(30)ちょっとした不安

「おはようございます」

 結婚式当日、爽やかに目覚めたカテリーナが食堂に出向くと、祝い事の日であるにも関わらず両親の纏っている空気が重かった。


「……ああ」

「……ええ」

(お父様もお母様も、本当に大丈夫かしら? なんだか生気が乏しくて、世間一般の花嫁の両親のイメージからほど遠いのだけど)

 カテリーナが密かにそんな心配をしていると、両親が醸し出す沈鬱な空気を少しでも打ち消そうと考えたのか、ジュールとリサが必要以上に明るい声を張り上げる。


「おはよう、カテリーナ! 今日は願ってもない結婚式日和だな!」

「ええ、本当に! 朝から晴れ上がって、とても空気が清々しいわね!」

「はい、出席してくれる友人達の事を考えたら、雨だったら難儀したでしょうし、安心しました」

 三人でにこやかに会話をしていると、ミリアーナの一際高い声が食堂内に響き渡る。


「カテリーナ! ミリアーナもドレス着るの!」

 その笑顔での報告に、カテリーナも微笑み返した。


「今日の式には、ミリアーナも出てくれるものね。ありがとう。この前見せて貰ったけど、すごく可愛いかったわよ?」

「うん! カテリーナは明日から、あのお兄さんの家にいるの?」

「そうね。この前来た、ナジェークと一緒に暮らすのよ」

「…………」

 そこでジェフリーとイーリスが無言のままピクッと反応して手の動きを止めたが、カテリーナはそれに気がつかないまま話を続けた。


「カテリーナ……、本当に、いなくなっちゃう?」

「そうね。明日からはここにはいないから」

 少し困り顔でカテリーナが告げると、ミリアーナが若干涙目になりながら訴えてくる。


「……時々、こっちに来る? ミリアーナのこと、忘れない?」

「勿論忘れたりしないし、お土産を持って遊びに来るわ」

「うん! 待ってる!」

 そこでミリアーナは聞き分け良く笑顔で頷いたが、テーブルの反対側から泣き叫ぶ声が上がった。


「ふっ……、う、うぉおぉぉあぁぁ――っ! カッ、カテリーナぁぁ――っ!」

「……え?」

「父上!?」

「お義父様、いきなり何事ですか!? 今日はカテリーナの結婚式ですよ? おめでたい日なのですから、そんな風に大声で泣かれなくても!」

 頭を抱えて号泣しているジェフリーを、カテリーナとジュールが唖然としながら眺めた。リサだけは必死に舅を宥めようとしたが、続けてイーリスが咽び泣き始める。


「カ、カテリーナぁぁっ……。とうとう結婚……、本当に、大丈夫かしら……。もう、心配で心配で、どうしたらっ……、ふぁぁっ!」

「あの……、お母様。大丈夫ですか?」

「母上まで……」

「お義母様、お気を確かに! カテリーナとは、今生の別れではありませんのよ!?」

 途端に騒がしくなった室内を見回し、ミリアーナは首を傾げながら本来従兄であり、現在の義兄に尋ねた。


「ラルフ兄様。お祖父様とお祖母様、どうしたの?」

「カテリーナが結婚するから、嬉しくて泣いているんだよ」

「嬉しくて泣くの? どうして?」

「悲しい時だけじゃなくて、嬉しい時にも涙は出るんだよ」

「そうなの?」

「うん、そうなんだ。大人って、難しいんだよ」

「ふぅ~ん、そうなんだ~」

 真顔でそんな説明をされたミリアーナは、不思議そうな顔になりながらも、ラルフに促されて素直に朝食を食べ進める。


(朝からこんな調子で大丈夫かしら? 式の最中で、取り乱さなければ良いのだけど……。頭痛がしてきたわ)

 自身の結婚式にもかかわらず、相変わらず緊張とは無縁のカテリーナだったが、思いもよらず両親の情緒不安定さに頭を抱える事態になっていた。



 今日一日を無事に過ごせるか、当初不安を覚えたカテリーナだったが、結婚式の会場である総主教会に一家揃って出向く頃にはジェフリーとイーリスは平常心を取り戻し、衣装もきちんと整えて屋敷を出発した。

 カテリーナは花嫁衣装を身に付けており、ルイザを連れて馬車を一台独占したため、総主教会への道で両親の様子は分からなかった。しかし到着後、司教に案内されて新婦側の控え室に入っても、二人は微塵も動揺を見せずに振る舞っており、カテリーナは心底安堵していた。


「カテリーナ。そろそろ正面ホールにお客様がいらっしゃる頃だから、ジュールとリサだけでは荷が重いわ。私達もご挨拶して来るわね」

「ルイザ。外に警備の者は控えているが、カテリーナを頼む」

「はい。行ってらっしゃいませ」

 付き添いをルイザに任せてジェフリーとイーリスが部屋を出ていくと、カテリーナは盛大な溜め息を吐いた。


「はぁ……、朝食の席でお父様とお母様が錯乱するから、一時はどうなるかと心配したわ。見た限りでは、だいぶ落ち着いたみたいだけど」

「それは、さすがに侯爵家当主夫妻としては、見苦しい姿を世間に晒せないとのプライドがおありなのでしょう。それほどご心配する事はないと思われます」

「それなら良いのだけど」

 ルイザが苦笑しながら応じていると、廊下に配置されていたガロア侯爵家の騎士がノックの音に続いて現れ、カテリーナとルイザに報告してくる。


「失礼します。カテリーナ様のご友人の方々がお見えになっておられます」

「分かりました。お通ししてください」

 ルイザが伝えると、騎士は軽く引っ込んで場所を譲り、カテリーナの同期四人を室内に入れた。


「カテリーナ、結婚おめでとう。ささやかだけど結婚祝いよ。勤務中にやり取りするのはどうかと思ったし、シェーグレン公爵家に持参するのはもっと恐れ多いから、今日持ってきたのよ。荷物になったらごめんなさい」

 四人を代表してティナレアが祝いの言葉と共に恐縮気味に包みを差し出し、カテリーナが座ったまま笑顔で受け取る。


「ありがとう。後でゆっくり見させてもらうわ。ルイザ、預かっておいて頂戴」

「畏まりました」

 カテリーナからルイザが受け取って包みを傍らのテーブルに置くと、ティナレア達が口々に感想を述べる。


「でも、さすが上級貴族同士の結婚式だわ」

「こんな機会でもないと、総主教会の大聖堂には入れないから殆ど勢いで来てしまったけど。本当に荘厳で素敵よね」

「それに、ガロア侯爵家とシェーグレン公爵家の皆様にご挨拶してきたけど、揃って控え目な衣装で驚いたわ」

「あ、勿論、一目で最上級の素材を使っていると分かるのよ? でも殊更飾り立てていなくても、気品溢れるというかなんというか」

「上手く言えないけど、普段王宮で目にする、これでもかと言うくらいに飾り立てている、見栄っ張りな貴族とは一線を画しているといえば良いのかしら?」

「それにどちらのご当主夫妻も、明らかに下級貴族や平民と分かる私達にも優しく声をかけて下さって。却って恐縮したわ」

 意外そうな顔をしている友人達に、カテリーナが苦笑いしながら事情を説明する。


「式にはナジェークの方も官吏の同僚や平民の友人を呼ぶから、両家であまり派手な出で立ちは控えようと打ち合わせていたから。さすがに今夜の結婚披露の夜会では、気合いを入れて衣装を整えている筈だけど」

「そうだったのね。やはりカテリーナとあのナジェークのご家族。心構えが違うわ」

「そうなると、やっぱりあの人達は、ガロア侯爵家ともシェーグレン公爵家とも無関係な人達だったのね」

「ああ、確かにそうね。違いすぎるもの」

「え? 違いすぎるって何が?」

 何やら顔を見合わせて納得している友人達に、カテリーナは怪訝な顔をしながら尋ねる。すると彼女達は、困惑気味に話し出した。


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