(8)淑女の乱入

 自分に取っては想定内の婚約破棄宣言を受けた翌朝、エセリアは予想外の来客を迎えて、少々困惑していた。

「お姉様、朝食を済ませて早々の時間帯に、しかも子供連れで実家にいらっしゃるなんて、宜しいのですか?」

 約束も無しにいきなり顔を見せた姉と、応接間で向かい合って座りながら尋ねると、コーネリアは笑いながら事情を説明する。


「勿論、大丈夫よ。お義父様もお義母様も、昨日の式典での醜態を目の当たりにして、殿下達に対して憤慨しておられたもの。『会場では毅然とされていたが、エセリア様はショックを受けているだろう。お慰めして来なさい』と、率先して送り出してくれたわ。エリーゼは『むずがったら却ってご迷惑だから』と、お義母様が預かって下さったし」

「そうでしたか。それなら良かったです」

 取り敢えず姉が婚家から小言を言われる心配が無い事が分かり、エセリアが胸をなで下ろしていると、急に甲高い声が上がった。


「おばさま! おばさまとのこんやくを、いっぽうてきにはきするでんかなど、わたしはだんじてゆるせません!」

 興奮のあまり僅かに顔を赤くしながら、小さな拳を握って訴えてきた幼い甥を見て、エセリアは無意識に口元を緩めた。


「まあ、ダリュースは私の為に、怒ってくれるの?」

「とうぜんです! でんかは、しんしなどではありません! わたしがせいばいします!」

 プンプンとかわいらしく怒りながら主張してくる彼に、エセリアは笑みを深めながら礼を述べた。


「ありがとう。本当にダリュースは、小さくても紳士なのね。今度のあなたの四歳のお誕生日には、ワーレス商会で売り出し間近の、新しい玩具をプレゼントする予定だから、楽しみにしていてね?」

「ほんとうですか! おばさま、ありがとうございます!」

 間近に迫っている彼の誕生日のプレゼントに言及した途端、ダリュースが怒りなどどこかに吹っ飛ばし、期待に満ち溢れた目を向けてきた為、エセリアは笑い出したいのを必死に堪えた。


(うっわ、怒った顔も可愛いけど、笑うと無茶苦茶可愛いわね~。玩具で喜ぶなんて、やっぱり子供だし。どうしよう。婚約破棄の目処がついたら、途端に色々やりたい事が出てきちゃったわ。お兄様のネタもそうだけど、子供向けの童話とかも書いてみようかしら?)

 そして小さな紳士を交えて姉妹が和やかに会話していると、何やら廊下の方から言い争うような声が聞こえてきた。


「あの! お待ちください! エセリア様は、今来客中でして!」

「すぐに応接間に、来訪の旨をお取り次ぎをしますので!」

「非礼は重々承知の上です! 火急の用件ですので、通していただきます!」

 微かに聞こえてくる程度ながら、躾の行き届いた公爵家の使用人としては有り得ない騒ぎに、姉妹は揃って不思議そうに顔を見合わせた。


「あら、廊下が騒がしい事。何事かしら?」

「さあ……、何でしょう?」

 そうこうしているうちに、使用人が制止する声が響くとほぼ同時に、応接室のドアが勢い良く開かれて、エセリアが良く見知った人物が姿を現した。


「エセリア様はこちらですね!? 失礼いたします!」

「レオノーラ様!?」

「エセリア、どなたなの?」

 前触れ無しでのいきなりの来訪は、無礼と言われても反論できない行為であり、これまでにレオノーラの礼儀正しさを十二分に知っていたエセリアは、本気で驚愕の声を上げた。しかし怪訝な顔をしている姉に、彼女が不審人物だと誤解されないように、取り敢えず紹介する事にする。


「あの方は、ラグノース公爵家のレオノーラ様ですわ。クレランス学園で、私と同じクラスでしたの」

 そう告げたエセリアが「ですからこの行為には理由がある筈なので、非常識に見えますが不問にしてください」と言外に訴えると、それを察したコーネリアは、小さく頷いた。

「まあ、そうなの。ラグノース家とはあまり親交は無いし、顔を合わせるのは初めてね」

 その間にもソファーに歩み寄ったレオノーラは、まだ興奮しながらエセリアに向かってまくし立てた。


「エセリア様! グラディクト殿下が事もあろうに建国記念式典で、あなたとの婚約破棄を申し出たと言うのは、どういう事ですか!? 昨日の式典には両親と兄夫婦が出席しておりましたので、朝食の席でそれを聞かされた時に、私、自分の耳を疑いましたわ! あまりの出来事に、思わずフォークとナイフを取り落としましたのよ!」

 その非難の声に、エセリアは思わず視線を逸らしながら謝罪した。


「その……、不特定多数の皆様を驚かせる事になってしまい、本当に申し訳無く思っております」

「別に私は、エセリア様を責めているわけではございませんわ!」

「ええと……、はい。そうでございましょうね……」

 益々声を荒げたレオノーラを見て、どう宥めたものかとエセリアが困っていると、反対側のソファーに座っていたコーネリアが静かに立ち上がり、レオノーラに向かって穏やかに微笑みながら声をかけた。


「ラグノース家のレオノーラ様ですね? エセリアの姉の、コーネリア・ヴァン・クリセードと申します。こちらは息子のダリュース・ヴァン・クリセードです。本日は妹を心配して、わざわざ朝早くから出向いてくださったのですね? 姉として、心からお礼申し上げます。ダリュース、レオノーラ様にご挨拶なさい?」 

「はい、レオノーラさまには、はじめておめにかかります。ダリュース・ヴァン・クリセードです。よろしくおねがいします」

 礼儀正しく母子に挨拶されたレオノーラは、それで自分の非礼さを認識して瞬時に頭を冷やし、二人に向かって深々と膝を曲げてお辞儀を返した。


「お約束もなしに、突然押しかけるような非礼な真似をした上に、ご挨拶が遅れて真に面目ございません。レオノーラ・ヴァン・ラグノースと申します。以後、お見知りおきくださいませ」

「それではレオノーラ様。まずはそちらにお座りになって? あなたの分のお茶を用意させますわ。付き添いの方には、待合室で待っていただきましょう。皆、宜しくね?」

「畏まりました。お付きの方は、どうぞこちらに」

「お茶はすぐにお持ち致します」

 コーネリアがそうその場を取り仕切ると、公爵家の使用人達は即座に動き出し、レオノーラに付いて来た侍女を控え室に案内しながらその場を去って行った。そして控えていたルーナがレオノーラの分のお茶を淹れ、それが出されたタイミングで、コーネリアが笑いを含んだ口調で尋ねる。


「レオノーラ様、落ち着かれましたか?」

「はい。初対面の方に対して醜態を晒しまして、申し訳ございませんでした」

「醜態など……。昨晩のあれと比べたら、レオノーラ様がされた事など、大した事ではございませんわ」

 とうとうくすくすと笑い出した相手を見て、レオノーラは幾分顔付きを険しくしながら詳細について尋ねた。


「コーネリア様は、昨夜直にご覧になられたのですか?」

「ええ。おかげで朝から、いえ昨晩から、王宮では武官文官双方が駆けずり回っているみたいですわね」

 それを聞いたレオノーラは、はっきりと顔をしかめながらエセリアに向き直った。


「エセリア様。あなたは在学中に、私に仰いましたわね? 『あれは私の獲物だ』と。それなのに、この有り様ですか?」

「弁解の余地がありませんわ」

「あの方達が、あなたの想像以上に愚かだった故だとは思いますが……。いえ、今更こんな事を言っても仕方がありませんわね。一体どうするおつもりですの?」

「勿論、謂われのない事については、しっかり弁明するつもりです」

 しかしそれを聞いたレオノーラは、苦虫を噛み潰したような表情になった。


「ですが、彼女はあの性格ですから、自分の非を棚に上げて、平気であなたを陥れる話を作ったり、証拠をでっち上げるかもしれませんわよ? 私が懸念しているのは、まさにそこなのですが」

「まあ……、そんなに問題のある方なの?」

「はい、コーネリア様、お聞きくださいませ」

 思わずと言った感じで口を挟んできたコーネリアに、レオノーラが勢い込んでこれまでの説明を始める。それを聞いたコーネリアが「まあ」とか「あら」とか呆れとも驚きとも取れる呟きを漏らしているのを聞きながら、エセリアは無言で考え込んでいた。


(レオノーラ様にしてみれば、私が殿下やアリステア嬢の管理制御に失敗したとしか見えないものね。私を心配してくれているのは分かるけど、殿下達が押さえていると思っている証拠が全て、こちらででっち上げた物ばかりだと教えるわけにもいかないし……、どうしたら納得して、帰って貰えるかしら?)

 下手すると延々と続きそうなレオノーラの暴露話に、エセリアが密かに頭を抱えていると、ドアがノックされて唐突にディグレスが現れた。

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