3 行軍
二万二千のアルヴェイア軍が王都メディルナスより進発した。
総大将は新たに即位した国王シュタルティスの王妹であるレクセリアである。
副将は、王国一の大貴族にして、アルヴェイス河の河口域に広大な領土を持つエルナス公ゼルファナスだ。
それは、まさにアルヴェイアという国家そのものの威信をかけた軍勢だった。
軍を率いるのは、少女の身とはいえ王の妹にあたるレクセリアなのだから、本陣には当然のようにアルヴェイアの王国旗である青地に黄金のアルデアの紋の旗が翻っている。
メディルナスを出た軍勢はまず、東へと向かった。
アルヴェイアとグラワリアの国境には、アスヴィンの名で知られる大森林地帯がある。
遙か古来からの謎めいた遺跡が残り、超常の力を持つ魔獣が闊歩する鬱蒼とした巨大な森だ。
アルヴェイア、グラワリア両国の境ともなってきたこの森の南の縁をアルヴェイアの軍勢は東進した。続いてターラキア伯領のあたりでその矛先を北に向け、軍勢は今度は北進を続ける。
一般に、人力で動く軍勢の一日の行軍距離は一日に二〇イレム(約三十キロ)とされている。
レクセリア率いるアルヴェイア軍の行軍速度も、ほぼ常識通りの行軍速度だった。
二万二千の軍勢の編成は、大きく二つに分かたれていた。
王国軍を主体とした、総大将たるレクセリア麾下の一万五千の軍と、副将であるゼルファナス率いる七千の軍勢である。
現在は、ゼルファナス軍が前方に出て、その後ろに本隊といえるレクセリア軍が続く格好になっている。
「はっ……こりゃ、まさに威風堂々ってものじゃねえか」
満足げな笑みを浮かべて、リューンはそう言った。
彼が率いるエルナス親衛隊は、ゼルファナス軍の先鋒を任されていたのだ。
二軍のうち、ゼルファナス軍のほうが先陣を務めているのだから、リューンたちがアルヴェイア軍二万二千の先頭にたって、行軍を続けていることになる。
他の兵卒に比べ、特にリューンの姿はひどく目立った。
なにしろ黄金色の蓬髪を長く伸ばした、驚くべき巨漢なのである。
その身長は実に六エフテ半(約一九五センチ)もあった。
背には刀身の長さだけで軽く四エフテ(約一二0センチ)はありそうな怪物じみた大剣を背負っている。
男らしい、見事な筋肉でよろわれた逞しい体躯の持ち主である。
その力強い、ほとんど獣性に満ちたといって良い肉体に対し、リューンの面差しはわずかに女性的な繊細ささえもった。かなり整ったものだった。
たとえばゼルファナスあたりには到底、及ばぬはいえ、かなり美男といってもよい。
だが、リューンを見る者は誰であれ、その瞳にまず意識を奪われる。
彼の瞳の色は、左右で違っていたのである。
左目は銀を思わせる灰色、そして右目はといえば天上の如き青である。
それはこの軍勢を率いている王妹レクセリアと同じ、俗に言う「ウォーザの目」だった。
生まれ育ちのまったく異なる二人ではあったが、彼らは奇縁とでもいうべきもので結ばれている。
リューンは、かつて戦場でレクセリアの命を助けたことがあるのだ。
当時は一介の傭兵に過ぎなかった彼も、いまではそれなりに出世している。
リューンは現在ではエルナス公ゼルファナスが新設したエルナス公の私設常備軍、エルナス親衛隊の隊長を務めているのだ。
エルナス親衛隊は、そのほとんどがリューンを始めとして傭兵出身者で占められている。
もともとリューンは、「雷鳴団」という傭兵団の団長を務めていた。
いまでは雷鳴団も、みなエルナス親衛隊の一員となっている。
他の親衛隊員も、リューンのかつての傭兵時代の縁故やつてを辿って一団に参加した者ばかりだった。
傭兵というのは、自由である反面、戦争がなければ仕事にならない。
つまりは、常に飢える危険を孕んでいるということである。
傭兵たちの多くが、常設軍の一員として雇われることを望んでいた。
しかしいままでは、そうした仕組みそのものがなかったのだ。
たとえばアルヴェイアは王国軍という立派な常備軍を持っているが、いままで傭兵がその組織に組み込まれることはなかった。
所詮、傭兵はその場に応じて雇われる使い捨ての兵士、というのがこの時代の支配者の認識だったのだ。
エルナス公ゼルファナスは、そうした常識を破り、公爵家そのものの常備軍……いうなればエルナス公爵領軍とでもいうべきものを元傭兵出身者を中心に創設したのだった。
それが、このエルナス親衛隊なのである。
どうやらゼルファナスはかなり以前からこの構想を持っていたらしく、装備などもすでに整えられていた。
そのためリューンたちエルナス親衛隊はみな揃いの革鎧を鉄片で補強した鎧をまとい、背には青と白の地に黄金の剣のエルナス公家の紋章をあしらった外套を羽織って行軍している。
てんでばらばらな装備や衣装を持つことが多い傭兵時代とは異なり、衣服などの色を揃えただけで、エルナス親衛隊は非常に統一された印象を見る者に与えていた。
アルヴェイア軍の栄誉ある先鋒を務めるにふさわしい、規律正しい軍隊といった趣である。
リューン自身、威風堂々と言っていたが、実際、人数はまだわずか五百人に過ぎないとはいえ、エルナス親衛隊がエルナス公旗をかざしながら行軍するさまはなかなかの壮観といえた。
「ま……兄者の言う通り、見てくれだけは確かによくなったけどな」
リューンの傍らにいた小柄な男が、いささか皮肉げな口調で言った。
「これもみんな、エルナスの殿様の政治的な配慮ってわけだ。レクセリア殿下が王権強化を図ろうとしているこの時期に、あえてエルナス公家常備軍であるエルナス親衛隊を創設したのも、王家に対する牽制のためだしな。おまけに俺たちを先鋒にすることで、他の諸侯にもこのエルナス親衛隊を印象づける……さすがにエルナスの殿様はただ見た目が良いだけじゃない。なかなかの切れ者だね」
小男はにやりと笑った。
兄者とリューンのことを呼ぶことからもわかる通り、彼はリューンの実の……おそらくは父は違うだろうが……弟である。
だがその容貌はとても兄弟とは思えぬほど、兄とは対照的なものだった。
彼の名はカグラーンという。かつては雷鳴団の、そして現在ではエルナス親衛隊の副団長を務める男である。
兄が巨漢であるのに対し、カグラーンの背はせいぜい五エフテ(約一五0)センチあるかどうかだ。
おまけにその顔はお世辞にも美男とはいえない。目がぎょろりとしており、口も大きく裂けているさまは、どこか蛙を思わせる。
だが、彼は雷鳴団時代からの、リューンの知恵袋だった。そもそも多くのリューンの知己の傭兵たちに手紙を書き送り、エルナス親衛隊に加わるよう勧めたのも彼なのである。
カグラーンの実務能力がなければ、エルナス親衛隊はとても一つの部隊として機能してはいなかったろう。
なにしろもともとが傭兵というものは我が強いのが相場である。
彼らをただの傭兵の寄せ集めではなく、一つの軍隊としてそれなりにまとめているのはカグラーンの力あってのことだ。
傭兵同士の複雑な人間関係を把握し、それぞれにあった部隊を編成する。
地味ではあるが、非常に重要な仕事である。
こうした仕事をさせると、カグラーンは実によく働く。
そもそも彼がいなければ、リューンも雷鳴団という傭兵団の首領を務めることもなく、いまではごろつきとさして変わらぬ一介の傭兵に過ぎなかったろう。
そのことを、リューン自身、誰よりも自覚している。
そのため、弟であり副団長でもあるこの男の言うことには、常におとなしく耳を傾けていた。
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