(5)前途多難

「おはようございます。ステラおばさん」

 修学場での授業が始まる日の朝。ノックされたドアを開けたステラは、そこにいたローダスを見て面食らった。


「おはよう、ローダス。朝からどうしたの?」

「今日から修学場が始まるから、シレイアと一緒に行こうと思って」

「あら、迎えに来てくれたの? 初日だから、今日は私が門まで一緒に行こうと思っていたのだけど」

「場所は分かっているし、二人で行くから大丈夫だよ」

「そうね……、これからは自分で通わないといけないのだから、二人で行って貰おうかしら?」

 考え込んだのは少しだけで、ステラは彼の申し出に素直に頷き、娘をローダスと共に送り出した。


「ねぇ、ローダス。私、一人で修学場に行けるわよ?」

 二人で歩き出してすぐに、シレイアが不思議そうに尋ねる。するとローダスが、若干不機嫌そうに答えた。


「別に良いだろ? 家が近いし、同じ修学場だし、他に一緒に通う子供もいないんだし」

「ふぅん? ローダス、一人で行くのが寂しいの?」

「は? そんなわけないだろ!?」

「じゃあどうして?」

「どうでも良いだろ!? 遅れるからさっさと行くぞ!」

「あ、ちょっとローダス! そんなに急がなくても間に合うのに!」

(本当になんなのよ)

 ローダスが迎えに来るのも不機嫌なのも、理由が全く分からないシレイアは、困惑しながら慌ててローダスの後を追った。



 修学場の入口で待ち構えていた世話役の人間に案内されたシレイア達は、教室に入って適当に並んで座った。そしてシレイアが興味深く室内の様子や他の子供達を眺めていると、大きな箱を抱えた三十代半ばに見える男性が入ってきた。

「皆さん、初めまして。私はこのクラスを担当する、総主教会所属司祭のマルケス・アズレーです。マルケス先生と呼んでください。これからよろしくお願いします」

 彼は笑顔で挨拶してきたが、子供達は声を出して良いのかどうかも分からず、曖昧に頷くだけだった。しかしマルケスは気を悪くした様子はなく、笑顔のまま箱の中から石盤などを取り出しながら話を続ける。


「最初に、ここで学ぶ為に必要な物を全員に渡しますので、名前を呼ばれたら返事をして、こちらに取りにきて下さい。それでは……、イシュマ・マクベル」

「はい」

 それから順番に子供達の名前が呼ばれて受け渡しが続いていき、シレイアの番になった。


「シレイア・カルバム」

「はい」

 呼び掛けに応じてシレイアは立ち上がったが、その直後、少し離れた席から怒声が放たれた。


「おい! なんで大司教の娘が、こんな所にいるんだよ!?」

「え?」

 言われた内容にシレイアが困惑しながら声がした方を振り向き、すかさずローダスが険しい視線を向ける。すると先程の声の主は、いかにも腹立たしげに言葉を継いだ。


「お前、カルバム大司教の娘だろ? 炊き出しに来てた国教会夫人会のおばさん達が、カルバム大司教の娘が家庭教師を頼まずに、修学場に入るって言ってたぜ!?」

「うん、お父さんは総主教会の大司教だけど、それが何?」

「大司教の娘なら、別に貧乏人が入る修学場に入らなくても、好きなだけ家庭教師を雇えるだろ? わざわざここに入って、貧乏人を締め出すんじゃねぇよ!」

(ええと……、この子、さっき石盤を貰った時、レスターって言われてたっけ? どうして怒ってるの?)

 なぜ自分がいきなり怒られているのか全く理由が分からなかったシレイアは、本気で困惑した。すると教室内がざわめく中、彼女の隣にいたローダスが勢いよく立ち上がり、レスターに先程以上の罵声を浴びせる。


「お前は馬鹿か!? 大司教の娘が修学場に入って何が悪い!」

「なんだと!?」

「確かにシレイアは大司教の娘だが、俺は総大司教の息子だ! 文句があるなら俺が相手になってやるぞ! この間抜け野郎!」

「やるってのか!? お坊っちゃんが格好つけてんじゃねぇよ!」

「君達、止めなさい!!」

 叫びながらあっという間に距離を詰めたローダスは、レスターと掴み合って一触即発の状態になった。マルケスが慌てて二人に駆け寄って制止しようとするのを、シレイアは呆然としながら眺める。


(えぇえええ!? どうしてローダスが割り込んで来るのよ! しかもなんで喧嘩になるの!?)

 どうすれば良いか分からずにシレイアが狼狽していると、レスターの隣に座っていた少女が無言で立ち上がった。そして受け取ったばかりの石盤の角で、レスターとローダスの頭を小突きながら叱りつける。


「二人とも五月蝿い」

「ぐあっ!」

「いてっ!」

 ガツッと鈍い音が2回聞こえ、シレイアは顔色を変えた。しかし暴挙に及んだ少女は、先程の凶器となった石盤をしげしげと眺め、異常がないかを点検する。


「せっかく貰ったばかりなのに、ヒビとか入ってないわよね?」

「エマ! 俺達を殴っておいて、俺達じゃなくて石盤の心配かよ!?」

 どうやらエマと呼ばれた少女はレスターの知り合いだったらしく、叩かれた箇所を押さえながら彼が抗議した。しかしエマは、どこ吹く風であっさりと言い返す。


「石盤が心配だから、ちゃんと手加減してあげたわよ。ありがたいと思いなさい」

「なんでだよ!」

「手加減したようには思えないが?」

「神様は全てお見通しよ。総大司教のご子息様」

 レスターに続いてローダスも恨みがましく文句を言ったが、エマは含み笑いで切って捨てた。


(確かあの子は……、エマって言ってたっけ。男の子の喧嘩に割り込むなんて、凄い子だな……)

 手段はともかく、あっさり二人を黙らせたエマに、シレイアは感嘆の眼差しを送った。すると彼女は次にマルケスを見上げ、確認を入れてくる。


「マルケス先生。念のために聞きますけど、総大司教や大司教の子供でも、この修学場に通うのは問題ありませんよね?」

 その問いかけで我に返ったマルケスは、頷いて詳細を説明する。


「あ、ああ、勿論だ。それからレスターが変な誤解をしているみたいだが、修学場で受け入れる生徒の人数は決まっていない。申し出があった者は全て受け入れているから、教会関係者の家族が入った分、他の子供が締め出される事はないよ。学年ごとに生徒の数が違っているのは、これから分かると思うけどね」

「…………」

 ぐうの音も出ず口を引き結んだレスターに、エマが呆れ顔で促してくる。


「だそうよ。レスター。あんた何を勘違いして、喧嘩を売ってるのよ。さっさと二人に謝りなさい」

「なんで俺が!」

「はぁあ!? 勝手に騒いで周りに迷惑をかけたのはあんたでしょ!? これ以上ガタガタ言うなら、おばさんに洗いざらい告げ口するわよ!? そうなったら食事抜きは確実ね! それでも良いの!?」

 反発したレスターだったが、エマからの「食事抜き」脅迫には抵抗できず、ふて腐れぎみに呟いた。


「……悪かったよ」

「声が小さい!」

「悪かった!」

 最後までシレイアとローダスに目線を合わせないままの謝罪だったが、エマはこの場でこれ以上は無理と判断したのか、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。


「ということだから、二人とも勘弁して頂戴」

「うん、私は良いけど……」

「くだらない事を言うなよ?」

「なんだと?」

「レスター?」

「…………」

 再び揉めかけたレスターだったが、エマに一睨みされて黙って自席に戻った。

そんな彼を放置して、エマがシレイアの所にやってくる。


「本当にごめんね。レスターはちょっと馬鹿だけど、根は悪くないから。これから一緒に頑張ろうね。ええと……、シレイアだったっけ?」

「うん。エマだよね。こちらこそよろしく」

(ちょっと驚いたし、レスターは怖そうだけど、エマとはお友達になれそう。良かった)

 笑顔で差し出された右手をシレイアは握り返してから、再び着席した。そして全員が元通り着席したのを確認してから、マルケスが中断していた石盤などの配布を再開し、それが終わると次の説明に移った。


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