学園に戻る前までに、学園長には俺から事情を説明して、事後承諾して貰う」
「……分かりました。お願いします」
事務係官では最年長であり、取り纏め役であるドルツにそう言い聞かされて、彼は素直に頷いた。それを見たドルツが、グラディクトに向き直って伝える。
「おい、あんた。馬車をこっちに回すから、ちょっとそこでおとなしく待ってろ」
「さっさと準備しろ!」
「へいへい。……じゃあちょっと走らせて、王宮の正門前で放り出してこい」
「そうします」
再び若手に囁いて、馬車を出しに行かせたドルツは、これ以上騒ぎを起こさないようにグラディクトが馬車に乗り込むまで見届けてから、リーマンを探すべく忌々しい表情で廊下を歩き出した。
その馬車は当初問題無く走り出したが、ドルツの言った通り王宮の一番外側にある正門の所で、警備担当の近衛騎士達に止められる事となった。
「おい、止まれ! これは何も紋章が無いが、どこの馬車だ!」
その誰何に、御者台に座っていた係官が、飄々と答える。
「クレランス学園の馬車です。乗せている方が、王宮まで馬車を出せと五月蠅いもので。もう本当に迷惑なんで、そちらで引き取って貰えませんかね?
「はぁ? 誰が乗っているんだ?」
騎士達が怪訝な顔を見合わせる中、止まったままの馬車に苛ついたグラディクトが、馬車の中から叱りつけた。
「おい! さっきから何を停まっている! さっさと先へ進め! 私は急いでいるんだ!」
「生憎と許可証が無いと、平民の馬車は王宮内には進めませんので。近衛騎士の方々と直接交渉してください」
しかし冷静に言い返されたグラディクトは、憤然としながら馬車の扉を開けて地面に降り立った。
「何だと? 私が乗っている馬車だぞ! 奥まで通すのは当然だろうが! ここの責任者は誰だ! 怠慢にも程がある! 即刻名乗り出ろ!」
彼がそう叱責しながら詰め寄ると、騎士達は揃って困惑した表情になった。
「え? グラディクト殿下?」
「どうして普通の馬車に乗ってるんだ?」
「それより、分隊長はどこだ? 誰か呼んで来いよ」
彼らにしてみれば、まだ審議の内容が上から伝えられてはおらず、グラディクトが王太子位剥奪の上、王族ですら無くなった事など知る由も無かった為に混乱したが、その隙を突いて事務係官がさっさと馬車を反転させた。
「お前達、さっさと……。あ、おい、ちょっと待て! どこに行く気だ!?」
慌ててグラディクトが呼びかけたが、馬車は軽快に学園に向かって走り去り、それを見た騎士達は何となくグラディクトの現状を察して、皮肉げな視線を向けた。
「……行ってしまいましたね」
「まあ……、馬車で通らない分には、中に入っていただいて構わないよな?」
「ああ。平民達は普通に歩いて中に入っているし」
「どうぞ、歩いて行ってください」
それを聞いたグラディクトは、忽ちいきり立った。
「ふざけるな! 私に奥まで歩いて行けと言うのか!?」
「はい。ここに馬車などはありませんから」
「我々は騎士団の詰め所まで、歩いて移動しておりますし」
「それともどなたか乗せてくれる貴族の馬車が通るまで、ここでお待ちになりますか?」
「……っ! 覚えていろ!!」
自分を敬う態度など微塵も見せず、冷静に言葉を返した面々に悪態を吐いてから、グラディクトは足早に奥に見える建物に向かって進んだ。
(全くどいつもこいつも! 近衛騎士のくせに、全然なっていないぞ! 私が不審者だとでも言うつもりか!?)
そんな彼を見送りながら、騎士達が囁き合う。
「そう言えば今日、この前の騒ぎに関しての審議が、クレランス学園であったんだよな?」
「あの様子では、殿下の廃嫡は間違いないんじゃないのか?」
「それで済めば御の字かもな」
彼らはほぼ正確に事態を推測したが、上に立つ人間が代わっても彼らには対して係わり合いは無かった為、すぐにそれについての話を止めて通常任務に戻った。
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