(5)憤慨と忍耐

「ジェラル大司教様、少し落ち着いてください。先程から伺っていると、王太子殿下を誘惑した悪女が総主教会の後見を受けていたことで、総主教会が王家や婚約者であるエセリア様のシェーグレン公爵家の怒りを買うと推察されているようですが、それは少々的外れではないかと思われます」

「何だと!?」

「現に、畏れ多くも私はエセリア様と同学年に在籍し、親しく語らう機会も数多く、あの方の気質を他者より多少は良く存じ上げていると自負しています。そもそもエセリア様は、問題になった女性を歯牙にもかけておられませんでした」

「なんだって?」

「シレイア? お前もミンティア子爵令嬢を知っていたのか?」

 シレイアの指摘に、ジェラルは当初怒りを露わにしながら食ってかかろうとした。しかし話が進むにつれて、意外そうな顔を見せる。それはデニーも同様であり、思わず口を挟んできた。シレイアは、そんな彼に向き治りながら話を続ける。


「はい。彼女は私達の一学年下でしたが、何かにつけ王太子殿下と同行する事が多く、徐々に増長しており、王太子殿下が彼女の求めに応じて行事を開催したり便宜を図ったりしていました。私を含め、殆どの生徒はそれらの行為を苦々しく思っていましたが、当のエセリア様が全く問題視せず、寧ろ『凡庸な王太子殿下が、慈悲を施せる相手を見つけただけなので、温かく見守ってあげてください』と周囲に言い聞かせていたので、問題が表面化していなかったのです」

「なんと……」

「そんな事が……。休暇で家に戻る度に、ローダスが王太子殿下に対して辛辣な意見を口にしていたのは、そういう状況になっていたからか……」

 唖然とした男二人に、シレイアは淡々と状況説明を続けた。


「私も少々、殿下に対して色々物申したかった分を、家で愚痴っていた自覚はあります。ですからエセリア様としては多少驚かれたかもしれませんが、それは婚約破棄の事実よりも、よりによってそんな家柄も低く、人脈もなく、自身の才能や器量もパッとしない相手を、自分の後釜として婚約者に据えようとした殿下の見識の無さに驚いたのだと確信できます」

「シレイア。容赦がないな……」

「事実です」

 シレイアの冷静な評価に、デニーは状況も忘れて苦笑した。しかしジェラルの方はとても笑う気分にはなれなかったらしく、再び声を荒らげてくる。


「そっ、それにしても! れっきとした公爵令嬢が公衆の面前で一方的に婚約破棄されるなど、名誉にかかわりますぞ!?」

「そうかもしれません。ですからできるだけ穏便に、物事を解決に導きたいと思われるはずです。そうは言っても公式行事内での出来事。人の口に戸は立てられません。ですが、率先して余計な波風を立ててしまうような行為は、エセリア様とシェーグレン公爵家の怒りを買ってしまう可能性が無きにしも非ずと思うのですが。その辺りを、ジェラル大司教様はどのようにお考えですか?」

「え? あ……」

 思ってもいなかった指摘に、ジェラルは当惑して黙り込んだ。その隙に、シレイアが畳みかける。


「内務局の知人から、詳細を聞きました。近日中に、王太子殿下が婚約破棄の理由として挙げた、エセリア様の学園在学中の傍若無人な行為に関しての審議の場が設けられるとか。今回の騒動の後処理とその準備で、既に多くの方が動いておられます。そんな中、本来部外者の筈の総主教会から大挙して人が押し寄せ騒ぎを大きくしたりしたら、それこそシェーグレン公爵家のみならず王家まで激怒させかねないとは思われませんか?」

「…………っ!」

 ここで漸く、自分の行為が却って王家やシェーグレン公爵家の不興を買ってしまうかもしれないという可能性に気がついたジェラルは、絶句して顔を青ざめさせた。そんな彼を、シレイアは穏やかな口調で宥める。


「ここはむやみに騒ぎ立てず、王家やシェーグレン公爵家から問い合わせや召喚があった時はすぐに対応できるよう万全の準備をしておくだけにして、静観する方が得策かと思われます。不用意に騒ぎ立てたりしたら、それこそその不心得者の女性の仲間とも思われかねません。ですからジェラル大司教様には速やかに総主教会にお戻りいただき、周囲に正確に事実を伝えて事態の収拾を図って頂きたいのです。総大司教様はまだ本調子ではないと思われますので、宜しくお願いします」

 取り敢えず上辺だけ神妙に頼み込むと、それでジェラルは自信を取り戻したらしく、機嫌よく言い放った。


「分かった! やはりここは、私が対応しなければ駄目だな! デニー! お前は無理せず、朝まで寝ていろ!」

「それでは、そうさせて貰おうかな……」

 デニーが半ばうんざりしながら、ジェラルの申し出に相槌を打って答える。そこでドアがノックされ、軽食を食べ終えて戻って来たらしいアイラが顔を見せた。


「内務局の者です、失礼します。総大司教様、体調はどうでしょうか?」

「おう、ちょうど良かった! 君! 馬車を一台手配してくれたまえ! 乗って来た総主教会の馬車は、急使のために帰してしまってな! 総主教会の存亡に係わる大事だから、可及的速やかに頼む! あ、総大司教はこのままゆっくり休ませてくれたまえ!」

「アイラさん、すみません!」

「……分かったわ。任せて」

 れっきとした官吏に気安く用を言いつけるジェラルに苛立ちながら、シレイアはアイラに向かって頭を下げた。対するアイラはすぐに事情を察し、騒々しい人物をこのま病人の側に放置できないとばかりに笑顔でジェラルを廊下に促す。


「それでは大司教様。ご案内しますので、どうぞこちらへ。待機室で少々お時間を頂きますが……」

 そんな会話をしながら二人が部屋を出ていき、静かにドアが閉まった。その途端、シレイアは憤然としながらデニーに提案する。


「おじさん……。この一件が片付いたら、あの老害ジジイを総主教会から放逐する手段を、ナジェーク様に相談してもよいかしら? きっと良い知恵を貸していただけると思うの」

 しかしデニーは、疲れたような表情で首を振った。


「シレイアやナジェーク様の手を煩わせるつもりはないよ。彼については以前から、そろそろ引退して貰おうと思っていたんだ。今回が良い機会だな」

「それは良かったけど……。総主教会内で、ケリー大司教様の責任問題になると思う?」

 先程からの一番の懸念事項を、シレイアは口にしてみた。するとデニーが、難しい顔で口を開く。


「それは……、さすがに貢献していた少女が問題を起こしたら外聞は悪いと思うが、学園内で寮生活をしていたわけだし、ケリー大司教が彼女の一挙一動を管理できるわけがない。私としては彼を非難したり、責任追及をするつもりはないが……」

「つもりはないけど、何?」

「あの生真面目な彼の事だ。この事を知ったら多大なショックを受けて自責の念に駆られて、聖職者を辞めるとか言い出しそうだ」

「そんな……」

(言われてみれば、確かにそうよね。これまでだってケリー大司教様がショックを受けそうだったから、アリステアが成績を改竄していたことも言えなかったし。迂闊と言えば迂闊だったわ)

 これまでに見聞きした彼の人となりを思い返したシレイアは、その可能性に思い至り気が重くなった。それで思わず、デニーに縋るような目を向ける。


「おじさん……」

 その視線を受けたデニーは、彼女を安心させるように力強く頷いてみせた。


「分かっている。彼に責任を負わせるのは筋違いだし、彼にはまだまだ頑張って貰わないといけないからな。今回はなんとか穏便に、事態を収拾する。任せておいてくれ」

「ありがとう。頑張ってね」

「ああ。そうと決まれば、私も総主教会に戻らないとな。もうだいぶ遅くなったが、御者の第一報で総主教会が蜂の巣をつついたような騒ぎになっていないとも限らない。ジェラル大司教だけに任せておくのは心配だ」

 苦笑気味にデニーが語り、それを聞いたシレイアも真顔で応じる。


「そうね……。取り敢えずあの五月蠅い人を追い払いたくて、それっぽく言い含めて先に帰したけど、余計に騒動を悪化させそうな気がしてきたわ。おじさんは、このままもう少し休んでいて。王宮内で使っている馬車をもう一台融通して貰えるように、担当者にお願いしてくるから」

「そうだな。面倒をかけてすまないが、よろしく頼むよ」

「任せてください。準備ができたら呼びに来るから、それまで念の為横になっていてね」

 そこでシレイアは馬車を手配すべく、デニーの側から離れて廊下に出て行った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る