(12)ナジェークの決意

 ナジェークが正式に社交界デビューを果たしたのは十四歳の時であるが、彼はその直後、両親に連れられてある夜会に出席した。

 まずは主催者の、屋敷の主であるコールズ伯爵夫妻に挨拶を済ませてからミレディアは顔見知りの夫人達が集まっている場所に出向き、ディグレスは息子を連れて回りながら旧知の人物達に紹介していたが、それが途切れたタイミングで友人の姿を認め、親しげに声をかけた。


「やあ、ラドクリフ。今日の夜会は盛況だな」

 その声に振り返ったティアド伯爵ラドクリフは、すかさず軽く頭を下げたナジェークに微笑んでから、ディグレスに言葉を返した。

「そうだな。コールズ伯爵の人脈はなかなかのものだ。各派閥、満遍なく顔を揃えているとみえる。最近では、こういう機会は少なくなってきたな」

 しかしその台詞に、ディグレスが溜め息を吐いて応じる。


「派閥などと……。国が割れているごとき物言いは、慎むべきだろう」

「そうは言ってもな……。一昨年グラディクト殿下の立太子が決定した後、水面下で行われていた両派閥のいがみ合いが終息するどころか、一気に顕在化したのは君だって周知の事実だろう。君は当事者の一員なのだし」

「それを言わないでくれ……。本当に色々頭が痛い。ミレディアも、実の姉である王妃陛下からのお話だったから反論はしなかったものの、日々頭を抱えているよ」

「別にエセリア嬢が王太子妃や王妃になっても、構わないだろう? 未だ子供ながら、既に彼女の見識や実績は立派なものだ」

「そうじゃなくて……。有象無象がすり寄ってくるのと、むやみやたらに敵視されるのに困っているんだよ」

 怪訝な顔でディグレスの口を聞いていたラドクリフだったが、それを聞いて納得したように頷く。


「あぁ……、そっちか。それは確かにそうだな。ご愁傷さま」

 それを聞いたディグレスが、友人に恨みがましい目を向ける。

「言うのはそれだけか?」

「他に何も言いようが無いだろう。我が家に娘はいないから『エセリア嬢の代わりに、我が家の娘を王太子殿下に差し上げます』などと言えないし」

「……友達甲斐の無い奴」

「悪いな」

 心底うんざりした様子の父親と、肩を竦めて苦笑いしたラドクリフを眺めながら、ナジェークは一人密かに考え込んでいた。


(本当にこの二年間で、社交界の勢力範囲が随分変わったみたいだからな。最近では、異なる派閥の家との交流を拒む傾向が強まっているし。これだけ満遍なく招待客がいる夜会は、珍しいのかもしれない)

 そんな中、唐突に聞こえてきた聞き覚えのある声に、ナジェークの意識は瞬時に現実に引き戻された。


「奇遇だな。ここにお前が参加しているとは。奥方は女同士で集まっているのか?」

「それは、そちらも同じみたいだが。久しぶりだな、ジェフリー」

(ガロア侯爵!? まさかこんな所で、遭遇する事になるなんて!)

 ラドクリフに気安く声をかけてきたのはジェフリーであり、二人が親しげに挨拶を交わしているのを見ながら、ナジェークは必死に動揺を押し隠した。そこでラドクリフが、ナジェーク達を振り返る。


「君に紹介するよ。こちらはシェーグレン公爵ディグレス・ヴァン・シェーグレンと、彼の嫡子のナジェーク・ヴァン・シェーグレンだ。二人とも、こちらはガロア侯爵家当主の、ジェフリー・ヴァン・ガロアだ」

「どこかでお目にかかりましたな。お見知りおきを」

「こちらこそ、宜しくお願いします」

(あれから四年経っているし、あの時のジェイクが私だと露見しないとは思うが……。偽名を騙った事で不興を買うかもしれないし、ここは慎重に対応しないと。こんな所で騒ぎを引き起こしたら、父上だけじゃなくてティアド伯爵にもご迷惑をかけかねない)

 ランドルフに紹介された二人は、礼儀正しく挨拶を交わした。その次にナジェークが、慎重に相手の様子を伺いながら挨拶の言葉を口にする。


「ガロア侯爵、初めてお目にかかります。ナジェーク・ヴァン・シェーグレンです。私は未だ社交界での活動に乏しいもので、宜しくご指導ください」

 ナジェークはそう言って神妙に頭を下げたが、対するジェフリーの反応は、実に素っ気ないものだった。


「貴殿の周りには、見本となる人物が数多く存在している筈。私などに教えを乞うまでもあるまい。それではラドクリフ、また後で」

「ああ」

(別に、怪しまれなかったか?)

 機嫌を損ねたようには見えなかったが、自分を一瞥しただけで踵を返したジェフリーを見送りながら、ナジェークは微妙な心境に陥った。その戸惑いを察したらしいラドクリフが、申し訳なさそうにナジェークに謝ってくる。


「本当に無愛想な奴で悪いね。本来、根は悪い奴では無いのだが……」

「いえ、お気遣い無く。私の物言いが、少し生意気だったかもしれません」

「噂は聞いている。彼はバスアディ伯爵とは犬猿の仲だから、伯爵が中核のグラディクト派、つまりは王太子派の人間は、程度の差こそあれ気に入らないのだろう?」

 そこでディグレスが苦笑いで会話に交ざってきた途端、ラドクリフは渋い顔になった。


「全く……。こんなつまらない事で、トラブルにならなければ良いのだが。王太子派の連中が、君みたいに寛容な人間ばかりでは無いのだから」

「君みたいな彼の良き理解者がいれば、別に不安はないのではないか?」

「それなら良いのだがね」

(あの時の事は、完全に忘れられたみたいだな。あの頃の未熟な自分の姿を、覚えられていなかったのは良かったが……)

 それから二人の会話は雑談に戻り、ナジェークは安堵して胸を撫で下ろした。しかしなんとなく胸の内に、もやもやとしたものが消えずに残っているのを自覚する。


(いつか必ず、あの人に認めて貰える人物になってやる。それこそ王太子派の人間でも、あの人が無視できない程の人間に)

 そんな決意を胸に秘めたナジェークはそれからの日々を、より一層の勉学と武芸の稽古と人脈作りと使える人材の育成と確保に、邁進していくのだった。

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