(7)母からの叱責

「ハーバル教授は前々から、庶民の生活の変遷をまとめた本の原稿を執筆しているのだけど、適当な資料がなかなか集まらなくて難儀しているそうなの。それで私、思わず『その時代の庶民の生活状況や民間療法、生活必需品の相場などの資料だったら、総主教会が保管収蔵していますよ』と言ってしまって……」

「シレイア」

 途端にノランが渋面になりながら、咎めるように娘の名前を呼んだ。さすがに自分の発言に問題があるのが分かっていたシレイアは、慌て気味に弁解する。


「分かってる! 確かにお父さんが管理責任者ではあるけど、個人の所有物ではない代々国教会で受け継がれてきたれっきとした財産よ! それについて、勝手に口外したのはいけない事だと思うわ。だけどお父さん、以前から言っていたじゃない! 『あれらを大切に守ってきたが、これからもこのままで良いのだろうか。他に有効に生かす道があるのではないか』って! だから歴史の専門家だったら、それらを最大限に活かしてくれるんじゃないかしら?」

「それはまあ……、一理あるがな」

「それでね? ハーバル教授から『もし可能なら、御父上にそれらの収蔵品の閲覧をお願いできないだろうか?』と頼まれたから、つい『父は以前から保管している資料が有効活用されていないのを残念がっていますから、教授のご希望に合致する資料があればこちらに寄贈する事も検討して貰えるかもしれません』と言ってしまって」

 シレイアがそう口にした途端、ノランが何か言う前にステラの怒声が室内に響き渡った。


「何を言っているの、シレイア! あなたは大司教の娘ではあるけれど、総主教会には関係ない一般人です! それなのにれっきとした総主教会の財産について勝手に言及するなんて、何様のつもりなの!?」

「ステラ、落ち着け」

「これが落ち着いていられますか! シレイア! 総主教会の財産を私物化するような言動をするなんて、私はあなたをそんな風に育てた覚えはありませんよ!?」

「本当にごめんなさい!! つい、口が滑りました!!」

「『つい』ではないでしょう!!」

 頭ごなしに娘を叱りつけ、このまま延々とお説教が続きかねない空気に、ノランは溜め息まじりに妻に言い聞かせる。


「ステラ。お前の言い分はもっともだが、少し落ち着いてくれないか? 私が話せない」

「……分かりました」

 しぶしぶと言った感じでステラは口を閉ざし、ノランは真顔になって娘に視線を向けた。


「色々と言いたい事はあるが、ステラが一通り言ってしまったので、それには触れないでおく。それで? お前がそう言った時、ハーバル教授はなんと仰ったんだ?」

「それが……、一瞬驚いた顔をされた後、『それは嬉しいが、御父上には御父上のお考えがあるだろう。君に迷惑がかかるだろうし、今の話は気持ちだけありがたく受け取っておくよ。今度私から正式に、総主教会に対して資料閲覧の申し入れをさせて貰うから』と仰っておられたわ」

 それは真実であり、シレイアは素直にその時の状況を語った。それを聞いたノランの表情が、安堵したように和らぐ。


「なるほど。さすがは主幹教授を務められる方だな。筋の通し方を分かっておられる」

「それで『こちらからも提案があるのだが、国教会が設立初期に民衆の識字率を高める為に使用した教本が保管してある。これは国教会が所有する方が相応しいと思うので、もし今現在同様の物が総主教会で保管されていなければ、この機会に寄贈しようと思うから、一度現物を見に来てくれるように御父上に伝えて貰えないか』と言われたの」

 シレイアがその伝言を伝えると、ノランはつい先程とは打って変わって苦笑の表情になる。


「いやはや……。娘の戯言と言われかねない発言を穏やかに流してくれたばかりか、逆にご厚意を示していただくとはな……」

「本当に。下手をしたら言った言わないで揉めかねない事態になる所を……。ハーバル教授が人格者であられて、本当に良かったわ」

「ええと、その……。それで、ハーバル教授にどうお返事しておこうかしら……」

 苦笑いの父親とまだ怒りが静まりきらないらしい母親を交互に見ながら、シレイアは控え目に尋ねてみた。するとノランが、笑顔で告げてくる。


「その教本とやらと資料の保管状況に純粋に興味があるし、そこまでのご厚意を無下にはできない。資料を閲覧させてほしいと今夜中に手紙を書くから、明日帰る時に持っていってハーバル教授に渡してくれ」

「分かったわ」

 心底安堵しながら、シレイアは頷いた。しかしすかさずステラが苦言を呈する。


「シレイア。今後、無責任な発言は慎みなさい。あなたが考えなしな言動をすれば、ノランの名誉や評判にも傷がつきかねないのは分かっているわね?」

「はい! 今後は発言に重々気をつけます!」

「ステラ、もうその位で良いだろう。シレイアも反省しているし」

「あなたったら! 肝心な所で、いつもシレイアには甘いんだから!」

 今度は夫婦で揉め始め、シレイアは慌てて父と共に母を宥めることになった。


(良かった! 取り敢えず、第一関門クリア! 日程にあまり余裕は無いし、なんとかうまくいきますように! 神様、どうかよろしくお願いします!)

 シレイアはステラをなだめすかしながら、なんとか自分の計画が成功しますようにと、密かに神に祈りを捧げていたのだった。






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