(27)諦めの境地

「失礼します。カテリーナ様をお連れしました」

「お入りなさい」

 ノックに続いて入室の許可を求めたロージアに続いて、カテリーナは第二応接室に足を踏み入れた。すると先日と同様に姉妹が並んで座り、向かい側にナジェークが微妙に引き攣った笑みを浮かべながらカテリーナを迎え入れる。


「やあ、カテリーナ。君の顔が見られて嬉しいよ。二人きりで会えたのなら、もっと嬉しかったのだが」

「あら、今日は随分正直ね、ナジェーク。そんなに私達の同席が嫌だったなんて」

「昨日まで、姉上が本日出向くなど、屋敷内で話題に出ていませんでしたが。どうしてタイミングよく、いらしているんですか?」

「それはやっぱり、カテリーナさんとの親交を深めよという、神様の思し召しではないの?」

「……無神論者になりそうなので、つまらない冗談を口にするのは止めてください」

「まあ、ナジェークったら、罰当たりな事を」

 苦虫を嚙み潰したような顔になったナジェークとは対照的に、コーネリアが楽し気にコロコロと笑う。全く口を挟む余地がなく、カテリーナが姉弟の会話を呆然と眺めていると、ここで控え目に声がかけられた。


「カテリーナ様、ご挨拶から騒々しくてすみません。どうぞそちらにお座りください。ルーナ、カテリーナ様のお茶をお出しして」

「ありがとうございます、いただきます」

 エセリアとカテリーナの会話で、コーネリアとナジェークは客人を半ば放置して会話してしまった事に気がつき、謝罪の言葉を口にした。


「カテリーナさん、ごめんなさい。弟とつまらない言い合いをしてしまって」

「今日は使う部屋を説明すると母上が言っていたが、何か気になる所や問題があったら言ってくれ。家具は一通り揃っているが、内装も含めて変えたい所があれば、君の好みで変えて構わないから」

 ナジェークから若干心配そうに確認を入れられたカテリーナは、真顔で即答した。


「いいえ、一通り見せて貰ったけど、当面あれで十分だと思うわ。勿論今後何か必要が出てきたら、変えさせて貰うから」

「それなら良かった」

 安堵したようにナジェークが微笑むと同時に、コーネリアが話題を変えてくる。


「今日の確認事項は問題なく済んだみたいだから、私からカテリーナさんに提案があるのだけど」

「……はい、なんでしょうか?」

 一体何を言われるのかと、瞬時に警戒しながら問い返したカテリーナだったが、言われた内容はある意味予想内で、ある意味予想外だった。


「これからは義理の姉妹になるわけだし、私の事は『コーネリア様』ではなく、『お義姉様』と呼んでくれないかしら? エセリアは勿論、『エセリア』と呼び捨てで良いわよ。ねえ、エセリア?」

「あ、はい! 私もカテリーナ様の事は『お義姉様』と呼ばせていただきますので、是非私の事は呼び捨てでお願いします!」

「え?」

(ええと……、確かにお二人の呼び方をどうするかは、この間の懸案事項ではあったけれど、正直、まだ心の準備が……。才媛で非凡なエセリア様を呼び捨てにするのはかなり勇気がいるし、コーネリア様をお義姉様と呼ぶのはそれよりは抵抗は無いけど、なんだか底知れない危険地帯に足を踏み込むような、得体のしれない不安感があるのよね……)

 しかしどう考えてもその呼び方が一番自然で波風が立たないと分かり切っていたカテリーナは、ここで完全に腹を括った。


「分かりました。それではお義姉様、私は社交界での活動は比較的疎い方でありますので、今後ご指導をよろしくお願いします。エセリア、シェーグレン公爵家の事は一から覚える必要があるから、助けてくれたら嬉しいわ」

 改めてカテリーナが笑顔で挨拶すると、コーネリアとエセリアが満足そうに頷き返す。


「ええ、勿論よ。任せて頂戴」

「お兄様を屈服させたお義姉様であれば心配いらないかと思いますが、いくらでも頼ってくださいませ! 全面的にサポートいたしますから!」

「こら、エセリア。私を屈服させたというのは、どういう事だ」

「だって、お兄様が平々凡々なご令嬢を従えて、満足するとは思えませんもの。現に求婚の場で、盛大に返り討ちされたではありませんか」

「頼むから、話を蒸し返さないでくれ」

「…………」

 エセリアの一言で、女装云々の話題を思い出したカテリーナは、思わず表情を消して無言になった。するとそんな微妙な空気を打ち消すように、コーネリアが嬉々として言い出す。


「カテリーナ。この前顔を合わせた時に、あなたの体験談などを今後の作品の参考にしたいと言ったのを覚えている?」

「はい、覚えています。それが何か?」

「この前、あなたがダマールとローバン一味に誘拐された時の一部始終について、貴女目線での話を聞きたいの! 是非、聞かせて頂戴!」

「…………はい?」

 自分が誘拐された事実は対外的には無かったことになっている筈なのに、これはどういう事かとカテリーナはナジェークを睨んだ。てっきりナジェークが姉妹に漏らしたのかと思いきや、そこで事態が思わぬ方向に転がる。


「お姉様!! ダマールってまさか、最近人身売買組織の元締めとして捕まった、あのダマール・ヴァン・カモスタットですか!? カテリーナ様が誘拐って、どういう事ですか!?」

「姉上!! この件については、カテリーナの関与は捕縛した近衛騎士団内でも、家中でも箝口令を敷いているのに、どうして姉上がご存知なんですか!?」

「えぇえええっ! それならお兄様、お姉様の話は事実なのですか!?」

「事実だが、カテリーナは勿論無事だ。予め襲撃計画を把握していて、近衛騎士団の他に我が家の騎士達も密かに護衛につけていたからな」

「そういえば少し前、夕刻に屋敷内から騎士が一団になって出て行った日があったような……。まさかその日の事!? というか、同じ屋敷で暮らしている私が全く気がつかなかったのに、どうしてお姉様が詳細をご存じなのですか!?」

(あら? エセリア様は本当に知らなかったみたいだし、ナジェークも本当に屋敷内でも一部の者にしか知らせていなかったみたいだけど……。それならどうして、コーネリア様はご存じなの?)

 カテリーナの疑問が深まる中、コーネリアが朗らかに告げた。


「どうしてと言われても……、どこからか耳に入ってくるからとしか言えないわ。それでカテリーナ、貴女の勇猛果敢な戦闘ぶりを、できるだけ正確に文章で表現したいのよ。悔しい事に、私の想像力には限界があって……。先日のダマールとローバンを、たった一人で己の拳だけで粉砕したその雄姿を、再現して貰えないかしら?」

「………………」

 コーネリアの要請に、カテリーナは再び無表情になって口を噤んだ。そしてエセリアのドン引きした様子での呟きに、ナジェークの叫びが重なる。


「……え? 『一人』で『拳だけ』で粉砕? 状況が、分からないのだけど……」

「姉上! あの場にいた誰が、話を漏らしやがったんですか!?」

「まあ、ナジェークったら。言葉遣いが乱暴よ? ほら、カテリーナが驚いてしまっているわ。ごめんなさいね? 時々振り切れる弟で」

「実家に内通者を作るのは止めてください!! 金を掴ませているんですか!? それとも弱みを握っているんですか!? くっそ! あの時に居合わせた8人、全員締め上げてやる!!」

「あらあら、急に錯乱して、何を言っているのやら。カテリーナ。こんな弟ですけど、見捨てないで頂戴ね? それであなたから話を聞かせて貰ったら、登場人物の設定や名前は変えて分からないようにして、血沸き肉躍る作品を書こうと思っているの! この際だから、今回の事件の他に、時代は違うけれどレナーテ様が側妃になった時の水面下のいざこざも含めて書けば、現実の話ではなくて想像上の話だと世間に思って貰えるだろうし。どう? 名案でしょう?」

「だから、そんな表沙汰にできない話ばかり詰め込んで、書けるわけがないだろうが!」

 錯乱気味に喚いているナジェークと、余裕の笑みを浮かべ続けるコーネリアを観察していたカテリーナは、ある諦めの境地に達した。


(やっぱり兄弟の中では、コーネリア様が最強みたい……。これはナジェークが何を言っても無駄だわ。長い物には巻かれろっていうし……。人生って、妥協の積み重ねよね。きっとこれが、シェーグレン公爵家の人間としての、第一歩なのよ)

 そんな結論に至ったカテリーナは、落ち着き払ってコーネリアに語りかけた。


「お義姉様、私が少々荒事に及んだ内容で良ければ、お話ししますわ。ですが言葉で説明するのが難しいので、ここでナジェークを賊に見立てて、実演した方がご理解しやすいかと思いますが」

 その提案に、コーネリアがはっきりと分かる程に顔つきを明るくし、ナジェークがギョッとした風情で振り返る。


「まあぁ、嬉しい! 是非、そうして頂戴!」

「カテリーナ……、本気か?」

「本気よ。安心して、今日はメリケンサックを嵌めてないから」

「……殴る気満々か。お手柔らかに頼むよ」

 喜んで拍手した姉と、重い溜め息を吐いた兄を見ながら、エセリアはカテリーナに向かって深々と頭を下げた。


「すみません……。こんな兄と姉ですけど、よろしくお願いします」

「ええ、色々と諦めがついたし、これで覚悟はできたから大丈夫よ」

 エセリアに向かって凛とした笑顔を見せたカテリーナは、それから襲撃事件の一部始終を語り、一部は実演して、コーネリアを大いに喜ばせるのに成功したのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る