第5章 “常春ペア”は、底が抜けてて手が焼けます

(1)音楽祭の公表

 音楽の授業が終了した為、友人達と一緒に音楽室を出て廊下を歩き出したエセリアだったが、彼女達の話題は当然、先程の授業終了間際に、担当教授から告げられた内容についてだった。


「先程のドリー教授のお話は、随分唐突でしたわね」

「ええ。いきなり『音楽祭』などと言われても……、どうすれば良いのか分かりませんし」

「私、身内やごくごく親しい方同士の集まり以外では、演奏を披露した事はございませんが……」

「私も似たようなものですわ。どうしてわざわざ全校生徒の前で、披露しなければいけませんの?」

 彼女達が怪訝な顔を見合わせながら歩いていると、背後から人波をかき分けながらグラディクトが駆け寄って来た。


「エセリア、ちょっと待て!!」

「殿下!」

「お待ち下さい!」

「……騒々しいですわね」

「何事ですの?」

 その怒声に渋面になりながら、彼女達が足を止めて振り向くと、追いついたグラディクトが、前置き無しに言い出した。


「おい、授業の最後に説明のあった、音楽祭の事はちゃんと聞いていたな?」

「はい、勿論ですが。それが何か?」

「それなら当然、お前は参加するんだろうな?」

 その一方的な物言いに、周りの女生徒たちは無言で眉根を寄せたが、エセリアは平然と言い返した。


「どうして私が、参加しなければならないのですか?」

「私が剣術大会と同様、名誉会長を務めるからだろうが。婚約者のお前が協力しなくて、どうすると言うんだ?」

「私が参加しなくとも、他に優秀な方が幾らでもいらっしゃるのでは?」

「お前が音楽が不得手なのは知っているがな、まさか後ろ指をさされる程ではあるまい? 私の婚約者として、音楽祭成功に向けての誠意を見せて貰いたいものだな」

 そう言って、些か馬鹿にするように笑ってみせた彼を見て、周りの女生徒たちは更に咎める様な顔つきになったが、エセリアは淡々と了承した。 


「分かりました。教授には、私の方から参加申し込みをして」

「お前がそう言うだろうと思って、もう済ませておいたからな。ありがたく思え!」

「そうでしたか。お手を煩わせて、申し訳ございません。ありがとうござい」

「それでは当日、仮病など使って逃げるなよ! 分かったな!」

 一々エセリアの台詞を遮りつつ、一方的に言うだけ言って上機嫌に引き上げて行った彼を見て、周囲の者達は呆気に取られた。


「一体、何なのですか? あの殿下の物言いは」

「それにしても……、エセリア様は別に音楽が苦手ではいらっしゃいませんよね? 何か変な誤解をなさっているのではありません?」

 そんな素朴な疑問に、エセリアは笑って答える。

「確かに誤解なのですが、それを正すのも説明が面倒なので、そのままにしておいて頂けますか? 音楽が不得意だと思われても、私は別に何とも思いませんし」

「はぁ……」

「エセリア様がそう仰るなら……」

 怪訝な顔になりながらも、彼女達は素直に頷き、すぐに別な話題で盛り上がりながら移動を開始した。


(想像通り、私の参加をごり押ししてきたわね。あまりにも筋書き通りで、少し面白くないわ)

 そんな事を考えて笑いを堪えていたエセリアだったが、一方のグラディクトも事がうまく運んだ為、ほくそ笑んでいた。


(ああ言えば、さすがにエセリアも後には引けまい。当日、仮病を使って休んだら、婚約者の私に対して非協力的で、あるまじき振る舞いだと非難すれば良いし、素直に参加したらアリステアの直前に順番を組み込んで、その下手さを全校生徒に印象付けてやる! どちらに転んでも、私の損にはならないな)

 自分の手腕に満足しながら歩いていた彼に、背後から声がかけられた。


「あの……、グラディクト殿下」

「何だ?」

「先程のエセリア嬢に対する発言は、少々拙いのではないですか?」

「おい、ライアン、よせ!」

「何を言い出す気だ!?」

 後に付いている側付き達の焦った声が聞こえる中、グラディクトは気分を害しながら足を止め、背後を振り返った。


「は? まさかお前、私に意見する気か?」

「ですが、先程のエセリア様の様子を拝見致しますと、音楽は少々不得手のご様子。それなのに音楽祭なる得体の知れない物に参加を強制して、万が一、彼女に恥をかかせる事態になっては、殿下のお名前にも傷が付きかねません」

 仲間たちが顔を真っ青にする中、真っ当な進言をしたライアンだったが、それは怒声によって報われる事となった。


「『得体の知れない物』とは何だ! 無礼だろうが!」

 アリステアの為に企画したそれを非難され、グラディクトは本気で腹を立てたが、一つ言ってしまえば二つも三つも同じだと完全に開き直ったライアンは、彼よりも声を荒げて言い募った。


「ですが本当の事です! この際、無礼を承知で言わせて頂きますが、長期休暇前から私達を遠ざけた上で、側に寄せている女生徒は何ですか!?」

「……黙れ」

「いいえ、黙りません! 噂を拾ってみれば、子爵家風情の礼儀も知識も全くと言って良い程身に付いていない、取るに足らない」

「黙れと言っている!!」

「ぐあっ!」

「ライアン!」

「殿下! こんな所でお止め下さい!」

 アリステアを真っ向から非難されて、グラディクトはライアンを手っ取り早く黙らせる為、問答無用で殴り倒した。まさか学園の廊下でそんな暴挙に及ぶとは考えてもいなかったライアンは、頬にまともに拳を受けて廊下に転がり、友人達は慌ててグラディクトの腕を取って押さえる。


「もう良い、ライアン! たった今、貴様の俺の側付きの任を解く! 詫びを入れても無駄だぞ! 父親の伯爵に、貴様の無能さを叱責されろ!」

 そうグラディクトが吐き捨てると、ライアンはゆっくりと一人で立ち上がりながら、冷め切った目で淡々と言葉を返した。


「……そうですね。あなたの罵倒より父の叱責の方が数倍筋が通っていますから。甘んじて受けましょう。それでは失礼します。以後、ご用命は承りませんので、お声はかけないで頂きたい」

「誰がかけるか! おい、行くぞ!」

「あ、は、はい!」

「殿下、お待ち下さい!」

 側付きの者達は、憤然として歩き去るグラディクトの後を慌てて追いかけ、ライアンは妙にすっきりとした表情で、彼らとは逆方向に歩き出した。



「まあ……、それでは仲間割れ?」

 偶々、その一部始終を目撃していたシレイアが報告すると、エセリアは少々驚いた顔つきになった。しかし彼女が笑って返す。


「仲間と言っても、親の言いなりに殿下に付いていただけの、腰巾着でしたが」

「だが側付きの中でも、ライアン殿は比較的常識的だったし、幾ら父親から『殿下のご機嫌を取っておけ』と言われても、これまでにも色々と思う事が有ったのでは?」

「そうでしょうね」

 昨年から冷静にグラディクトの周囲を観察していたローダスが思う所を口にしてみると、エセリアも納得したように頷く。それを見たシレイアが、一応提案してみた。


「エセリア様、どうしますか? 彼をこちらに引き込みますか?」

 しかし彼女は、それに笑って首を振る。

「例え不本意だったとしても、今まで主として仕えていた人間が対抗意識を燃やしていた人間に、すぐに進んですり寄ろうと思うかしら? 根が真面目な人間なら、尚更」

「それはそうかもしれませんね……」

「でも、殿下からある事無い事を吹き込まれた親から、理不尽な叱責を受けるのは気の毒だから、私からクレスコー伯爵に、第三者の立場で一筆書いておくわ」

 唐突にエセリアがそう言い出した為、ローダスとシレイアは、思わず顔を見合わせた。


「エセリア様が書いた物を、クレスコー伯爵が信じて下さるでしょうか?」

「自分の益になると思って、息子を殿下の側付きにしていたわけですし……」

「それは伯爵次第よ。そこまでは私の関知するところでは無いわ」

「それはそうですね」

 笑ってエセリアに言い聞かされた二人は、すぐに納得し、そこでグラディクトに関する話題は終了した。


「アリステア。今日の音楽の授業の時に、音楽祭についての告知がされたのだが、そちらのクラスでは発表があったか?」

「いえ、音楽の授業は明日ですから、その時に発表される事になるんですね?」

「そうだな。開催が楽しみだ」

「はい、私もです! きっと成功させましょうね!」

 そしてその日も、良い顔をしない側付き達を追い払ってからアリステアと会っていたグラディクトは、満面の笑みで喜んでいる彼女を眺めながら、音楽祭の成功を心の中で誓っていたのだった。

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