(58)意外な苦労人

 婚約破棄騒動により、慰謝料の代わりに下賜された領地を有効活用しようと考えたエセリアは、その後周囲を巻き込んで活発に動いていた。そして騒動から一年程が経過した頃、実際に領地運営を行うのと同時に、アズール学術院の本格的な設立準備のため、エセリアはアズール伯爵領に移住することになった。

 本格的な移住となれば本人は勿論、身の回りの世話をする専属メイドが忙しくなるのは当然である。暫くの間それで奔走していたルーナは、伯爵領地への移住を来月に控えた時期に久々の休みを取った。


「やあルーナ、お疲れ様。ここ暫く、エセリア様の荷造りに専念していると聞いたが、進捗状況は?」

 偶々領地から王都に戻っていたヴァイスも休みであり、二人は連絡を取り合って街へと食事に繰り出したが、その道すがらヴァイスが何気なく問いかけた。それにルーナが笑顔で答える。


「一応、予定に遅れはないので、来月にはアズール伯爵領の屋敷に移れます」

「そうか。それなら安心だな」

「それにしても……。あの騒ぎでエセリア様が爵位と領地を賜ってから、1年少しで領地の検分を済ませた上で、エセリア様が生活する屋敷やそれに隣接するアズール学術院の管理棟の建設、加えて王都やシェーグレン公爵領に向かう方向の街道の整備まで終わらせてしまうなんて……。公爵様にお仕えしている人達の手腕が凄すぎるわ」

「まあ確かに、色々大変だったがな……」

 しみじみとした口調でルーナが感想を述べると、ヴァイスが遠い目をしながら応じる。そこでルーナは、この間少々不思議に思っていた事を思い出し、尋ねてみた。


「そう言えば、ヴァイスさんもこの一年程、凄く忙しそうにしていましたよね? 領地や伯爵領に出向いたと時々聞いていましたが、王都内にいても良く居場所が分からない時がありましたし」

「ああ……、特にナジェーク様の結婚に関わる諸々とかで、駆けずり回っていたしな」

 並んで歩きながら項垂れたヴァイスを見て、そう言えばそっちもあったかとルーナは納得した。


「本当に、カテリーナ様のお名前が出てから、とんとん拍子に話が進みましたよね……。公爵家嫡男にいつまでも婚約者がいないなんて前々から不思議でしたが、婚約発表から結婚までの短期間ぶりは、ちょっとおかしくありませんか?」

「ナジェーク様のすることだから」

 その即答っぷりに、ルーナは思わず溜め息を吐いてから、小さく首を振る。


「それで片付けないでください、と言いたいところですけど……。あのナジェーク様のすることですからね……。カテリーナ様は次期シェーグレン公爵夫人なのに、いまだに近衛騎士として王宮勤めをしておられますし」

「さすがにご懐妊されたら出仕は止めさせるだろうが、それまでは続けて構わないと明言されているしな……。ナジェーク様といいエセリア様といい、俺達はお互い非凡な方にお仕えしているわけだ」

「本当に、非凡で非常識なご兄妹ですよね……」

「否定できないな……。店に着いたし、入ろうか」

 もう苦笑いしかできなかった二人は、無言で顔を見合わせてから店内に入った。そしてテーブルに着いて注文を済ませてから、ヴァイスが2通の封書を上着のポケットから取り出す。


「忘れないうちに渡しておく。妹さんと伯母さんからだ。先週領地から戻る時に預かってきた」

「ありがとうございます。それから今回領地に出向いた時に、実家に届け物をして貰ってありがとうございました」

「いや、ルーナの実家は屋敷がある中央街だし、すぐに行けたから構わないさ。……それにこちらとしても、都合が良かったし」

「え? 今、なんて言ったんですか?」

「なんでもないから気にしないでくれ」

 それから雑談をしているうちに料理が運ばれてきて、二人は食事を始めた。


「アズール伯爵領に行ったら、王都との行き来はともかく、領地との連絡は悪くなりますよね。実家との行き来ややり取りも、これまでより時間がかかるようになるんだろうな……」

 食べる合間に考え込みながらルーナが口にすると、ヴァイスが意外そうな顔になる。


「あれ? ルーナはまだ聞いていなかったのか? 今後は王都と公爵領と伯爵領を、定期便で繋ぐことになるんだが」

「え? それ聞いてないです! 本当ですか?」

 本気で驚いたルーナに、ヴァイスが説明を加える。


「ああ。それぞれ個別にではなくて、三ヶ所を三角形に繋いで右回りと左回りで定期便を出して、他の二ヶ所のどちらにも月に2回は行くことになる予定だ」

「それは便利ですね! でも公爵家の負担にならないんですか?」

「これはアズール伯爵領の今後の発展を見込んだ、ワーレス商会のてこ入れが絡んでいるからね。現に、アズール伯爵領の整備や学術院建設のための資材や備品調達を任されて、ワーレス商会はかなりの利益を出しているし。定期便で運用する荷馬車の手配や必要な人員にかかる費用の半分は、ワーレス商会が負担することになっているんだ」

 その解説を聞いたルーナは、心底感心した。


「なるほど……。当初からそれだけ投資して領地開発に絡んでいれば、他の商会が自分達も取り引きをしてくれと申し出てきても、ワーレス商会より有利で規模の大きい取り引きなんてできませんよね。さすがワーレス商会。先見の明があるというか、抜け目がないというか……」

「そういうわけで、これまでの王都と公爵領の行き来と同じ位の日数で、伯爵領と公爵領の行き来が安全にできるようになる筈だ」

「良く分かりました。伯爵領に行っても、ご領地に帰省する手間がそれほど変わらなくて助かったわ」

 満足そうに微笑んで食べるのを再開したルーナを見て、ヴァイスも口許を弛めてから話を続けた。


「それから……、実はエセリア様の伯爵領への移住と前後して、俺もそちらに配置替えになるんだ」

 その予想外の話を聞いて、ルーナが怪訝な顔になる。


「え? あの、だってヴァイスさんは、ナジェーク様の側近で補佐役ですよね? どうして伯爵領に行くんですか?」

「元々俺とアルトーはナジェーク様が公爵家当主になった時に補佐を務めるよう、使用人の管理や指揮統率は勿論、領地運営の実務を色々叩き込まれてきたんだが、それをまず規模の小さいアズール伯爵領で実践してこいというわけだ」

「ええと……、つまり、伯爵領地の筆頭管理官みたいな位置付けですか?」

「ああ。これまでは旦那様が直々に派遣していた、ベテランのブルガンさんが伯爵領の調査を指揮して取り敢えずの施策を進めていたんだが、なにぶん高齢だからね。一区切りついたので、引退したいと申し出られたんだ」

「確かに、何度かお屋敷でお見かけしたことがありますが、眼光鋭い年配のお方でしたね……」

 長年公爵領の筆頭管理官を務めた辣腕ぶりに相応しい、見た目と雰囲気の方だったなぁと、ルーナがしみじみと思い返していると、ヴァイスがどこか沈鬱な表情になりながら説明を続ける。


「しかもその時に『今後エセリア様が画期的な領地運営を目指すからには、実務を執り行う者には頭が固い年寄りではなく、柔軟な考え方と対応ができる若者を抜擢するのがよろしいでしょう』との意見をつけたらしくて、こっちにお鉢が回ってきたんだ……」

「凄いですね! それって、栄転じゃないですか!? それにヴァイスさんの能力が、認められたってことですよね!?」

 思わずルーナが喜色を露わにして褒め言葉を口にしたが、ヴァイスは微妙な表情のままボソボソと話を続けた。


「栄転……、まあ、そうかもしれないが……、ブルガンさんに付き従って既に伯爵領に派遣されている人達は、全員俺より年上で……。しかも、全く資料がない領地の運営は大変だろうと、公爵様が配置した方々だけあって、一癖も二癖もある人間ばかりで……。そんな人達を、上手く束ねられるんだろうか……」

 しかし彼の懸念を、ルーナは明るい笑顔で一蹴した。


「大丈夫ですよ! 幾ら扱いにくくても、ナジェーク様ほど難しくはないはずですよ? それに一応ヴァイスさんが上司なんですよね? 間違ってもナジェーク様みたいに、無茶ぶりなんかされませんよ!」

「そう……、そうだよな。ナジェーク様を相手にするより、多少面倒で人数が多くても、そっちの方が遥かに楽だよな」

「そうですよ! 頑張ってください!」

「ああ、頑張るよ」

 ルーナの力説で一気に気が楽になったらしいヴァイスは、再び笑顔になって食べ進めた。 

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