(19)延焼

「いや、驚いたな……。そういう事情だったとは」

「確かにシェーグレン公爵家は、一貫して否定していましたし。でもわざとそうしていたわけで、婚約話自体は確かにあったのですね」

「ナジェーク殿は、傍目には非の打ちどころのない青年にしか見えなかったがな」

「本当に、人は見かけによりませんわね」

「しかしあんな話、私だったら自分の娘にそんな縁談が持ち込まれたら、即行で断るが」

「全くだ。夫となる人間にあれだけ見下される上、周囲に全く期待もされず、あれだけ哀れまれるなんて」

「コーウェイ侯爵家は、この間自信満々に吹聴しておりましたけど、あの様子では到底ナジェーク様のお心を掴んでおられるようには見えませんわ」

「それなのに、いまだにナジェーク殿にしがみついているとは……。よほど他に貰い手が無いのか?」

「本当にそうですわね。確かに見た目はナジェーク様やコーネリア様と比べると見劣りしますけど、並み程度の容姿にお見受けしますが、他によほど酷い欠点がおありなのでは?」

「まあ! そうするとよほど頭がお悪いか、性格が破綻しておられるとか?」

「それは難儀な事。もうナジェーク殿しか嫁ぎ先がないと、コーウェイ侯爵夫妻が焦る気持ちも分かりますけれど……」

「三十年四十年先にステラ嬢がご結婚されるまで、コーウェイ侯爵夫妻の気が休まる時は無さそうですわ」

「……本当にご結婚できたらよろしいわね」

 自分達に向けられている視線と囁きが羨望と嫉妬からくるそれではなく、もはや嘲笑と侮蔑以外の何物でも無いと悟ったステラは、怒りのあまり顔を真っ赤にしながら周囲に向けて怒鳴った。


「……っ! わ、私は! こんな方と婚約なんかしておりませんわ!」

 勢い良くナジェークを指差しながらのステラの絶叫は、それだけで無礼だと礼儀に五月蝿いご婦人方には咎められそうだったが、ミレディアとコーネリアは相変わらず上品な笑みを浮かべながら冷静に応じた。


「ええ、つい先程、私達が説明したばかりですから、この場にいる皆様はちゃんとお分かりですよ?」

「ステラ様がわざわざ口にされなくても、皆様は優しい方々ばかりですから大丈夫ですわ」

 全く動じない二人に益々動揺しながら、ステラはなおも言い募る。


「私は! ナジェーク様がとんでもないナルシストだなんて聞いていなかったわ!」

「ええ、勿論お耳にしてはいなかったでしょうから、お話しした時はとても驚いていらっしゃったわよね?」

「でもその後、積極的に自分からナジェークとの縁談を周囲にお話ししておられるのを見て、なかなか見所のある方だと好ましく思っておりましたのよ?」

 下手に相手の話を否定せず、一部肯定した上で自分達に都合の良い情報で周囲の認識を上書きする作戦は現在進行形であり、ミレディアとコーネリアは微塵も容赦が無かった。


「だからそれは! 聞いていないと!」

「本当に、十年先か二十年先か分かりませんが、こういうご令嬢が義理の娘になるかもしれないと思うと、とても心強いですわ」

「私も二十年先か三十年先か分かりませんが、あなたのような気丈な方が義妹になるかもしれないと思うと、頼もしく思っておりますわ」

「…………っ!」

 シェーグレン公爵家が本気で自分を体よく二十年か三十年の間、仮の婚約者にするつもりだと思い込んだステラは、周囲からの好奇心に満ちた視線も相まって屈辱のあまり全身を震わせてから、勢い良く会場の出入り口に向かって駆け出して行った。


「ステラ! どこに行くんだ!?」

「お待ちなさい!」

 コーウェイ侯爵夫妻はナジェーク達の主張に全く反論などできないまま、慌てて娘の後を追って会場から姿を消す。


(やっと片付いたか。これでもまだこちらにまとわりつく気なら、一家揃って自虐趣味の持ち主だな)

 そう考えてナジェークが安堵の溜め息を吐いていると、全くいつも通りの様子で母と姉が声をかけてくる。


「それではナジェーク。皆様が詳細を知りたくて首を長くしてお待ちかねだから、私は徹底的にこの話を広めておきますね」

「私も、まだ挨拶がまだの方々に、声をかけてきますから」

「はい。姉上、母上、後で合流しましょう……」

 事も無げに断りを入れて別方向に向かって優雅に歩き出した二人を、ナジェークは諦めきった表情で見送った。するとこの間、ナジェーク達とは距離を取っていたイーサンとマリーアが、静かに近寄って控え目に声をかけてくる。


「あの……、ええと、ナジェーク? 大丈夫か?」

「イーサン殿……、お騒がせして申し訳ない」

 パーシバル公爵家が妻の実家である以上、彼は十分関係者の一人であった。当然ナジェークは彼に頭を下げたが、イーサンは心底同情する口調で宥めてくる。


「いや……、しかし君も難儀だな。昔から家族ぐるみの付き合いがあるから、私や家の者は、君がそういう性格の人間では無いと理解しているが……」

「ミレディア様やコーネリア様は、嬉々として先程の話を誇張されているとお見受けしますわ」

 夫に続いて、マリーアも離れた所にいる二人に目をやりながら思うところを述べた。それを聞いたナジェークが、達観した表情で告げる。


「ええ……。母と姉の手にかかれば、今夜中に私の『手に負えない究極ナルシスト』像と、ステラ嬢の『引き取り手の無い悪条件令嬢』像が確立されるでしょうね……」

「気を確かに持って、頑張ってくれ」

「心中、お察ししますわ」

「ありがとうございます」

 二人から憐憫の眼差しを向けられながら慰められたナジェークは、思わず深い溜め息を吐いた。すると背後から、ディグレスが声をかけてくる。


「ナジェーク」

「父上?」

 ディグレスを認めたイーサンとマリーアは、親子で話があるのだろうと察し、彼に一礼してその場を離れる。そして二人だけになってから、ディグレスはこの間の事を報告した。


「あの騒ぎの間、父上はどちらにいらしたのですか?」

「パーシバル公爵夫妻に、今回の騒ぎを引き起こした事を詫びてきたのだが……。お前の事で同情されて、慰められてきたところだ」

「……そうですか」

 父親にも迷惑をかけたと思いながらナジェークが頭痛を覚えていると、ディグレスが声を潜め、幾分心配そうに言い出す。


「今更だが、今夜の事は社交界に一気に広まるぞ? 例のお前の相手やその家族に、誤解される事は無いのか?」

「本人には予め説明済みですし、ご家族は私が何とかします」

「それならば良いが……。本当に王妃陛下は容赦がないな」

「きっと今頃この場を想像して、お腹を抱えて爆笑されておられるでしょうね。後日、首尾を報告に来るように厳命されましたが、その前に確実にお耳に入るでしょう。手ぐすねを引いてお待ちかねの様子が、目に見えるようです」

「……そうだろうな。お楽しみいただけそうで何よりだ」

 そこで二人は普段相当辛辣な性格ながら、かなり茶目っ気も持ち合わせているマグダレーナの姿を思い浮かべ、揃って遠い目をしたのだった。

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