10  大勝

「実際のところは、どうなんだろうなあ……よくわからねえ。まったく、うちの殿様にも困ったもんだ。みんな正直、なにが哀しくて河わたってアルヴェイアまできたんだって考えているだろうよ」


 兵の士気がさして高くないことはこの言葉だけでも十分にわかる。


「まあ、殿様のやることだから仕方ねえけどな……ただ、ほら、『兵士の権利』ってものがあるからなあ」


 そういうと、兵はにやにやと笑った。

 この時代、戦で負けた方は略奪をうけるのが普通である。そうした「ご褒美」があるからこそ、兵たちもついてくるのだ。


「ああ……お前さんたち、一応、俺たちは正式な兵士で、あんたらはちょっと違うわけだから……そこらへんは、わきまえてくれよ」


 兵士たちが、一斉にガラスキスにむけて、さきほどよりはいささか冷ややかな目をむけた。


「ええ……それはまあ、わかってますよ」


 そう言って、ガラスキスは、空の銀の月の位置を確かめた。

 かがり火が焚かれているが、むろんそれで月が見えなくなるようなことはない。


「そろそろ……かな」


「へっ?」


 ガラスキスの言葉に、兵士たちがいぶかしげな顔をしたそのときだった。

 突如、闇のなかから、数条の紫色の電撃が放たれた。


「ひいっ」


 電撃の直撃をうけた兵士が、口から泡を吹いていた。一瞬にして全身を駆け抜けた電流は、運が悪い者の心臓を停止させるほどの力がある。

 だが、いま電撃をうけた兵士は、幸い、心停止はしなかったらしい。

 それでも電流を流されると、人体は凄まじい痛みを感じるものだ。苦痛のあまり、兵士はしばらく動けないようだった。電流には、筋力を硬直させて身動きもできなくさせる効果がある。


「なんだ……なんだ、これは!」


 たちまちのうちに、兵士たちの間に動揺が広まっていった。


「嵐の王だ!」


「嵐の王の軍勢が、やってきたんだ!」


 そんな声が、サティネスの周囲を包囲していた兵たちの間から自然とわき起こる。

 すでに、ガラスキスやごろつきたちは、この三日を利用して、いかに嵐の王が恐ろしい存在であるか吹聴してまわっていたのだ。

 むろん、兵たちのほとんどは、それを一種のほら話として聞いていた。辺境に住む恐ろしい魔獣や悪霊の類の話と同じような、あくまでも「自分たちとは関係のない噂話」だとばかり思っていたのである。


 だがそのほら話が、突然、現実の脅威となった。


「嵐の王が率いるリューン軍がきた!」


「アスヴィンの森を突っ切った、あの嵐の王の軍隊だ!」


「二千……いや、三千はいるぞっ!」


 ガラスキスやごろつきたちは、無責任な噂話を叫びながら、その場から一斉に逃げ始めた。


「冗談じゃねえ! あんなのと戦えるか!」


「あいつらは魔獣とも戦ったっていう怪物どもだぞ! とてもじゃねえが、勝ち目はねえ!」


 もはや、サティネス包囲軍のなかには、凄まじい混乱が広まっていた。

 信じられない話が、いつのまにか現実になっている。

 闇の中を駆ける紫電は、ランサールの槍乙女の使う特殊な法力に間違いなかった。


「本物だ! グランカの戦場で、俺はあの稲妻を見たことがある!」


 もともと、ランサールの槍乙女たちは、ガイナス王側について戦っていた。だから、セイルヴァス派だったザイクスやアニウスの兵たちは、ランサールの槍乙女たちの法力を目にしたものが少なからずいたのである。

 人間は混乱がおきると、まず周囲の動勢を見極めようとする習性がある。

 兵たちがみたのは、闇のなかに無秩序に逃げまどっていくものたちの姿だった。

 実のところ彼らはそのほとんどが、あらかじめこのときがくれば噂を叫びながら逃げるようにと命じられていた、ごろつきたちである。

 だが、いくらかがり火を焚いていても、また月影があったとしても、夜の暗がりではそんな細かいことはわからない。

 なにしろ八百人もの人間が、一斉に逃げ出したのである。それとは対照的に、何人もの男女がこちらにむかって剣や槍をかざしながら殺到してくる。

 なかでも、彼らの先頭に立つ男は……もちろん、噂話のせいもあるのだが……戦いのために生まれた鬼神の類にしか見えなかった。

 金色の蓬髪を乱し、その目は青と銀とに輝いている。

 とてもつない偉丈夫が、巨大な大剣をかざしながら地の底からわき起こるような咆吼を放ち、接近してくる。

 勇敢な兵士が何人か、男を止めようとしたが、彼らはあまりにも無造作に、次々に斬られ、跳ねとばされていった。

 それはもはや、人ではないもののようにさえ、兵士たちの目には映った。


「嵐の王がきたぞ!」


 誰かの叫び声が、崩壊の引き金になった。

 なにしろ兵士たちの主観からすれば、すでに大量の兵士が逃げているのである。実際には彼らはごろつきたちにすぎないのだが、この突然の事態は、誰もが冷静な判断力を失っている。


「逃げろ! 殺されるぞ!」


「逃げろ! 嵐の王が……嵐の王が本当にやってきた!」


 もはや、勝負はついたも同然だった。

 完全に恐慌をきたした兵ほど脆いものはない。彼らは算を乱して逃げまどった。

 千五百の兵士とはいっても、一度、崩壊を始めた軍勢はもはや押しとどめることは不可能である。

 こうして、アルヴェイアで初めて行ったリューン軍わずかに百人の戦いは、圧倒的勝利となって終わったのだった。

 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る