11 奇妙な男
サティネスの外郭をなす塔の一つから、ネスヴィールは眼下で起きた信じられない光景を、呆然と見つめていた。
正直にいって、サティネスはおそらく、あと一月もすれば降伏するしかないところにまで追いつめられていたのである。
本格的な攻城戦が行われずとも、城内の民の胃袋は毎日、食料を消費していく。サティネスに蓄えられた糧秣は、決して豊かとはいえなかった。
だから、ある意味では……あの、謎の軍勢に助けられたともいえる。
だが、ネスヴィールの目からすれば、まるで一種の「魔法」のようだった。
ついさきほどまで、二千をゆうに越える軍勢に囲まれていたのである。もともとグラワリアの諸侯が率いていた兵は千五百ほどだったが、途中から増援がなされた。
正直にいって兵の質は低いようにみえたが、新たに敵兵が増えたことで、サティネス城内の、二百に満たない兵士たちの士気は低下した。おそらくそれを狙って、領内で暴れているごろつきを集めたのだろう、とネスヴィールは考えていたのだが……。
「しかし、あれは……本当に、『嵐の王』だというのか」
自分で改めて口に出してみると、とても現実とは思えない。
アスヴィンの森の近く、アンネス村近辺におかしな軍勢が出現したことは、ネスヴィールも知っている。
嵐の王は、アスヴィンをぬけて、妻のレクセリアを連れているという馬鹿げた噂話も聞いた。
あるいはこちらの監視の目をくぐりぬけたグラワリアの兵士たちかもしれないと思い、ごろつきたちにむけて嵐の王とレクセリアの身柄を確保したら賞金を与えると布告を出した。
ただでさえ領内の治安は最悪なのだから、二つの勢力をうまくかみ合わせれば一気に叩けると思ったのだ。
さらには股肱の臣である騎士ヴァトス・ネセルスに兵を率いさせ、二つの軍勢がぶつかってぼろぼろになったあと、一気の討伐する腹づもりだった。
その目算は、見事に外れた。
いつのまにか「嵐の王」はごろつきどもを仲間につけ、騎士ヴァトスは捕らえられた。そして逃げ帰ってきた兵士たちの話を確認する暇もなく、今度はケルクス河を渡河してグラワリア諸侯がやってきたのである。
兵数が、圧倒的に少な過ぎる。本来、籠城というものは、援軍がくることを前提にして行うものだ。ただ城に籠もるだけでは、言うなれば先延ばしをしているだけで一種の緩慢な自殺である。
だが、他に手がなかった。
唯一の頼みの綱は、国王派の近隣諸侯が救援にきてくれることくらいのものだったが、正直、それも望み薄だった。いまではアルヴェイア各地で、国王派とエルナス公派にわかれた諸侯が、互いに領地の切り取りを始めているという状況である。
兄であるネスファーは国王派、より正確にいうならば、セムロス伯派だった。だから、ネスヴィールも国王派と、周囲から見なされているだろう。そのため、もし救援がくるならば国王派からのはずだったのだが……。
「嵐の王……ほらや、冗談の類ではなかったというのか」
いま、サティネスの城門の前にいる兵士たちを、ネスヴィールはただ見つめるしかなかった。
特に、先頭にたって戦っていた男の戦いぶりは、凄まじいものがあった。まさに戦場を駆け抜ける嵐そのものである。
だが、総勢はよくよく見れば、なんと百人ほどに過ぎない。
百人の兵士が、二千を超える兵士をあっけなく蹴散らしてしまったのだ。まさにそれは「魔法」とでもしかいいようのない、光景だった。
しかし、彼らの望みは……一体、なんなのだろうか?
得体がしれない相手である。むろん、グラワリア兵を追い払ってくれたことはありがたいが、それでも早計に味方と考えるのは危険だった。
まさかとは思うが、さきほどの戦いすらもが「演技」という可能性もある。グラワリア諸侯にそこまでの策士がいるか、正直にいって疑問ではあったが、あえて精兵を集めて、「嵐の王」などと名乗らせ、こちらを油断させたあげく、城内に入るつもりかもしれない……。
貴族や領主に生まれつくということは、つまりは猜疑心の塊になる、ということでもある。
なにしろ、領主は領民の命や財産を預かっているのだ。ましてやこんな乱世では、お人好しではそれだけで生きのびてこれない。
「しかし……どうにも、おかしな軍勢ですな……」
ネスヴィールの傍らにいた、奇態ななりの男が低い声で言った。
「スィーナ殿はグラワリアにも詳しい。ああした軍勢は見覚えはありませんか?」
それを聞いて、スィーナという男がうなずいた。
「さて……ただ、ランサールの槍乙女がいることは、間違いございませんな。あの法力は独特で、紫色の電撃を発する。むろんウォーザの僧や魔術師のなかにも似たような技を使う者はいますが、あれだけ数を集めて集中活用するとは、やはりランサールの槍乙女と考えるのが自然でしょう。ガイナス王の軍勢が、よく使った手でもあります」
やはり、このスィーナという男は、相当にグラワリアの軍事にも通じている。
一言でいえば、怪しい男だった。なにしろ、顔に袋をかぶり、両目と口だけを出しているのだから。
本人の弁によれば、溶顔病にかかっているのだという。溶顔病は命に関わることはないが、顔の皮膚や肉がただれ、溶け流れるようにも見える恐ろしい病である。
人に感染したりすることはないが、なにしろ凄まじい顔になってしまうため、人々に忌避されていた。
だが、本当にこの男が溶顔病なのか、実のところ、ネスヴィールは疑っている。
まず、スィーナという名前がひっかかる。
スィーナとは、すなわち古代ネルサティア語で「魚」を意味する名なのだ。
一人の男がしばらく前にグラワリアから失踪している。
ガイナス王の弟であり、正統なグラワリア王を主張するセイルヴァスである。
なにが原因で行方をくらましたのかまではわからない。
だが、とにかくグラワリアから消えたセイルヴァスは、アルヴェイアのどこかに潜伏しているという。
そしてセイルヴァスは、もともとが魚売りであり、さらにはまるでアクラ海に住む魚人のような、魚めいた顔を持つという話を聞いたことがある。
あるいはこの袋は、溶顔病などではなく、自らの特徴的な顔を隠すためではないのだろうか。
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