第6章 “被害妄想”は、結局、妄想でしかありえません

(1)学園一の問題児

 新年度が始まり、専科上級学年に進級したエセリアは、例によって例の如く《チーム・エセリア》の面々を招集し、カフェで周囲に気を配りながらテーブルを囲んでいた。


「この学園での生活も、残り一年を切りましたわね……」

 彼女がそう穏やかな口調で会話の口火を切ると、サビーネが少し意外そうに感想を述べる。


「エセリア様は、随分余裕でいらっしゃいますのね。学園を卒業したら、公務への参加や結婚式に向けての準備が、加速する筈ですのに」

「全く焦っていないと言ったら嘘になりますけど、変に慌てても仕方がないでしょう? 取り敢えず、情報収集はきちんとしておくつもりですから」

「それなら宜しいのですが……」

 微笑んだエセリアを見て、サビーネもそれ以上の不安は口にせずに押し黙ったが、それを機にローダスが口を開いた。


「取り敢えず殿下に関しての報告ですが、ライアン殿とエドガー殿を側付きから外して以来、他の三人との関係も悪化していると思われます。新年度に入ってから接触した時の推測ですが、殿下はディオーネ様に叱責されて、側付きを解任したくてもできない状態らしいですね」

「その三人は、確実に逃げ遅れましたね。殿下が問題を起こしたら、巻き添えを食って責任を問われるのは確実です」

 同様に感じていたらしいシレイアが小さく肩を竦めると、エセリアが苦笑いで応じる。


「本当に忠実な人間なら、解任覚悟で叱責するでしょう。そんな気概も無く、ただ長いものに巻かれているだけの人間なら、当然の報いでしょうね。皆さんが気にする事ではありませんわ」

 そんな辛辣な台詞を聞いても誰も反論する事無く、無言で頷いたが、ここでミランが思い出したように言い出した。


「そう言えば、『余計な人目を気にする事無く、勉学に励む場所を確保したい』と殿下が主張して、統計学担当のグレービス教授から、半ば強引に資料室を使わせて貰う許可を取り付けたそうです」

 それを聞いたエセリアは、真顔で考え込んだ。

「確か……、グレービス教授は、ディオーネ様の実家の、遠戚に当たる方だったかと……。そんな繋がりで職場で無理難題を言われるだなんて、本当にお気の毒だわ」

 しみじみとした口調でエセリアが同情すると、カレナとシレイアが憤慨しながら言い出す。


「本当に、理由にもなっていませんよね! 人目を気にして勉強できないなら、寮の自室に籠もって勉強しなさいよ。何の為に全員、寮に個室を与えられていると思っているのよ」

「人目を気にせず、アリステア嬢と過ごしたいからに決まっているわよね」

「実はエセリア様。そのアリステア嬢ですが、貴族科クラスで随分問題になっているんです」

「問題? どんな事で?」

 カレナの訴えにエセリアが問い返すと、彼女は渋面になりながら詳細を説明した。


「知識教養が不足しているのが一番の問題ですが、それよりも礼儀作法一般が全く身に付いていなくて。各専科に分かれると専門的な授業が増えますから、前年の教養科在籍の頃より礼儀作法の時間が増えて、内容も細かくなっていくのはご存じかと思いますが」

「ええ、でも細かいと言っても、それほどの事ではないと思うのだけど?」

 不思議そうに問い返したエセリアに、カレナは笑いながら説明を続けた。


「エセリア様のような公爵家の方だと、王宮に出向かれる機会も多いですから、自然に公式の場などでの立ち居振る舞いも身に付いていらっしゃるとは思いますが。私達下級貴族の者ですと、社交界デビューも同レベルの家での夜会で済ませる事が多いですし、専科に進級してから初めて教えて頂くしきたりなどが、色々ありますから」

「そういう物なのね。勉強不足だったわ」

「いえ、立場が違えば、それに応じて身に付いている内容も違うと言う事ですから」

 素直に頭を下げたエセリアを笑顔で宥めたカレナだったが、次の瞬間、顔を強張らせながら話を続けた。


「ですがあの人も一応子爵令嬢の筈なのに、全くと言って良いほど基本的なマナーが身に付いていないのです。あの方のせいで、度々授業が中断する事態になっておりまして。周りが迷惑しております」

 そこでサビーネが、貴族科で無い者にはピンとこないかもしれないと察し、さり気なく説明を加えた。


「専科の礼儀作法の授業は座学は殆ど無くて、主に実践で行われていますから。様々な場面でどう行動するべきかを、教授達の前で行ってみせるから、一人がつかえてしまうと後の方々の指導に差し支えてしまうの。本来そんな事は、滅多に無いのだけど……」

「お茶会や夜会、食事会。お見舞いや各種祝宴でも、その主催者の身分や規模、同席する人達のレベルで、自分がするべき振る舞いが変わってくるわけだから、それを教授方にチェックして頂くのよ」

 エセリアもそう言葉を添えると、シレイアは途端にうんざりした顔になった。


「うわ……、聞いているだけで大変そうです。赤字覚悟の事業計画を立てる方が、精神的に楽かも」

「私だったら、そちらの方が嫌だわ」

 サビーネが思わず笑ったところで、エセリアが話を元に戻した。


「そうなると、アリステア嬢に対する駄目出しが頻繁で、授業が予定通り進まないのかしら?」

「はい。それで来週から礼儀作法の授業は、彼女だけ別教室で個別授業を受ける事になりました」

 その報告を聞いたサビーネとエセリアは、あまりの事態に唖然としてしまった。


「どれだけ酷いの……。私達の学年にも覚えの悪い方はいて、頻繁に叱責されてはいるけど、個別授業など受けてはいないのに」

「担当になられた教授は大変ね。一人に付きっきりで指導しなければいけないなんて」

「因みに、彼女の担当はセルマ教授です」

「…………」

「え?」

「どうかされましたか?」

 何とも言い難い表情で告げたカレナと、ピキッと固まったエセリアとサビーネを眺めながら、他の三人が訝しげに問いかけると、乾いた笑いを浮かべながらの呟きが返ってきた。


「いえ、ちょっと……。そう、セルマ教授が……。ちゃんと、身に付くと良いわね」

「彼女は超ベテランで、私達も何度もビシビシ指導された事が……。その彼女に、個人指導……」

 そしてエセリアは、ある事を思い出しながら考え込む。


(アリステアが彼女の激烈指導に音を上げて殿下に泣きついて、それを真に受けた殿下が怒鳴り込みでもしたら、結構面倒なんだけど……。それに本来のストーリーから考えると、時期的に今頃からかしら?)

 そこで真剣に考え込んでいたエセリアに、ミランが不思議そうに声をかける。


「エセリア様、どうかしましたか?」

「ちょっとね。殿下がセルマ教授に、抗議する可能性を考えていたのよ」

「やりかねませんね……。『アリステアはこんなに努力しているのに、貴様の教え方が悪いから身に付かないのだろうが!』とかですか?」

「凄いわ、サビーネ。今の言い方、凄く似ていたわよ?」

「ありがとうございます」

 グラディクトの口調を真似てサビーネが恫喝してみせた為、エセリアは思わず笑い出して誉めた。それで一瞬場が和んだが、ローダスが難しい顔をしながら言い出す。


「確かにありそうですが、教授に楯突いたら幾ら何でも拙いのではないですか?」

「そうなのよね……。だからここはあなた達に、上手く殿下達を宥めておいて欲しいの。『殿下の側に居るには、それ相応の礼儀作法を身に付けている必要があります』とか、『公の場に出るようになってからアリステア嬢に恥をかかせないように、ここは堪えて下さい』とか言い聞かせて貰えれば」

 エセリアがそう依頼すると、他の者は頷きながら了解した。


「本当にその通りですね」

「それなのにそんな道理も、人から言われないと分からないなんて」

「まあ、そういう人間だから、どうとでも動かせられるのではない?」

「確かにそうかもしれません」

 そして皆が一通り述べたところで、エセリアが新たな指示を口にする。


「それから頃合いを見て、さり気なく殿下に吹き込んでおいて欲しい内容があるのだけど」

「どう言った内容でしょうか?」

 それからエセリアが一通り語り終え、皆が了解したところで、話題は普通一般の世間話に移行し、気心の知れた面々は楽し気に語り合った。


(これで噂話云々は、二人が勝手に誤解してくれるようになると思うけど、アリステアが個人授業を受けているとはね……。個人授業、ね。後からこれも、利用できそうだわ)

 穏やかに微笑みつつお茶を飲んでいたエセリアは、その合間にもこれから打てる手について、抜け目なく考えを巡らせていた。

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