12  青いドレスの少女

 そもそも、スィーナと出会ったのはサティネスの市場だった。

 スィーナは、ケルクス河の上流から運河を通り、グラワリアの中央にあるグラワール湖で産する魚介類を売っていたのである。

 グラワリアとアルヴェイアは、長年にわたり小競り合いを繰り返してきたため、ケルクス河を使った水上交易もあまり活発ではなかった。そのため、スィーナが運んでくるグラワール湖の魚介類はよく売れた。

 ただ、なにしろ怪しげな顔に、グラワリア訛りの言葉を喋るスィーナを、あるいはグラワリアのどこかの諸侯の密偵ではないかと疑う者も少なくなかった。そこで、ネスヴィール本人が偶然を装い、スィーナの人となりを確かめた。

 間者である可能性は、皆無とはいえない。だが、なにかまた別の匂いを、この覆面の魚売りからネスヴィールは感じた。

 あえていうならば、それは支配者の血である。

 スィーナは、人の良い商人だった。それは彼の演技ではないことは、なんとなくネスヴィールにもわかる。

 だがそれでもどこか、ときおり、人に命令を下すことに慣れた人間特有のふるまいのようなものがある。

 傲慢なわけではない。おそらくそれは、やはり命令することに慣れたネスヴィールなどの貴族の生まれの者にしか察することができぬような、微妙なものだ。

 とはいえ、生来の支配者に生まれついたという感じでもないのだ。むしろ心配りなどはきわめて細やかで、ある意味、幼い頃は相当に苦労してきたのでないか、というような腰の低さもある。

 苦労人が商人として成功したというのともなにか違う、妙な違和感めいたものがある。そしてそれはグラワリア王セイルヴァスの生育歴と、奇妙に一致するのだ。

 だが仮にも三王国の一つ、グラワリア王として即位した者が、いくらなんでも王位を放り出して、また一介の魚売りに戻るなどということがありうるだろうか?

 正直にいって、やはりスィーナという男の懐が見えない。ただ、彼は才知に富み、かなりの商才の持ち主のようだった。セイルヴァスによれば、商業は人の営みでは非常に重要なものなのだという。自分は商人をやれて幸せだ、というときのスィーナの目は、嘘をついているようには見えなかった。

 グラワリア諸侯がやってきたとき、たまたまスィーナもサティネス城内にいた。そこで、城内に彼を匿いながら、グラワリア諸侯の動勢などについて問いただすと、やはりまた驚くほど詳細な情報を持っていたのだ。

 まだ、間者という疑いをといたわけではない。だが同時に、あるいはこの男がグラワリア王セイルヴァスではないか、という可能性もネスヴィールは保留し続けている。


「スィーナどの……嵐の王については、なにかご存じか?」


 ネスヴィールの問いに、スィーナが小さくかぶりを振った。


「いえ。私は嵐の王についてはよく存じ上げないのですが……ただ、ガイナス王に次代のグラワリア王に指名されたとか」


 一瞬、袋の奥でスィーナの瞳が輝きを増したように見えた。


「個人的には……実に、興味がありますな。嵐の王……確か、名はリューンヴァイスと言ったかと。さらには、ガイナス王はかのものをレクセリア姫と勝手に娶せてしまったという話で。だとすれば……レクセリア殿下もこの下におられるかもしれない」


「しかし、それでは『嵐の王』とやらの軍勢は、本当にアスヴィンを越えたと? あの森の恐ろしさは、私はよく知っておりますが……」


 スィーナは眼下の兵たちを凝視しながら言った。


「何事も、一度、成功者が出る前は不可能にみえるものです。そもそも嵐の王は、黄金の血などというものを一滴もひかぬというのに、グラワリア王位を継いだ希有な男です。さらにはかの者には嵐の王ウォーザの加護があるとも聞いております。あるいは、なにやらそうした超自然の力が、あのものを守っているのかもしれませぬ」


 確かに、ネスヴィールもその可能性については考えていた。超常の力というものは、セルナーダの地ではさまざまな物事に関わってくる。


「しかし……それでもやはり……だいたい、黄金の血をひかぬ者、すなわち太陽神ソラリスの血をひかぬものが王になるなど……」


「はあ」


 スィーナが、苦笑した。


「黄金の血? それがなんだというのですかね? 遙か父祖は太陽の神だという。なるほど、それは大したものだ。ですが、なぜその血をひかねば王になってはならぬというのでしょう? 血というのは……所詮は、その程度のものではありませんか?」


 やはり、このスィーナという男は妙だ。

 黄金の血をひく者しか王になれない。これは三王国に住む者であれば、太陽が東から昇り西に沈むのと同じような常識なのである。さらにいえば血脈により王統が継がれるといのも、当然のことだ。

 それを、スィーナは批判している。

 ある意味では、この時点ですでに狂気を司るホス神に憑かれているとみなされてもおかしくない発言なのである。だが、スィーナはそんなことには気づいてもいないようだ。

 あるいは、本当にこの男は、セイルヴァスかもしれない。

 だが、だとしたら……この事態は、正直にいって自分の手にはあまる、とネスヴィールは考えていた。

 万一、スィーナがセイルヴァスだとしよう。そして、いま城壁の外にいるのが、嵐の王のリューンとか言う者だったとする。

 そうすると、なんとグラワリア王が二人も揃うことになる。

 もっとも、セイルヴァスも正式に、王位を認められたわけでない。彼はグラワリアの反ガイナス派貴族たちに担ぎ上げられたいわば飾りだ。一方のリューンに至っては、グラワリア王家の血など一滴もひいていないただの傭兵である。

 だが、少なくとも彼はグラワリアの王権の象徴である玉璽を持っているらしい。

 もし二人のグラワリア王が出会えば……一体、何が起こるのか、ネスヴィールには想像もつかなかった。

 もともと、兄の影として地道な政務をこなすのが本分だったのに、気がつくととんでもない運命の流れに巻き込まれそうな気がする。

 そのとき、城壁の下に、一人の、青いドレスに身を包んだ若い娘が現れた。

 彼女の姿を見て、ネスヴィールは体が勝手に震え始めるのを感じていた。


「そんな……まさか、本当に……」


 城壁の下の少女は、威厳のこめられた声で告げた。


「ネスヴィール卿! 私はレクセリア・ヴィア・アルヴェイア! アルヴェイア国王シュタルティス二世の妹にして、グラワリア国王リューンヴァイスの妻です。ただちに、城門を開けなさい!」

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