(20)二つ目の目的

「エセリア様、申し訳ございません!」

 来客用の応接間の一つに入り、ソファーに向かい合って座るなり勢い良く頭を下げられた為、エセリアは本気で目を丸くした。


「ラミアさん。どうかしましたか?」

 取り敢えずエセリアが事情を尋ねてみると、ラミアは顔を蒼白にしたまま、説明を始める。


「先ほど店に、国教会総主教会から使者が参りまして、五日後に開催予定の査問会への出席を要請されました」

「要請と言っても、事実上の強制だよ。万が一、正当な理由も無く拒否したら、問答無用で破門されるだろうし」

 彼女の横で、ミランが忌々しげに呟くのを聞いて、エセリアは事態をほぼ正確に悟った。


「査問会……。それは『紅の輪舞』と『愛憎の幕間』、それに『果てなる幻想』の内容についてかしら?」

「当たり前じゃないですか……。だから駄目だと言ったのに……」

 ミランは両手で頭を抱えながら、愚痴めいた呻き声を漏らしたが、ラミアは気丈にもはっきりとした口調で、重ねて謝罪してきた。


「エセリア様。この度は私どもの不手際でご迷惑をおかけする事になってしまい、誠に申し訳ございません」

 それを聞いたエセリアは、若干困った顔をしながら彼女を宥めた。


「ラミアさん。あの本を書いたのは私なのよ? 私があなた達に迷惑をかける事はあっても、その逆は無いでしょう?」

「いえ、今日店に教会からの使者がいらした時、店の責任者と本の作者に出席要請が出ているとのお話だったのです。それで使者殿に『マール・ハナーなる人物はどこに居るか』と問われた時、私が書いた事にして誤魔化そうと思いましたのに、店員の一人が馬鹿正直にエセリア様のお名前を出してしまいまして……。私とエセリア様に出席するように、厳命されました」

 そこで悔しそうに小さく歯ぎしりしたラミアを見て、エセリアは困った様に微笑んだ。


「その店員さんを怒らないでね? その人は正直に口にしただけだから。寧ろ、私に声がかかって良かったわ」

「そんな! 国教会でも最高の権威を有する、総主教会での査問会ですよ!? その内容が公になったりしたら、エセリア様と公爵家の名前に、取り返しの付かない傷が付いてしまいますのに!」

 ラミアが悲鳴じみた声を上げたが、エセリアは自分だけに聞こえる程度の声で呟いた。


「それだと、こっちは願ったり叶ったりなのよね。どう考えても王子の婚約者なんかにはなれなくなるだろうし。でも、家族に迷惑がかかるのは困るのよね……」

「はい? 今、何か仰いましたか?」

「ううん、こちらの話だから気にしないで」

 そこで話を誤魔化してから、エセリアは唐突に言い出した。


「実はラミアさん。今まで内緒にしていたけど、私があの手の本を出したのには、ああいう内容を書いてみたいと言う事の他に、ちょっとした理由があったの」

「他の理由、ですか?」

「ええ。それを説明する物を今持ってくるから、取り敢えずお茶を飲んで、気持ちを落ち着かせていてくれないかしら?」

「……はい。エセリア様がそう仰るなら、お待ちします」

「それじゃあ、少しだけ抜けますね」

 当惑しながらも素直に頷いたラミアに礼を言い、エセリアが席を外した。そして再び親子だけになった応接室で、ラミアが何とか気を取り直すべく冷めたお茶を飲んでいると、ミランが不安で一杯の顔で尋ねてくる。


「母さん、一体どういう事かな?」

「分からないわ。でもエセリア様は何やら考えがおありのご様子。それを伺ってから公爵夫妻にお詫びと今後のご相談をしても、遅くはないでしょう」

「そうだね」

 事ここに至って、完全に腹をくくったらしい母親を見て、ミランも何やら悟るものがあったらしく、大人しくエセリアが戻るのを待った。それから少しして、エセリアが紙袋を抱えて姿を現した。


「お待たせしました。ラミアさん。これに一通り目を通してみて」

「拝見します」

 恭しく受け取った袋から書類の束を取り出したラミアは、その表紙に書かれた題名を見ただけで驚愕の顔付きになって絶句した。


「……エセリア様、これは!?」

 しかしそんな彼女とは対照的に、エセリアは落ち着き払って口を開いた。

「私、ミランと初めて会った頃に、ワーレスがお父様にお金を借りた事を聞いたのだけど、それからずっと考えていたの」

「え? 僕の話ですか?」

 自分の名前が出てきた事で、思わずミランが尋ね返すと、エセリアは軽く頷いて続けた。


「ええ。こうも言っていたでしょう? お金が集まる所は、国王陛下や貴族の所や、商人や教会だって」

「それは……、確かに、そんな事を言った気もしますが……」

「これは勿論、教会だけではできないし、国王陛下のご裁可も必要だわ。だけど王宮にコネを持つ人間がここに居るしね」

 そう言って笑いながら自分を指差したエセリアを見て、パラパラと用紙をめくって素早く内容を確認していたラミアは、真剣な表情で問いかけた。


「エセリア様は、本当にこれが可能だとお思いでしょうか?」

「ラミアさんがこれに賛同して、協力してくれるなら可能だと思うの。どう? 私の話に乗って貰えるかしら?」

 そこで逆に問い返したエセリアに、ラミアは尊敬の眼差しを送りつつ、感極まった様子で力強く頷いた。


「はい! 喜んでお手伝い致しますし、一口も二口も噛ませて頂きます!! お任せ下さいませ!!」

 それにエセリアが、満足げな笑顔で頷く。

「良かった、交渉成立ね。それじゃあ早速、査問会での話の流れを打ち合わせしたいのだけど、時間は宜しいかしら?」

「はい、幾らでもお付き合い致します」

 そこでエセリアは、唖然とした顔つきになっていたミランに声をかけた。


「ミランはどうする? 先に帰っても構わないのだけど」

 しかし彼は、真顔で首を振った。

「……口は挟みませんので、後学の為にこちらに控えさせて下さい」

「そう? それじゃあラミアさん。総主教会の査問会と言うからには、この問題を教会側は、相当重要視していると思うのだけど」

「はい。審問する側の方は、教会内部でも上層部、大司教クラスが複数人集まるのではないかと推察します」

「益々好都合ね」

 そこで早速女二人は、手元に用紙を広げながら真剣な顔で当日予想される質疑応答や意見のすり合わせを始め、それをミランは始終茫然自失状態で眺め続けていた。


「それではラミアさん。当日はうちの馬車をワーレス商会に寄らせるから、一緒に総主教会に行きましょう」

「はい、お待ちしております」

 結構な時間をかけて話し合った後、玄関ホールまで付いて来たエセリアに、ラミアは深々と頭を下げた。そしてミランを連れて玄関を出て、待たせていたワーレス商会の馬車に乗り込む。

 乗り込んでからも馬車の中は暫く無言だったが、ミランがしみじみとした口調で言い出した。


「母さん……、やっぱりエセリア様は天才だね……」

 それに深く頷きながら、しかし顔には僅かに笑みを浮かべながら、ラミアが息子に宣言する。


「本当にそうね。確かに方法は荒っぽいけど、これで確実にお偉方に話が伝わるわ。この話、なんとしてでも纏めてみせるから」

「うん、頑張って、母さん」

 そして親子は、出た時の表情とは比べものにならない生気溢れる顔で、自宅へと戻って行った。

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