(9)非凡さの再認識

「シレイア。賜った領地について、私はちょっとした《特区構想》を考えているの」

「『とっくこうそう』ですか? それは初めて耳にするフレーズですが……」

 そんな台詞から始まったエセリアの説明に耳を傾けつつ、まずアズール学術院の施設や設備に関しての資料を手渡されたシレイアは、それに目を通しながら感想を述べた。


「これを見ると、寮の用地は学術院に隣接した場所に確保してありますし、設計図や仕様を見ても設備は完璧ですね」

「ええ。食堂や浴室は勿論、各部屋の掃除や洗濯まで、担当者がやってくれるわ。これは学園内の寮でも既に整備されている内容だから、設置に全く問題は無いけど」

「本当に寮生活は楽でした。おかげで勉強に集中できましたもの」

 しみじみと懐かしむようにシレイアが述べると、エセリアも笑いながら応じる。


「平民の生徒からすれば、そうでしょうね。でも学園を卒業した場合と同様に、結婚して独身寮を出る事になったら、その恩恵が受けられなくなるわ」

「それはそうですし、ですから家事一切をしながら仕事も人並みにしろなんて、無理な話ですよ」

 どうしてそんな今更の話を持ち出すのかと、シレイアは訝しんだ。するとエセリアが、どこか笑いを堪える表情で話を続ける。


「やっぱりシレイアも、固定観念に捕らわれているわね」

「え? どういう意味ですか?」

「だって、家事育児は全て女性がやる物だって、思い込んでいるじゃない」

「それは……、だって男性はしませんよね?」

「男にだってやらせるべきだし、家事育児はできる所は外注すれば良いわ」

「…………はぁ?」

(え? エセリア様は、一体何を言っているわけ?)

 完全に思考が停止したシレイアに向かって、ここでエセリアから新しい資料が渡される。促されるままそれに目を通し始めたシレイアは、困惑の色を深めた。


「エセリア様……。これは一体、何に使う建物ですか? 仕切りも何もない、ただの無駄な広い空間にしか思えませんが?」

「シレイア。あなた洗濯って、どうするか知っている?」

 ここで質問に質問で返されたシレイアは、呆気に取られた。それに今更な質問に、少々気分を害しながら答える。


「エセリア様。私も休日、実家にいる時は洗濯くらいしています。晴れた日に、石鹸で洗って干して乾かしていますが。あまり馬鹿にしないでいただけますか?」

「ごめんなさい。別にあなたを馬鹿にしたわけじゃないのよ。雨の日には洗濯をどうしているのかを聞きたかったの」

「雨の日に洗濯なんかできません。何を仰るんですか」

 事ここに至って呆れ返ったシレイアだったが、エセリアは真顔で確認を入れた。


「それならせっかくの休日に雨が降ったりしたら、洗濯ができずに洗濯物とストレスが溜まる一方なわけよね?」

「ええ。寮でも雨の日が続くと、洗濯物の返却が遅れていましたし。それが何か?」

「それを解消するのが、この乾燥室よ」

「乾燥室?」

「特筆すべきは暖炉ではなく、ここの床下にお湯を流す配管を巡らせて、室内の温度を床から均一に上昇させると同時に、天井部に設置したプロペラを回して対流を引き起こす事で、適度な換気を行った上で乾燥を早めるの。言わばセントラルヒーティングとサーキュレーターの合わせ技ね」

「せ、せんとらる……、え? さーきゅれー? あの、何ですか、それは?」

 全く聞き覚えの無い言葉と、設計図を見ても何がどう作用するのか見当がつかないシレイアは、本気で面食らった。その彼女の反応を見て、エセリアが難しい顔になる。


「う~んと、この世界には扇風機なんて物は存在していないし、説明が難しいのよね……。要は、斜めに傾いた板を一定軌道上で回転運動をさせる事によって、効率的に風を起こすのよ。暑くてカラッとして風が強い日は、洗濯物は乾きやすいでしょう?」

「ええと……、確かにその通りですね。するとエセリア様は、その条件をこの室内で人工的に揃えさせる事ができると仰る?」

「そういう事よ」

「ですが風を起こすと言われても、洗濯物が乾くまでの間、どうやって風を継続させるつもりですか?」

 そんな素朴な疑問をシレイアが口にした途端、エセリアが嬉々としてそれに食い付いた。


「よくぞ聞いてくれました! これよ! エアロバイク型駆動系動力利用!」

「……はぁ?」

「隣室でペダルを漕いで、その回転をギアで増大させて、後は組み合わせた歯車とシャフトで、その運動を乾燥室まで伝えるのよ」

「え、ええと……」

「もう本当に、クオールって天才! 私が『こういう物が欲しい』って、イメージと略図で伝えると、ちゃんと実現可能な段階まで設計して、実際に作ってしまうんだもの! 後はタイヤにできる、ゴムが有ればねぇ……。座席にダイレクトに振動が伝わるから、車輪が鉄とか木だけだときついもの。自転車が実用化したら、庶民の移動能力や運搬能力が馬に頼らなくても飛躍的に向上するのに……」

(ええと……、おおよその構造はなんとなく想像できるし、理論についてもなんとか理解できたと思う。要するに、この構造物を作って運用すれば、雨の日でも洗濯物が乾く、ということよね? だけど、それが一体なんだっていうのかしら? 久々にエセリア様の発想に触れたら、以前よりも突飛すぎて理解が全然追いつかない)

 何やらブツブツと呟きながら自分の考えに埋没しているエセリアに向かって、このままでは埒が明かないと感じたシレイアは、控え目に声をかけてみた。


「あの……、エセリア様? 寮の洗濯事情は分かりましたが、それがどうかしたのですか?」

「あら、肝心の所は伝わっていなかったのね。これは寮だけの洗濯物の話ではなくて、一般の人間の洗濯物も受け付けるのよ。つまり洗濯業を開業するの」

 ここで事もなげにエセリアから告げられた内容を聞いたシレイアは、自分の耳を疑いながら声を裏返らせた。


「はいぃ!? 今までそんな物、聞いた事がありませんが!?」

「当然よ、初めての試みだもの。洗濯と言えば、各家庭各屋敷で行うと言う固定概念を、これで打ち砕くのよ」

「…………」

(だって、洗濯なんて家でするもので、よほどの事情がなければ女性の仕事で、それをお金を払ってお店でやって貰う!? エセリア様、本気で言ってるの!? いえ、こんな言い方は失礼よね。エセリア様だから、本気で言ってるし本当に実行する気なのよね。だけど……)

 予想外過ぎる話の流れに呆然自失状態に陥ったシレイアだったが、目の前の人物が王太子との婚約破棄を見事に成し遂げたのを思い出し、なんとか気を取り直した。しかしまだ若干、疑わしそうに確認を入れる。


「エセリア様……。失礼を承知でお伺いしますが、それは商売として成立するのですか?」

「最初は認知度は低いし、洗濯を外注する概念が無い一般の女性には、抵抗があるでしょうね。だから採算度外視で始めるわ。でもすぐに軌道に乗せてみせるわよ。同時に健老託児所も、開設予定だしね」

(また聞きなれない単語が……。『けんろうたくじじょ』って何の事? エセリア様が桁外れに優秀で突飛な発想をされる方なのはいぜんから承知していましたが、お願いですから凡人の私にも理解できるように、もう少しかみ砕いて説明してください!)

 得意げに胸を張っているエセリアを見ながら、シレイアは心の中で泣き言を漏らした。しかしそれをそのまま面には出さず、控え目に要請する。


「すみません、エセリア様。また聞き慣れない言葉が出てきましたので、解説していただければ大変ありがたいのですが……」

「勿論、懇切丁寧に説明するわ。話はまだまだこれからなんだから!」

 その訴えに、エセリアは益々嬉々として説明を続けた。

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