4 ラシェンズ侯の陰謀

「浮かぬ顔ですな、ネルトゥス卿」


 傍らには、鼠のような顔をしたエルキア伯の姿があった。

 黄と白地につるはしという家門を染め抜いた陣羽織をまとっている。


「しかし今回の大義は我らにある。林檎酒税などという馬鹿げた税を名目にして、王家は我らの民から金を搾り取るだけ搾り取るつもりだ。たとえ太陽王の、あるいはソラリス神その人の血をひくおかたとはいえ、神々とてこのような善良な民を苦しめるが如き無法を許すはずがない」


 確かに林檎酒税のおかげで、庶民の酒だったはずの林檎酒の価格は高騰していた。

 街の酒場でアシャルティン銅貨一枚で飲める量は、半分にまで減っている。

 税込みでの価格は倍になったのである。

 だが、なにを考えて王家はこんな税を課したというのか。

 なりふり構わぬ徴税策、とラシェンズ候などは考えているようだ。が、ネルトゥスはまた別のことを疑っていた。

 税としては、これは下策としかいいようがない。

 まるで南部諸侯領の民に喧嘩をふっかけているとしか思えない税である。

 事実、ここに集まっている貴族の多くは、領民の不満が爆発して自分たちが襲われる前に、怒りの矛先を王家に向けようとして失敗した者たちばかりなのだ。

 庶民からすれば、税とは領主にとられるものである。

 さらに領主たちが王に税を払わねばならないことは頭で理解している者もいるが、徴税官はあくまで領主が派遣してくる者なのだ。


 王は、民衆からすれば天上の存在のようなものである。

 実際に彼らが「支配者」として実感できるのは領主までだ。

 そのため庶民の怒りは、王家よりはむしろ税を徴用する貴族諸侯へと向けられていた。

 諸侯からすればいい迷惑ともいえる。

 こうした諸侯の不満を利用したのが、ラシェンズ候とエルキア伯だった。

 二人は共謀して、勝手に南部諸侯の連名になる宣言をアルヴェイア全土に発した。 

 林檎酒税廃止のために王家を糾弾する宣言である。

 これにもともと二人と近しかった貴族たちは賛同したが、なかには勝手に名を使われて怒りを抱く者も少なくなかった。

 だが、王家はこの宣言に名を連ねた諸侯に、王国軍をさしむけると宣告してきたのだ。

 結局、南部諸侯は、大きく二つの勢力に分かれた。

 ラシェンズ候とともに王家の軍と戦う者と、それをあくまで静観する者に。


 ただ、前者も積極的に謀反のごとき真似をしたわけではない。

 本当であれば王家に敵対するような真似はしたくないが、民衆の不満も高まっているのでとりあえずその怒りを王家にむけるしかない、という立場の者が多いのだ。

 また、彼らもいきなり挙兵したわけではない。

 実は、ラシェンズ候が兵を集める前にも、すでに諸侯の一人、オーロン子爵が「林檎酒税など払えぬ」と兵を起こしていたのである。

 もっとも、オーロン子爵はまだ若く、また短慮なことでも知られていた。

 結局、王家は兵を差し向け、オーロン子爵の寡兵をうち破った。


 だが、南部諸侯たちを戦慄させたのは王家のオーロン子爵に対する処遇だった。

 いくら弱小貴族とはいえ、いまの王家は諸侯に支えられて存在しているようなものだ。

 せいぜいが一時的な領地没収程度で済ませるのだろう、と誰もが考えていた。

 ところが、王家はオーロン子爵の爵位を廃し、子爵家そのものを廃絶してしまったのである。

 現在でもオーロン元子爵は、王都メディルナスの地下牢に反逆者として繋がれているという。

 南部諸侯の受けた衝撃は大きかった。

 どこかで彼らは、王家を舐めていたともいえる。

 ここ百年ほど、王家により廃絶された貴族の家はなかったのだ。

 今回は、オーロン子爵は直接的に王家に害をなそうとしたわけではない。

 兵を集めたのも、誰がみても抗議のためである。

 そしてここ数代のアルヴェイア王は、貴族がみんなで担ぎ上げているようなもので、諸侯の不興を買ったために王位を追われた者も決して少なくないのだ。

 だからこそ、南部諸侯にしてば「家門の廃絶」という処置はあまりに厳しすぎるもののように思えたのである。


 ラシェンズ候はそんな貴族たちの心の隙につけこんだとも言える。

 王家に対する宣言を発布したのも、オーロン子爵の処置を南部諸侯が知り、彼らが精神的な衝撃をうけた時期とあわせている。

 その後、周辺諸侯に執拗に働きかけた結果、ラシェンズ候はこうして実に総勢五千もの兵を集めたのだ。

 

 むろん、表向きは「王家の成した過ちを糺し、悪しき税を廃すため」ということになっている。

 とはいえ、そんなお題目を信じている者などいるはずもなかった。


(ラシェンズ候の夫人は、もとはといえばグラワリア王家の姫……誰が見ても、下心が透けて見えるというものだ)


 アルヴェイア南部でも、ラシェンズ候家といえば大領主である。

 現当主ドロウズは妻との間にもうけた何人もの娘を他の南部諸侯に嫁がせ、南部一の一門となっていた。

 そもそもアルヴェイア王家からみれば、ラシェンズ候の妻がグラワリアの王女である点からしてまず気に入らないはずだった。

 ケルクス河流域の土地を巡って、グラワリア王国とは長い諍いが続いているのだ。

 そのグラワリアと、南部の大貴族であるラシェンズ候家とが手を結べば、アルヴェイア王都メディルナスは北と南から挟み撃ちにされることになる。


(ラシェンズ候は、グラワリア王家にでも乗せられたか……いや、もともとグラワリアと結んだと疑われ、あの御仁は王都でも冷や飯を食わされていた。とすれば、やはりご本人の……)


 野心を満たすため、ということだろうか。

 すでに王家の権威が形骸化して久しい。

 もともと三王国とも、その血筋はネルサティアの初代太陽王にまでたどれるものである。

 逆に言えば、それ以外の者は王を名乗っても僭称としかならなかった。


(だが、ラシェンズ候の妻女はグラワリア王家の血をひいている……となれば)


 ラシェンズ候には、今年で十歳になる息子がいる。

 彼の血には、グラワリア王家の、しかも女系の血統ではあるが、王家の血筋……いわゆる「黄金の血」が流れていることになる。


(候本人が王にはなれずとも……嫡子が新たなるアルヴェイア王となるのも、決してありえぬ話ではない)


 つまりラシェンズ候の真の目的は、自らの息子を新たな王とすることではないのか。

 セルナーダでは原則として父系の血がなにより大事だが、ラシェンズ侯もごくわずかとはいえ「黄金の血」をひいているので、嫡男を王位につけるのも、決して不可能というわけでもない。


(幸いにというべきか、今のアルヴェイア王家には嫁となる姫にもいる)


 結局はそれが、ラシェンズ候の「義挙」の真相と見るのがまともな貴族の目だった。

 ネルトゥス自身、その点については熟慮してきたのだ。

 誰の目にもいまのアルヴェイア王家に未来がないことは明らかである。

 そもそもラシェンズ候が決起するきっかけともなった、「林檎酒税」などという馬鹿げた税を押しつけてくる時点で王家に明日があると思えない。

 そこで、いつものようにネルトゥスの思考は停止する。

 本当にこの税は、金策に困った王家の無謀な試みなのだろうか。あるいは……。


(まさか、とは思うが、な)


 もしネルトゥスの思考……いまの時点で人に話したりしたら笑われるだけだろう……が万一、当たっているとすれば、王家にはとんでもない知恵者がいることになる。

 たとえば、あの姫はどうだ?


 不可思議な目を持つ、この世のものとも思われぬほど美しいあの少女が、裏ですべての絵図を描いていたとしたら?


(ええい……戦の前に、下らぬことで悩んでいても仕方がない。これだから、俺は周囲からとやかくいわれるのだ)


 ネルトゥスは、かぶりをふった。

 こんなことだから、いつまでたってもラシェンズ候に頭が上がらないのだ。

 いくら舅とはいえ、ハルメス伯家は家格でいえば成り上がりのラシェンズ候家などより遙かに上なのだから。

 さらにいえば、ネルトゥスはいままでネヴィオンとの戦役で軍功を重ねている。

 なるほど政治的な手腕でいえばラシェンズ候のほうが上手かもしれないが、彼には軍を率いた経験がない。

 その点、「ハルメスの鮫」とも恐れられる自分も、もっと自信をもってよいはずだ。

 自分で意識している通り、ネルトゥスは決して剛胆な性格の持ち主とは言えなかった。

 またどちらかといえば優柔不断で、特に家に帰れば五歳年下の妻に頭が上がらない恐妻家でもある。


(うだうだと考えていても無駄なことだ……ここまできたら、どのみち引き返すこともできんのだから)


 内心の不安を押し流すように、ハルメス伯は一気に林檎酒を飲み干した。

 だが、不幸にして彼の危惧は的中することになる。


 後に、「ハルメスの鮫」に変わって「敗北伯」という不名誉な名を得ることになるネルトゥスの負け戦の、これが始まりだった。

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