(25)ルーナの懇願

 年度末休暇中にもエセリアは精力的に活動し、各種の茶会や夜会に仏頂面のグラディクトのパートナーとして参加する他、久しぶりに国教会総主教会にも足を運んだ。


「お久しぶりです、ケリー大司教様。前回こちらに出向いた時には、スミオン大司教が対応して下さいましたから、お会いするのはほぼ一年ぶりですね。ご壮健のようで何よりです」

 笑顔で挨拶して頭を下げると、ケリーも嬉しそうに相好を崩しながら答える。


「エセリア様こそ、最近ワーレス商会で売り出された画期的な画材が、あなたが発案された物だと聞き及んでおりますよ? 相変わらずご活躍のようですね」

「確かに案を出したのは私ですが、それは実際に開発に成功した、ワーレス商会の地道な努力の賜物ですわ。ですからそれに関する私の取り分は、これまでの開発費としてワーレス商会に取って貰う事にしましたし」

「確かに開発にかかった費用は取る予定らしいですが、ワーレス商会はそれ以降の利益の一定割合を国教会に寄付して下さるそうです」

「まあ、そういう話になっていたのですか?」

 手振りで勧められた椅子に座りながら、初めて耳にした内容についてエセリアが問い返すと、ケリーは更に笑みを深くしながら告げた。


「はい。この前ワーレス殿がこちらに出向かれた時に、大金を寄付していかれながら、一連のお話を誇らしげに語って下さいました。おかげで国教会内でのあなたの信奉者が、また少し増えましたよ?」

「恐れ多い事ですわ」

「それでは早速、この間のご資金の貸し出し実績と、回収分の利益の報告をさせて頂きたいのですが」

「お願いします」

 そしていつも通りのやり取りをし、報告書の数字と手元の袋の中の総額を確認したエセリアは、報告書はそのままに、袋だけをケリーの方に押しやった。


「確認致しました。それではこちらを、いつも通りに取り計らって下さい」

「ありがとうございます。……ところでエセリア様は、以前お話ししたアリステアの事を、覚えていらっしゃいますか?」

「……え?」

 唐突な話題転換に一瞬付いて行けず、焦ったエセリアだったが、すぐに気を取り直して応じた。


「ええ、勿論ですわ。直接お話しした事はありませんが、何度かお目にかかりましたし。音楽祭では、私の次に演奏されましたから」

「そうでしたか。実はそのアリステアが学年末休暇で修道院に戻りまして、そこで彼女の話を色々聞いてきたのですが、その音楽祭を自ら提案して、実行委員長として見事に成功させたとか。演奏も拍手喝采がなかなか収まらずに、五曲も弾く事になったと笑って教えてくれましたが、それは事実でしょうか?」

 幾らか心配そうにケリーに問われたエセリアは、取り敢えず事実だけを口にした。


「ええ……、確かに私を含む他の方が全員一曲ずつの演奏でしたのに、彼女は五曲演奏していましたね……」

「それでは剣術大会で、恐れ多くも王太子殿下のご挨拶の草稿作成を任されて、きちんと役目を果たした上に、観覧にいらした側妃の方々から、お褒めの言葉を頂戴したとか」

「はぁ……、確かに側妃お二人に、殿下から紹介されておりましたね……」

 微妙過ぎる表現で詳細についての説明を避けたエセリアだったが、それを聞いたケリーの表情は、当初の憂い顔から晴れやかな物へと変化した。


「そうでございましたか。いや、彼女の話を頭から疑う訳では無かったのですが、王太子殿下直々にご紹介される栄誉に預かるとは、少々信じられなかったものですから。エセリア様からお話を聞いて、安堵致しました」

「私の話で大司教様の憂いが取れたなら、何よりですわ」

「彼女の事は、本当に心配しておりましたので。普通の貴族子女としての生活を送ってはおりませんでしたし、十分な教育を受けたとも言い難い。クレランス学園に入学しても、周りから浮いてしまうのではないかと……」

 しみじみとした口調で語るケリーに、「実際にクラスの中で浮きまくっています」とは言えず、エセリアは軽く頷くに止めた。


「以前彼女の入学前にお話を伺った時も、同様の懸念を口にされていらっしゃいましたわね」

「はい。ですが親身になって話を聞いてくれる友人が、何人もできたそうで。その方達の話も聞かせて貰いました。モナさんとか、アシュレイさんとか、他にも何人かのお名前を。『皆さん貴族なのに、権威におもねる事のない、素晴らしい人達です』と、誇らしげに語っていました」

「……それは良かったですわね」

(やっぱりシレイア達しか、まともに話している相手がいなさそう。それに一応、王太子殿下と懇意にしている事は、現時点では伏せているみたいね)

 真っ先に自慢する筈のグラディクトの名前が、側妃に紹介して貰った時の口利きの時にしか聞かれなかった事で、エセリアは正確に現状を把握した。


「勉学にも励んでいるみたいで、学年末の成績は見事に学年で十五位に食い込んで、官吏科への進級が決まったのですよ? 本当に、安堵致しました。それで」

「はぁあ!?」

 しかし続けてさらりとケリーが口にした内容を耳にして、エセリアは思わず素っ頓狂な声を上げた。それを聞いたケリーが話を止めて、驚いた様に尋ねてくる。


「エセリア様、どうかされましたか?」

「あ、いえ。何でもありませんわ。お気になさらず。ちょっと急に思い出した事がありまして、失礼致しました」

(ちょっと待って。彼女が学年十五位って、あり得ないわよね? だって正確なところは分からないけど、小テストでも散々な成績で、頻繁に居残りとかさせられているってミランが言ってたし。上から十五番じゃなくて、下から数えて十五番目じゃないの?)

 成績を誤魔化すにも程があるとエセリアが心底呆れていると、ケリーが穏やかな笑顔で、嬉しそうに話を続けた。


「本当に、まさか彼女がそこまで良い成績を取れるとは……。きっと入学してから、死に物狂いで勉強しているのでしょう。このままの成績で頑張れば、確実に王宮に官吏として採用して貰えます。あの子の人生を父親や周りの思惑ではなく、己の力量と意思で決められるのです」

「……その成績なら、確かにそうですわね」

(“本当に”その成績だったらの話ですけどね。ローダスから殿下が休暇前に、また事務係官に成績用紙を融通させたと聞いたけど、幾ら何でも盛り過ぎでしょうが。それに『官吏科に進級』って……、調子に乗ってそんな事まで口にするなんて、呆れて物が言えないわ)

 憮然としながらも嘘をつかれたと分かった時のケリーの心境を思ったのと、ここでアリステアの真の姿を暴露したら厄介な事になるのは確実だった為、エセリアは余計な事は何一つ口にしなかった。


「以前、何かあったらご助力願いますとエセリア様にお願いしましたが、年寄りの取り越し苦労でした。エセリア様におかれましては、余計な気を遣わせてしまったかと思いまして、一言お詫びをと思っておりました」

 そう言って深々と頭を下げたケリーを見て、エセリアは彼に正直に話せない罪悪感を覚えつつ、慌てて声をかけた。


「大司教様、頭を上げて下さい。実際に私が彼女に何か手を貸したわけではありませんし、気にされる必要はございません。寧ろここは、私が介入するような事態が無くて良かったと、喜ぶべきところでしょう」

「はい、エセリア様の仰る通りですね。これから万が一、あの子が困った事態になったならば、ご助力を宜しくお願いします」

「その心配は無いかとは思いますが、できる範囲でご助力致しますわ」

 そして頭を上げた彼と笑い合い、エセリアは多数の司教達に見送られて総主教会を後にしたが、馬車に乗り込んだ途端、怒りの形相を隠そうともせずにアリステアとグラディクトについて考え始めた。


(小手先の嘘をついたって、いつか必ず露見するわよ。それなのに、あんなに本気で心配してくれているケリー大司教に大嘘をついてぬか喜びをさせて、良心は全く痛まないわけ? それに学園の成績記録を改ざんしてはいないけど、平然と成績を偽る事に手を貸すなんて、殿下もろくでもないわね。一度やったら二度も三度も同じかもしれないけど、まさか彼女が卒業するまで、ずっと続けるつもりじゃないでしょうね!?)

 そしてカーテンを開けた窓から動く街並みに目を向けながら、無意識に声に出して呟く。


「……ムカついたわ」

「え? な、何がでございますか?」

 ここまで付き従い、総主教会の入り口で合流してから、微妙にエセリアの機嫌が悪い事に気付いたルーナは、馬車の中ではできるだけ遠い対角線上の席に座っていたが、その呟きにビクリと身体を震わせて問いかけた。しかしそれを聞いているのかいないのか、エセリアが続けて怒りを内包した声で独り言のように口にする。


「あの二人の無神経さに、本気で腹が立ったわ」

「あの……、ですから、一体何に対して腹を立てていると……」

「もう良心の呵責なんて、金輪際存在しないわ。徹底的に嵌めて、本格的に痛い目を見させて、否が応でも目を覚まさせてやる」

「ですから一体、何のお話をされているんですか!? お願いですから二人きりの場所で、そんな物騒な話はお止め下さい!」

 固く決意したエセリアの独白に、ルーナの本心からの悲鳴が重なり、シェーグレン公爵家の馬車の中は混沌とした空間となっていた。 

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