(15)気配りの有無

「ウィルス様のリドガーン家では、代々嗅覚が鋭敏な方が多く出られるとか。ウィルス様もお茶の強い香りが、苦手なのではありませんか?」

 その問いかけに、彼は深く頷く。


「はい、まさにその通りなのです。ですが、訪問先で出された物を拒絶できませんし、香りが強くない物だと安物になってしまいますから、他人にも出せなくて困っております」

「実はそのカップの中身も、れっきとしたお茶なのですよ? 色も香りも明らかに違いますが」

「本当ですか?」

 目を丸くし、改めてしげしげとカップの中身を見下ろした彼に、レオノーラが説明を加えた。


「ええ。聞くところによると、普通のお茶は葉を発酵させる必要がありますが、この新しいタイプのお茶は、葉を収穫後に火を通すとか。それで味や香りに違いが出てくるそうなのです」

 それを聞いたウィルスは、感心しきった表情になった。


「全く知りませんでした。さすがレオノーラ様は、博識でいらっしゃる」

「私も、他の方から教えて頂きましたの。ワーレス商会で最近売り出された事を耳にしましたので、ウィルス様用に取り寄せてみました。如何でしょうか?」

「お気遣い、痛み入ります」

 そこで軽く頭を下げてから一口飲んでみた彼は、忽ち顔つきを明るくして感想を述べた。


「きつ過ぎない爽やかな香りと、ほのかな甘味。素晴らしい! 家の者達にも、早速このお茶の事を教えます!」

「喜んで頂いて、何よりですわ」

(何よ、そんな特別なお茶を準備していたなんて、始める前に言って無かったじゃない! 本当に陰険よね!)

 笑顔で会話している二人を横目で見ながらアリステアが八つ当たりをしていると、小物係の生徒がやって来て、アリステアの茶器を無言で片付け始めた。


「あ、ちょっと! 勝手に何するのよ!」

 その抗議の声に、相手は呆れ顔で言い返す。

「相手の方はいらっしゃいませんけど?」

「え? いつの間に!?」

「目の前に座っていた方が、席を離れたのにも気が付かなかったんですか?」

「……っ!」

 茶を飲んでいた筈の相手が、挨拶もせずにさっさと席を立っていたのに漸く気付いたアリステアは、接待係の侮蔑的な視線を受けて、怒りで顔を紅潮させた。しかし怒鳴り散らしたいのを何とか抑える。


(我慢、我慢よ。確かに隣の会話に気を取られて、さっきの人の相手が疎かになっていたのは確かなんだから。今度は気合い入れていくわよ!)

 そんなやる気を漲らせている彼女の前に、案内担当者に誘導されて、また一人の生徒がやって来た。


「さあどうぞ、座って下さい!」

「……ああ」

 アリステアが椅子を勧めると、彼はチラッとグラディクトが座っている方に視線を向け、溜め息を吐いてから無造作にそれに座った。


「ええと……、お名前は何と仰るんですか?」

「ジェラルド・ヴァン・ドートリス」

「わぁ! 素敵なお名前ですね! ジェラルドさんとお呼びしても良いですか?」

「家名のドートリスで」

 この場を盛り上げようと明るく声をかけたアリステアだったが、相手に素っ気なく返され、戸惑った表情になった。


「え? でも、ジェラルドさんの方が」

「呼ぶならドートリスで。もしくは呼んで頂かなくて結構です」

「はぁ……」

 取り付く島もないその様子に、アリステアは密かに八つ当たりする。


(何なの? こっちがフレンドリーに話しかけているのに、頭でっかちな人ね!)

(ふざけんなよ! 王太子殿下がさっきからこっちを睨んでるのに、そのお気に入りに名前呼びなんかさせたら、後からどんな難癖を付けられるか分からんだろうが! この女、俺に何か恨みでもあるのか!?)

 一方のジェラルドも、偶々休憩に入ろうとしたら順番がアリステアの席だった為、その日一日の運を全て使い果たしてしまった気分だった。そして徐々に険悪な空気となる中、先程と同様にポットに入ったお茶が運ばれてくる。


「お待たせしました、お茶です」

「……ああ」

 アリステアがお茶を入れたカップをジェラルドに差し出し、彼が仏頂面で飲み始める。


「あの……、美味しいですか?」

「……ああ」

「その……、ジェラルドさ」

「ドートリスです。もうお忘れになりましたか?」

「いえ、覚えています! その、ドートリスさんは自分の家を誇りに思っているんですね! 名前より家名で呼ばれたいなんて」

「自家を誇れない者に、貴族たる資格はない」

「…………」

(何なのこの人!? 家名しか誇れない、頭が軽い上級貴族ってタチが悪いわね!)

 完全に口を封じられたアリステアが怒りに震えていると、自然に隣の会話が耳に入ってきた。


「どうぞおかけ下さい、クライブ様」

「恐縮です、レオノーラ様。これまで直接の面識は無かった筈ですが、私の事をご存知でしたか?」

「姉君には、以前夜会でご挨拶した事があります。自分と良く似た容姿のあなたの事を『素直で優しい子です』と誉めちぎっておりましたのよ?」

 そう言ってレオノーラが微笑みかけると、クライブがっくりと肩を落とした。


「姉上……、勘弁して下さい」

「あなたとは少し年が離れておられますから、可愛くて仕方が無いのでしょうね。先年ご結婚なされて、今年ご出産されたと聞きました。ですが、産まれたのが双子だった為に、婚家のデューラー伯爵家では少々揉めておられるそうですね」

「そこまでご存知でしたか?」

 さり気なく告げられた内容を聞いて、クライブは驚いた様に目を見開いた。それにレオノーラが真顔で頷く。


「人伝に、小耳に挟みましたの。確かに、姑にあたる方は隣国の伯爵家の出身で、そちらでは双子は凶事の前兆と忌み嫌われておりますが、我が国ではそのような風習は無く、双子でも普通に健やかに育てられておりますのに」

「そうなんです! それで姉が『どうして双子なんか産んだのか』とか『お前の行いが悪いからだ』とか『即刻片方を捨てろ』などと散々な事を伯爵夫人から言われておりまして」

 急に勢い込んで訴えて来た彼に対し、レオノーラが心底同情する口調で応じる。


「それでは実家のご家族は、心配でたまりませんわね。かと言って他家の事に、安易に干渉するわけにも参りませんし」

「……はい、仰る通りです」

「それを聞いてから考えていたのですが、もし宜しければ私の母から、さり気なくデューラー伯爵夫人に意見して貰おうかと思うのですが」

「え? ラグノース公爵夫人にですか?」

 何故ここで全く関係のない公爵夫人の事が話題に出たのだろうと訝しんだクライブだったが、続くレオノーラの言葉で顔色を変えた。


「ご存じないかもしれませんが、私の母と、実家の公爵家を継いだ叔父は双子なのです」

「え!? それは本当ですか!?」

「はい。公式な夜会等で二人揃って顔を合わせた時に、双子が不吉云々など、公言できる筈もございませんでしょう? 現に双子でもちゃんと成長して、どちらも公爵と公爵夫人に収まっているのですから」

 そう説明すると、彼は一気に表情を明るくして叫んだ。


「是非とも、お願いします! 確かに、それ以上の実例はございませんし、説得力は抜群でしょう!」

「今現在開催されている王家主催の武術大会最終日に、各国から観覧にいらした使節団や大使を招いての夜会が予定されています。これなら国内殆どの貴族が参加する筈なので、早急に母と叔父に事情を説明して、その折にデューラー伯爵夫人を説得して貰いましょう」

 とんとん拍子に纏まった話に、クライブは涙を流さんばかりに喜んで、勢い良く頭を下げた。


「ありがとうございます! 本当に助かりました! 姉に代わって、お礼申し上げます!」

「まだ何もしておりませんし、私は口利きをするだけですから。首尾良く説得ができたなら、ご両親から母と叔父宛に、お礼状の一通も頂ければ宜しいですわ」

「お礼状だけなど失礼です! 必ず直にお伺いして、お礼申し上げます!」

 そこでちょうどお茶が運ばれてきた為、顔を紅潮させながら再度礼を述べた彼に、レオノーラが穏やかに微笑みながら声をかける。


「さあ、クライブ様。少し興奮してしまって、喉が渇いてしまったのでは?」

「頂きます。この間の懸念が解消する目途がついて、とても清々しい気持ちです」

「それなら宜しかったですわ。気持ち良く作業して頂く為に、私達がいるのですから。最後まで頑張って下さいませ」

「ええ、今なら一晩中だって作業してみせますよ」

「それは頼もしいですこと」

 朗らかに笑いながら会話している二人を眺めながら、アリステアは打ち合わせの時の光景を思い出していた。


(ちょっと待って……、今の双子の話、どこかで聞いたような……。隣国の話も……)

 そして思い至った彼女は、慌てて他のテーブルで楽し気に語られている話の内容に、耳を傾けてみる。


(あっちでは新規の街道整備の話……、こっちでは領内で害獣退治で、良質な毛皮が増産……。え? もしかして接待係の人達が話題にしている内容って、あの打ち合わせの時に皆が好き勝手に話していた事なの!?)

 その事実にアリステアが漸く気が付いて愕然としていると、彼女の向かい側の椅子が静かに引かれ、ジェラルドが静かに立ち上がった。


「……失礼する」

「あ、あの!」

 彼女が慌てて引き止めようとした所で、隣の席でもクライブが笑顔で立ち上がる。

「大変美味しく頂きました」

「お姉様の件、確かに承りましたわ。ご家族にも安心するように、お伝え下さい」

「宜しくお願いします」

 最後にもう一度深々と頭を下げて彼は離れていき、レオノーラもそんな彼を笑顔で見送っていた。しかしさすがに我慢できなかったアリステアは、そんな彼女に食ってかかった。

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