(20)ガロア侯爵家受難の日

「ああ、そう言えば、カテリーナは今現在屋敷に出入り禁止の勘当寸前の身の上ですから、いっそのこと正式に勘当して貴族簿から籍を抜いて貰えれば、そもそもこんな書類は必要ありませんし、問題も発生しませんね。両陛下の名誉の為に、是非そうしてください」

「なっ、なんだと!?」

「我が家はカテリーナが貴族でも貴族でなくとも、どちらでも構いませんので。持参金を当てにしなくてはいけないほど落ちぶれてはいませんし、支度金を十分に出せますから。身一つの勘当娘でも、全く問題なく」

「ふざけるな!! カテリーナには十分な支度をさせて、嫁に出してやる! 署名してやるからさっさとそれを渡せ! イーリス、インク壺とペンをもってこい!!」

「はい!」

 カテリーナを勘当すれば良いとのナジェークの話に激高したジェフリーは、彼の話を遮って語気強く妻に言いつけた。イーリスが慌ててペンとインクを持ってくると、ジェフリーはナジェークの手から申請用紙を有無を言わせず奪い取り、空いている箇所に素早く署名して彼に突き返す。


「これで文句はないな! さっさと持っていけ! 両陛下まで巻き込むとは、貴様は不敬極まりない奴だな!!」

「恐れ入ります。それではこちらが婚約披露の夜会と、結婚式の日程です。我が家の方は問題ありませんが、そちらの方で問題があるようなら我が家の方で全面的に取り仕切りますので、ご安心ください。それでは失礼します」

 申請用紙を受け取るのと同時に、ナジェークは別の用紙をジェフリーに手渡した。反射的にそれに目を落としたジェフリーの顔が、盛大に強張る。


「ジュール殿、ジャスティン殿、お邪魔しました。これから末長く、よろしくお付き合いください」

「はぁ……、どうも」

「俺はよろしくしたくない……」

 立ち上がってドアにやって来たナジェークは、そこで呆気に取られたジュールと、げんなりしたジャスティンに苦笑しながら応接室を出ていった。そこでイーリスの悲鳴じみた声が上がる。


「あっ、あなた!? 婚約披露の夜会が来月で、結婚式が3ヶ月後の日付になっているわよ!? こんな急な話、どうしましょう!? 支度もそうだけど、招待客の皆様への連絡も間に合わないわ!! 第一、先方のご都合だってあるでしょうし!!」

「なんですって?」

「そんな無茶な!」

 それを聞いたジュールとジャスティンが慌てて振り向くと、ジェフリーが妻子に対して怒声を放った。


「間に合わせるしかないだろうが!! 何もかもシェーグレン公爵家に任せたりしたら、嫁入り支度もまともに調えられないのかと、我が家が他家から侮られるぞ!! ジュール、今すぐリサを呼んでこい!」

「はい!」

 泡を食って妻を呼びにいったジュールからジャスティンに視線を移したジェフリーは、末息子に怒りの形相で詰め寄った。


「ジャスティン!! お前、このタイミングでここに来たということは、以前からあいつとカテリーナの事を知っていたのか!?」

「いや、偶々今日、奴がカテリーナに食堂で求婚したのを聞いて、父上と母上に伝えておこうかと。一昨日の夜会でも、結婚云々なんて話は微塵も出なかったし」

「それならさっさと帰れ! それからカテリーナに、五日以内に休みを取ってこちらに出向くように言え! それから休みが取れたら、すぐに日程をこちらに教えるように伝えろ! いや、お前が隊長権限で休みを捩じ込んで、連絡してこい!! 分かったな!?」

「……分かりました。それでは失礼します」

 これは余計なことは言わない方が良いと判断したジャスティンは、おとなしく引き下がった。そこに慌ててリサがやって来る。


「お待たせしました、カテリーナの結婚が決まったそうで、おめでとうございます」

「めでたくない!!」

「え? あの……」

「父上、落ち着いてください」

「リサ。悪いけど、色々手伝って頂戴ね」

「あ、はい、それは勿論お手伝いしますけれど……。どうかされましたか?」

 ジュールから詳しい説明なしに連れてこられたリサは、義父の剣幕に唖然となった。そんな彼女を宥めるイーリスの声を聞きながら、ジャスティンは踵を返して歩き出す。すると乗って来た馬車が引き出されてくるのを待っていたナジェークと、玄関ホールで顔を合わせた。


「ジャスティン殿もお帰りですか? せっかく実家に来たのですから、もう少しゆっくりしていけば良いのでは?」

「生憎と、実家の皆がゆっくりできる状況ではなくなったのでね。ところで、あの書類は何だ? 偽造したのか?」

 忌々しく思いながらジャスティンが尋ねると、ナジェークが平然と答える。


「人聞きが悪いですね。単に『ガロア侯爵の署名がありませんが、このまま署名してください』と両陛下にお願いしただけです」

「十分とんでもない事だろうが。幾ら王妃陛下の甥だからって甘過ぎる」

「陛下には『その代わり、私達二人に貸し一つずつだな。借りを返して貰うのを楽しみにしている』と、実に良い笑顔で言っていただきましたね……」

 本気で舌打ちしたくなったジャスティンだったが、

どこか遠い目をしながら語ったナジェークを見て、意外に思った。


「それは……、無条件で両陛下に借りを作ったということか?」

「あまりしたくはありませんでしたが」

「そうなると今後両陛下から、これ以上の無茶ぶりをさせられる可能性があると?」

「そういう事ですね。あのお二人は、意外に容赦がありませんから」

 どうやらこの傍若無人な男にも、苦手で掌で転がされる人間がいるらしいと分かったジャスティンは、少しだけ溜飲を下ろした。そして苦笑しながら声をかける。


「そうか……、まあ頑張れ」

「ええ、頑張りますよ、ジャスティン義兄上」

 ジャスティンの笑みの意味を察したのか、ナジェークが含み笑いで応じる。その途端、ジャスティンの全身に悪寒が走った。


「……止めてくれ。今、寒気がした」

「酷い言われようですね」

 本気で噴き出してしまったナジェークが馬車に乗り込んで去っていくのを見送ってから、ジャスティンも繋いであった馬に飛び乗って自宅へと戻って行った。

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