第1章 本来なら平凡な出会い

(1)些細な揉め事

「カテリーナ、クレランス学園の入学までもう少しだな。準備は進んでいるか?」

 家族全員揃っての夕食の席で、何気無い口調で父親のジェフリーに問われたカテリーナは、彼に笑顔を向けながら答えた。


「はい、お父様。お兄様方やお義姉様からお話を伺いながら、滞りなく進めております」

「そうか。学園には普段交流が無い家の者や、優秀な平民も入学するからな。決して彼らに後れを取ったり、侮られたりしないようにしなさい」

「はい」

 このアンティル国で上級貴族の者はほぼ入学するクレランス学園は、将来の優秀な官吏を養成する為に、平民にも門戸を開いて学費は無料で受け入れており、国内でも珍しい身分を越えた交流の場ともなっていた。それはわざわざ厳めしい顔で指摘されなくとも分かっていた事ではあったが、カテリーナは神妙に頷いてみせた。


(お父様が学園在学時は、さぞかし周囲を威圧していたのでしょうね……。入学後に親友になられたと聞いている、ラドクリフおじさまのご苦労がしのばれるわ)

 今現在、近衛騎士団の団長を務めている父の親友を連想した彼女は、思わず当時の彼の苦労を想った。するとここで、母親のイーリスが尋ねてくる。


「カテリーナ。入学は構いませんけど、二年目以降の専科選択については、どうするつもりなの?」

 クレランス学園は初年度は教養科として全生徒がランダムにクラス分けされるが、二年度以降は希望する進路別に進級する事になり、貴族科、騎士科、官吏科の三つの専科が存在していた。当然その事は念頭にあったカテリーナは、全く迷わずに自分の希望を述べた。


「勿論、騎士科を希望しますわ」

「良く言った! それでこそ、私の娘だ!」

 近衛騎士団に入団はしなかったものの、堅苦しい貴族同士の付き合いを忌避するのと同時に剣術の腕前がかなりのものであったジェフリーは、敢えて貴族科ではなく騎士科に進んだ。しかし同様にクレランス学園に進学した三人の息子達のうち、騎士科に所属したのが末息子一人だけだった事に関して内心で不満を覚えていた彼は、末子で一人娘でもある彼女の選択を大いに褒め称えた。しかしそれを聞いたイーリスが、不服そうに口を挟んでくる。


「あなた。このガロア家は、れっきとした上級貴族の家柄なのですよ? その家の娘が、どうして騎士科などに籍を置かなくてはいけないのですか?」

 その非難めいた問いかけに、ジェフリーが不機嫌そうに言い返した。


「我が家は代々、武門の家系だ。私自身も在学中は騎士科に所属していたし、圧倒的に数は少ないながら毎年騎士を志す女生徒は存在している。女性王族の身辺を警護するのに、女性騎士は必要だろうが」

「そんなものは下級貴族や平民の、財産も容姿にも恵まれていない娘に任せておけば宜しいのです。どうしてカテリーナが」

「イーリス! そんなものとは何だ! 王妃陛下や王女殿下方に対して、不敬であろうが!?」

「お父様、お母様。お静まりください。皆が動揺しております」

「だがな!」

「ですが!」

 ジェフリーが激昂して声を荒げた所で、カテリーナはその論争に割って入った。そして狼狽えている兄夫婦や使用人達を横目で見ながら、冷静に指摘する。


「今の言い合いは客観的に見て、お母様に非があります。私が騎士を目指す理由は、幼少期から武芸一般を、お兄様達と同様に仕込まれた事によるもの。それならばお母様が、最初の段階でそれを阻止すべきでした。そうであれば、私が騎士科を希望する筈も無いのですから」

「それは……。でも、『これがガロア侯爵家の伝統で、私の姉妹も一通り訓練を受けている』などと言われたら、反論など……」

 些か納得しかねる顔付きで口を噤んだ母親を見て、カテリーナは次に父親に視線を向けた。


「ですがお父様にも、問題はあります」

「何だと? 私のどこに問題がある?」

「お母様の発言は、私が騎士科に所属する事で殿方に敬遠されて、縁遠くなる可能性を心配されての事。決して我が家の伝統を軽んじたり、体面だけを重んじたりした故の発言ではございません。それなのに、一方的に叱責されるとは何事ですか」

「いや、しかし」

「何でも相手を威圧して事を解決しようとする態度は、誉められた物ではありません。そこの所は改めた方が宜しいかと」

「…………」

 そして父親の反論を封じた彼女は、一転して明るい笑顔でジェフリーに促す。


「それでは当主たるお父様から規範を示されるべきでしょうから、お母様に先程の発言を謝罪してくださいませ」

 にこやかにそう言われた彼は、少々ばつが悪そうな苦笑いを浮かべつつ、妻に軽く頭を下げた。


「悪かった。先程は少々言い過ぎた」

「いえ、私も王族方の警護を滅多な者に任せるわけにはまいりませんのに、不見識な事を口走りました。申し訳ございません」

 非を認めた夫にそれ以上文句を言うつもりは無く、イーリスも笑顔で頭を下げた。そして再び食堂内に和やかな空気が流れる中、カテリーナは内心で愚痴っていた。


(やれやれ、何とか丸く収める事ができたけど……。お兄様、お義姉様。私が学園で寮生活を始めた後でこんな揉め事が勃発したら、傍観していないでちゃんと宥めてくださるんでしょうね?)

 八つ当たりしながら、その兄夫婦に視線を向けた彼女だったが、そこでその二人の口から空気を読めない発言が飛び出した。


「でもカテリーナ。このまま騎士科を選択したりしたら、本当にあなたの縁談に差し支えませんか?」

「その通りだ。以前王宮で開催された、王子様方の前での御前試合でも、同年輩の男子はともかく年上の者まで叩きのめしてしまって。あのおかげで今の時点でも、なかなかお前の縁談が纏まらないんだぞ?」

「そうですわね。早い方は十二歳か十三歳位で、ご婚約されますのに」

「現に王太子殿下のご婚約が成立したのも、確か十歳の時だった筈だしな」

(どうしてここで、せっかく収めた場を蒸し返すのかしらね。本当にお兄様の代になったら、この家が心配だわ)

 訳知り顔で好き勝手に言い合っている兄夫婦に腹を立てたカテリーナだったが、それは面には出さずに何気ない口調で問い返した。


「それではお兄様は、あの御前試合の時に私を推挙したお父様の判断が、間違いだったと仰るのですか?」

 それを耳にしたジェフリーが、眼光鋭く長男を睨み付ける。


「何だと? ジェスラン。お前は私の判断に、ケチを付ける気か?」

「いいえ、決してそんな事は!」

 途端にみっともないほど狼狽えた兄から、その隣に座っている兄嫁にカテリーナは視線を移した。


「その時、私に負けた息子を持つ母親から、『娘に剣を持たせるなんて、何て野蛮なのでしょう。侯爵夫人のご見識を疑います』とお母様が散々嫌みを言われたのですが、お義姉様もお母様の見識をお疑いですの?」

 それを聞いたイーリスが、渋面になりながら嫁に問いかける。


「まあ……、エリーゼ。そうなのですか?」

「滅相もありません! 私はただ、カテリーナの縁談が心配だと口にしただけで、決して他意はございませんわ!」

 顔色を無くしながら必死に弁解する兄嫁を見て、カテリーナは幾らか気分を良くしながら神妙に父親に申し出た。


「正直に言わせていただければ、私はお父様のように強い方と縁付きたいと願っております。ですが幾ら強くとも、それを必要以上に誇示したり、それを理由に他人を見下す方に嫁いだりしたら、我が家の名前にも泥を塗りかねないと思います。お父様、そうは思われませんか?」

「うむ、全くその通りだな」

「いや、そうは言っても!」

「ですが、お義父様!」

 深く頷いて自分の意見に同意したジェフリーに、尚も何か言いかける声を無視しながら、カテリーナは母親に問いかけた。


「勿論、私よりも武芸に秀でておられなくとも、それを自認されて私を本当の意味で認めてくださる人格者であれば、縁談に文句つけるつもりはありません。お母様は、幾ら私に負けて悔しいからと言って『女のくせに生意気だ』とか、『育て方を間違えた』などと腹いせに吐き捨てるような方と、親族になりたいと思われますか?」

「冗談ではありませんわ。素直に己の未熟さを認めれば宜しいものを、恥の上塗りになっている事にも気付かないような愚かな方と、関わり合いになりたいとは思いません。ええ、決して」

「母上! そんな事を言っていると、カテリーナの縁談が益々遠のきます!」

「そうですわ! 同年輩の方々には、既に婚約者がおられる方も多いのですし!」

 顔を顰めながらイーリスが断言した為、ジェスランとエリーゼが声を荒げたが、その主張をジェフリーが一刀両断した。


「カテリーナは、まだ十五だぞ。お前達は、焦って嫁ぎ先を決めなければならん程、カテリーナが容姿に恵まれず、教養もないと言うつもりか?」

「そんな事は……」

「それは誤解です!」

「それでは、カテリーナの縁談についてはここまでだ。お前達も余計な口を挟むな。不愉快だ」

「……はい」

「承知致しました」

 そこで強制的に話は終了となり、それからは微妙に悪い空気のまま夕食を食べ進める事となった。

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