(16)どう考えても八つ当たり

 久しぶりに紫の間でサビーネと盛り上がったシレイアは、夕刻になる前には店を出て自宅に向かった。

(今日はサビーネとたくさん話せたし、お勧めの本も買えて、本当に良い日だわ)

 両手で購入した本を抱え、うきうきしながら街路を歩いていたシレイアだったが、急に背中に激しい衝撃を受ける。全く予想外のそれに彼女は殆ど反応できず、悲鳴を上げながらまともに前方に倒れ込んだ。


「きゃあっ!」

 咄嗟に右手を街路について顔面から突っ込むのは避けられたものの、身体の前で本を抱えていた左手の甲を石畳に激しく打ち付けてしまう。


「痛い……。本を放さなかったから、咄嗟に左手を付けなかったわ。それにしても……」

 一体何事かとシレイアが訝しむ前に、彼女が倒れ込んだのを目撃した周囲の通行人が、非難の声を上げながら騒ぎ始めていた。


「おい、そこの小僧! 人を背後から思いきり突き飛ばすなんて、なにを考えてやがるんだ!?」

「危ないでしょう? 何をしているの!」

「おい、逃げるな! 明らかにわざとだよな!?」

「うるさい! 放せ、このくそ親父!」

「なんだと!? お前、どこの性悪ガキだ!?」

 どうやら自分をわざと突き飛ばした人物が、周囲の者達に取り押さえられたらしいのが、背後から伝わってきた喧騒でシレイアに分かった。そんな彼女に何人かの大人が、心配そうに声をかけてくる。


「お嬢さん、派手に転んだから怪我をしたんじゃない? 大丈夫?」

「あ、はい。なんとか……」

「大丈夫じゃないだろう。左手の甲から血が出てるぞ」

「石畳に強くぶつけてしまったのね。手当てしないと」

「本も汚れてしまったわね」

「おい、お前! ぼさっと突っ立ってないで、この子にさっさと謝ったらどうだ?」

「はっ! にやけた面で、通りを歩いてるんじゃねぇぞ!」

 悪態を吐いている声に聞き覚えのあったシレイアは、顔を強張らせながら立ち上がり、ゆっくり背後を振り返った。するとそこには予想に違わず、男に腕を掴まれて喚いているレスターがおり、シレイアは軽い頭痛を覚えながら、あまり親しくしていない修学場の同級生に声をかける。


「……レスター。あんた、わざとやったわけ?」

「だったらどうだって言うんだ!」

「幸い、ついさっきまでものすごく気分が良かったから、多少機嫌が悪くなっても一応理由を聞いてあげる。どうしてこんな事をしたの? 私ならともかく、お年寄り相手にこんな事をすれば、大怪我させるところよ?」

「俺が親から頼まれた配達の帰りに、お前が能天気に街中を歩いているからだろ!」

「全然、理解できないんだけど。わざわざ悲壮な顔つきで街中を歩かなければいけない理由なんか無いわよね?」

「うるさい! お前のせいで俺が給費生になれなかったのに、ヘラヘラ笑ってるんじゃねぇぞ!」

 掴んでいる男性の手を振り払いながら、レスターは怒声を放った。しかしその主張に、シレイアは怪訝な顔になる。


「何を言ってるの? 私は給費生にならないのに、どうして私のせいであんたが給費生になれないのよ?」

「お前とローダスの頭が良すぎて、それと比較して給費生が決まったから、俺がなれなかったんだろうが!!」

「……はぁ?」

 どう考えても八つ当たり以外の何物でもないその台詞に、シレイアは呆気に取られた。そしてこれ以上の気遣いは無用だと判断し、遠慮なしに言い放つ。


「あんたって、どこまで馬鹿なの? 私やローダスがいなくても、給費生にはなれなかったわね。断言できるわ」

「なんだと!?」

「マルケス先生も言っていたじゃない。給費生には毎年の定員はなくて、修学場を運営する上層部が成績や生活態度を加味して認定するって。だからレスター自身の責任でしょう?」

「はっ! 頭が良い大司教様の娘様は、屁理屈もお上手だよな! 俺が気に入らないからって、給費生にさせないように裏から手を回したんだろうが!」

 どう考えても誹謗中傷の上、国教会や修学場幹部の名誉棄損にもなりえる内容を、王都の大通りで大声で垂れ流すような考えなしぶりに、シレイアは深い溜め息を吐いた。


「正直、あんたの事なんかどうでも良いんだけど……、あまりの馬鹿っぷりにめまいがしてきたわ。本当に、どうしてくれようかしら」

「なんだと!? このっ! ぐはぁっ!」

「……え?」

 シレイアの発言にレスターが激高し、相手に掴みかかろうとした。反射的に身構えたシレイアだったが彼が手を伸ばす前に、何かが勢いよく横から飛んでくる。それは貴族の女性が持ち歩く扇であり、畳まれた状態のそれが勢いよくほぼ水平に飛来し、レスターの右耳に激突した。その衝撃がもの凄かったらしく、レスターは呻き声を上げながら呆気なく街路に転がる。

 その背後から現れたのは、先程彼の側頭部に激突した扇を手に優雅に微笑む、紫蘭会会長シェーグレン公爵令嬢コーネリアだった。


「こんな所で奇遇ね。シレイアさん、お久しぶり」

 予想外過ぎる展開に周囲が静まり返る中、何事もなかったかのような穏やかな挨拶の声が響いた。それにシレイアは、反射的に応える。


「あ……、は、はい。コーネリア様、こんにちは。ご無沙汰しております」

「ワーレス商会書庫分店に出向く途中で、女の子が背後から突き飛ばされたのを窓越しに見て驚いたわ。すぐに馬車を停めて様子を見に来たら、まさかあなただったなんて。怪我は大丈夫?」

 まだいつもの調子を取り戻せないながらも、シレイアはその気遣いに頭を下げた。


「あ、はい。幸い、あまり酷くはありませんし、お騒がせしました」

「まあ……、シレイアさんが謝る必要はないのよ? 少し話を聞いただけでも、相手が筋違いの八つ当たりしただけだと分かりますもの」

「恐縮です。それで……、今、その扇が変な音を立てたような気がしたのですが……」

 先程レスターに激突した時、コーネリアの扇が明らかにグキョッとかメキョッとかの、普段扇を使う場合に発生しえない音が聞こえた気がしたシレイアは、恐る恐るそれについて言及してみた。するとコーネリアは、いかにも残念そうな表情で答える。


「そうね……。目障り耳障りな羽虫がいたから反射的に払ってしまったのだけど、意外に図体の大きい羽虫だったから、華奢な扇には多少無理があったみたい。繊細なデザインが気に入って購入したのだけど、満足に羽虫も払えないとは残念だわ……。今度購入するときは、デザインの他に耐久性も考えないと。それともワーレス商会に特注したら、満足のいく物を作って貰えるかしら?」

(普通の羽虫なら余裕で払えますし、人を殴り倒しても大丈夫な強度を求められたら、いかにも最高級品の扇が可哀想です。いえ、そうじゃなくて!?)

 最後は自問自答しているコーネリアに、シレイアは内心で激しく突っ込みを入れた。すると少し離れた所で、彼女が知らないうちに事態が動いていた。






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