(25)選択授業の弊害

 クレランス入学初年度には、各生徒が希望する科目で授業を受ける選択授業が存在していた。それは教養科三クラスの生徒が集まって行われるため、普段交流していない生徒とも顔見知りになれる機会でもあり、マグダレーナは器楽を選択した自身の判断に満足していた。

 その日の午後は通しで選択授業の時間帯となっており、マグダレーナは授業終了と共に、この間に顔なじみになった女生徒達と使用した楽器の手入れをした後、それらを保管庫に戻した。そして楽しげに会話をしながら、自分達の教室へと戻って行く。


「ああ、楽しかった。やっぱり選択科目を器楽にして正解でした」

 もの凄く実感が籠ったレベッカの台詞に、マグダレーナは笑顔で応じる。


「何事も、楽しめるのが一番ね」

「ええ。選択授業は平民出身の生徒にも広く教養を身に着けさせるという趣旨から、成績には加味されませんし、初心者でも手厚く指導してくれることになっていますから」

「レベッカの上達具合は凄いと思うわ。最初はなかなか音が出なかったのに、今ではなんとか音階ごとに出せるようになっているもの。教授に聞いたわよ? お願いして時々バイオリンを借り出して、校舎裏で練習しているんでしょう?」

「だって、選択授業を受けるのは教養科在籍の一年間だけですし、どうせなら少しでも弾けるようになりたいじゃないですか。マグダレーナ様くらいまでとは、間違っても言えませんけど」

 レベッカが力強く意気込みを語ると、周囲の女生徒達も会話に加わってくる。


「本当にそうですよね。最後に教授から指名されたマグダレーナ様の模範演奏、もうすっかり聞き惚れてしまいました!」

「さすがです! 本職の演奏家と言っても、遜色ないのではありませんか?」

「平民の私達だけではなくて、他の貴族の方々も口々に褒めてらっしゃいましたもの」

「ありがとうございます」

 遠慮がある貴族の子女ではなく、ここではレベッカを初めとする平民の生徒がマグダレーナを囲んでおり、その賛辞に彼女は素直に頭を下げた。するとここで、レベッカが妙にしみじみとした口調で述べる。


「それにしても、本当に選択科目をダンスにしなくて良かった。実は器楽にするかダンスにするか、迷っていたのよね……」

 それを聞いた周囲が、揃って深い溜め息を吐く。


「ああ……、そっちは大変だって私も聞いているわ」

「フレイア様とメルリース様が、揃って選択されるとはね」

「私のクラスでダンスを選択した人が、選択授業は出たくないと愚痴を言っているもの」

「それなのにレベッカは毎日、あの人達と同じクラスなのよね。大丈夫なの?」

 心配そうにそんな事を問われたレベッカは、不敵に笑ってみせた。 


「もう開き直ったわ。というか、最強の盾というか鉄壁が存在しているから心配無用よ」

「ただいまご紹介に与りました、最強の鉄壁でございます。皆様、以後お見知りおきくださいませ」

 すかさず自分の胸に手を当てながら、マグダレーナが笑顔で述べる。その口上と堂々とした姿に、周囲は思わず笑いを誘われた。


「くふっ」

「鉄壁っ……」

「マ、マグダレーナ様っ……」

「意外に楽しい方なのですね」

 しかしそこでマグダレーナは、苦笑気味に釘を刺すのを忘れなかった。


「でも、私とこんな風に仲良さげに語らっているような事は、周囲の方々には伝えない方が良いと思います。どこからどんな風に邪推されるか分かりませんから」

「分かりました」

「廊下ですれ違っても、最低限の会釈だけですね」

「ええ、その方が無難でしょう」

「貴族社会って、本当に色々大変ですよね」

 さすがに官吏科進級を目指す平民の生徒だけあって、彼女達は即座に理解して苦笑を深めた。



 彼女達はそれぞれの教室に分かれて歩いて行き、マグダレーナはレベッカと自分達の教室に戻った。そして私物を纏めながら終礼を担当する教授を待つ。すると何やら男子生徒達の一角が、ざわめいているのが感じ取れた。


(何かしら? あの辺り、妙に落ち着きがないわね。イムラン様を囲んで、何を話し込んでいるのかしら?)

 マグダレーナがさり気なく観察してみると、イムランを中心として彼と特に親しくしている三人が、顔を突き合わせるようにして話し込んでいた。更にそんな彼らを、他の数人の男子生徒が遠巻きにしながら囁き合っており、何やら微妙な空気が漂っている。それに首を傾げたマグダレーナだったが、教室内を見回してみて、他の異変にも気がついた。


(あら? 選択授業は全て終わったのよね? でもエルネスト殿下が戻って来ていないのだけど……。そういえば殿下の選択した教科は何だったかしら? どうせ別々になるだろうし興味も無いから、確認していなかったわ)

 大して興味のなかった事柄であり、これまで流していた事にマグダレーナは気付いた。そうこうしているうちに終礼の時間になり、担当教授が教室に入って来る。


「皆、着席したまえ。これから終礼を始める」

 その声で、教室内の生徒達はすぐに着席し、担当教授からの連絡事項に静かに聞き入った。


(お昼までは普通にいたし、午後になってから急な体調不良で医務室にでも行ったのかしら?)

 この場にいないエルネストについて、マグダレーナがそんな事を考えていた時、軽いノックの音に続いてドアが開けられる。続いてエルネストが教室内に入って来たが、彼が遅れて来た事情を知らなかった生徒達が一斉にざわめいた。


「おいっ、見ろよ」

「あれ……」

「どうしたんだ?」

(え? 何あれ!? どういう事!?)

 右足の足首を固定するように包帯を巻き、杖をついて歩いている彼の姿に、さすがにマグダレーナも動揺した。すると教室内の動揺には目もくれず、エルネストが教壇の教授に軽く会釈しつつ謝罪する。


「教授、申し訳ありません。医務室に寄っていて、戻るのが遅れました」

「構わない。剣術担当の教授から連絡は受けているので、席に着きなさい」

「分かりました」

 教室中の視線を一身に集めながら、エルネストはゆっくりと自分の席へと向かう。


(エルネスト殿下は、剣術を選択していたの!? よりにもよって、どうしてそんな物を選ぶのよ! 他に王族が選ぶような科目は、幾らでもあるでしょうが!?)

 彼の様子を眺めながら、マグダレーナは無茶と無責任にもほどがあると内心で憤慨していた。


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