(6)膨らむ違和感

 ゼスランの家での生活が始まったルーナとアリーだったが、彼女達は周囲の懸念をよそに、翌日から新しい環境に順応していた。

「ふぁあ……、よっくねたぁあ~」

「おはよう、おねえちゃん」

「アリー、良く眠れた?」

「うん。最初はベッドが柔らかすぎて落ち着かなかったけど、気が付いたら寝ちゃってた」

「あ、私も。それじゃあ起きようか」

 揃って爽やかに目覚めた二人は、手早くベッドから抜け出して着替えを済ませ、活動を開始した。


「え? ルーナ、アリー!?」

「二人とも、どうしてここに!?」

「あなた達、何をしているの!?」

 ミアとリリーとイルマが朝食の支度をしようといつもの時間に厨房に出向くと、そこでは既にルーナとアリーが動き回っていた。二人がそれに驚いて思わず声を上げると、姉妹がこともなげに言葉を返してくる。


「おはようございます。かまどに火をおこしています」

「水は、ここの水瓶に入れておけばいいですよね?」

「ええと……、それは確かにそうだけど、子供なのだしこんなに朝早くからお手伝いしなくても良いのよ? もう少し寝ていても良いのだけど……」

 娘のリリーにも朝食の支度を手伝わせているが、彼女が子供の頃はここまで早起きをさせていなかったミアは困惑した。しかしルーナとアリーは、キョトンとしながら問い返す。


「そう言われても……、日の出と共に起きるのが日課でしたし」

「お手伝い? できることは、自分でするだけだよ?」

 それを見た大人三人は、微妙な顔を見合わせて軽く頷き合う。

「それなら……、せっかく朝早くから起きてきたし、朝食の支度を手伝って貰おうかしら……」

「はい」

 ミアの指示で再びキビキビと動き出したルーナ達を見て、イルマが感心したように述べる。


「働き者のお嬢様達ですね。山の中で二人だけで自活していたというのは、本当のお話でしたか……」

「慣れないうちは好きにさせてあげるけど、これからは追々勉強をさせたり、自由に遊ぶ時間を増やしてあげないとね」

「同感です」

「分かったわ」

 そこで女三人は力強く頷いてから、無駄話をせずに朝食の支度に取りかかった。 

 その日は朝食後に洗濯も済ませてから、リリーがかつて自分が使っていた読み書きの教本を引っ張り出し、それを使ってルーナとアリーがどの程度読み書きができるかの判定をしてみた。


「うん、ルーナは叔母さんが一通り教えていたから、読み書きは大丈夫そうね」

「所々、難しい言葉がありますけど……」

「それは少しずつ覚えて、実際に使っていけば大丈夫よ」

 平民が集まって学ぶ制度や組織は存在しないものの、必要と思われる知識を体系づけて纏めた各種教本は国内に流通していた。しかし姉妹の母であるロザリーが病死したのはルーナが9歳、アリーが3歳の時であり、ルーナは母からある程度の教育を受けたものの、そちらの方面には関心が薄かった父のダレンと、子供のルーナではアリーにきちんと読み書きを教えることは難しく、それは正確に今回の結果に現れた。


「アリーは読み書きを、少しずつ練習していきましょうね。お買い物をするのに必要だから、計算も覚えていく必要があるし」

「うん、がんばる!」

(あれ? 今、なんだか……)

 リリーとアリーが笑顔で話し合っていると、ルーナはふと視線を感じて振り返った。しかし視線の先は無人であり、これまでの山暮らしで危険察知能力にはかなりの自信を持っていたルーナは、首を傾げる。


「ルーナ、どうかしたの?」

 黙って明後日の方向を見ているルーナを不思議に思ったリリーが、彼女に声をかけた

「あ、ううん。何でもないです」

「そう? じゃあこれから、二人を店舗と倉庫に案内するわね。店員の皆に紹介するし、入ったらいけない所とかも教えておくから」

「うん! おじさんのお店って、人がたくさんいるの?」

「それなりにね。でもアリーでも時間をかければ、覚えられる人数だと思うわよ?」

「そうなんだ。すごいね」

(えっと……、やっぱり気のせいなのかな?)

 にこやかに会話しながら、住居に隣接している店舗や倉庫に向かって歩き出したリリーとアリーの後を歩きながら、ルーナは釈然としない気持ちを抱えていた。



「ルーナ、アリー。今日はこの周辺をぐるっと回って住人の皆に挨拶しながら、子供達に紹介するよ。アリーと同じ年頃の女の子もいるぞ?」

 連れ立って門を出ながらラングが説明すると、アリーが嬉々として応じる。


「本当? お友だちになってもらえるかな?」

「大丈夫だよ。たくさん友達ができるさ」

「うん! ラングお兄ちゃんいこう!」

 アリーと手を繋いで歩き出したラングだったが、少し歩いたところで振り返り、立ち止まったまま雑踏を凝視しているルーナに声をかけた。


「ほら、ルーナも行くぞ! どうかしたのか?」

「あ、ええと……、はい。今、行きます」

(何もいないわよねぇ……。こんな街中だし、当然といえば当然なんだけど……)

 慌てて二人に追いつき、そのまま挨拶回りを始めたルーナだったが、つい先程感じた違和感は終始拭えなかった。


 連日、なにかと忙しいある日。ルーナは大きな籠を手に、イルマと連れ立って買い出しに出かけた。

「ルーナさんにお買い物に付き合って貰って助かります。本当は雇い主のご家族に、こういうことをしていただくのは、心苦しいのですが……」

「いえ、気にしないでください。イルマさんに色々なお店を教えて貰うついでですから。これまでの村とは比べ物にならない位お店がありますし、かなり物々交換していたんです。だから物価という物が良く分からなかったし、今回色々買ったことで勉強になりました」

「そうですか? それなら良かったです」

 それから笑顔で世間話をしつつ雑踏を歩いていた二人だったが、急にルーナが周囲を見回してから、慎重に問いを発した。


「あの……、イルマさん」

「どうかしましたか?」

「変なことを聞きますけど、この近くに山はありませんよね?」

 街路全面に石畳が敷かれ、周囲には石造りの建物しかない場所でそんなことを言われたイルマは、かなり当惑しながら答えた。


「え? ええ……。このダレンの街の周囲には、少し離れれば森はあるけど、山となると……。行くのは、馬車でも一日がかりではないかしら?」

「それなら、少し離れた森から、街中に野生の動物が入り込むことはありますか?」

「動物が? いいえ、それはないでしょうね。そんなものを見かけたら、忽ち噂になるでしょうし」

「そうですよね。すみません。変なことを聞いて」

「それは構わないけど……。ひょっとして周囲に緑が全然無いから、落ち着かないとか?」

 少々心配そうにイルマが推論を口にしてきたことで、ルーナは苦笑しながら頷いてみせた。


「そうかもしれません。でもそのうち、ここの暮らしにも慣れるでしょうし」

「そうね。それに暫くして落ち着いたら、皆さんで森にピクニックとか、私から提案してみようかしら」

「それは楽しそうですね」

(確かに環境の変化に、身体が追いついていないのかもね。そんなに神経質にならずに、様子をみよう)

 イルマの話に合わせて笑いながら、ルーナは内心で自分自身に言い聞かせていた。

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