2 王女の不安

 わずかに白みがかった黄金のさらりとした髪を高く結い上げている。

 繊細な鼻梁と尖ったおとがい、そして花の蕾のような唇は美少女と呼ぶにふさわしいものだ。

 もともとアルヴェイア王家は美形の多い一族だが、そのなかでも彼女の美しさは抜きんでている。

 さすがにゼルファナスのような人すらも超越したような美ではなかったが、希に見るような美しさを持つ少女だった。

 だが、その美も「正常」とは異なる、どこか異形のものを孕んでいる。

 彼女は左右で瞳の色が違うのである。

 左目は、銀色のようにも見える灰色の瞳で、一方の右目は天空のような鮮やかな青い色をしているのだ。

 この二つの瞳の色の差異が、レクセリアの美を通常のものと異なる、どこか異国的なものに見せていた。

 青と灰色という瞳の色の組み合わせは俗に言う「ウォーザの目」と呼ばれるもので、おそらくは百万人に一人、いるかいないかといったところだろう。

 だが、王家の一員にウォーザの目の持ち主がいるのは不吉、という者もいた。

 ウォーザとはもともとセルナーダ先住民系の嵐の神であり、現在の支配者であるネルサティア系の神々、特にソラリス神の仇敵ともされていたからだ。

 現在ではソラリス神との戦いに敗れたウォーザ神は、セルナーダで信仰されているあまたの神々の一柱に過ぎないが、かつては主神の権威と天空とをめぐってソラリス神とも争ったのだ。

 また「ウォーザの目」を持つ者は、一度、太陽が死してまた復活した後に「嵐の王」になるという奇妙な伝承も伝わっている。

 その予言の解釈にもいろいろとあるが、そもそも守護神がソラリス神であるアルヴェイア王家にあって、ウォーザの目を持つ者があらわれたことは確かにある意味では不吉なことかもしれない。

 もっとも、レクセリア本人はさしてそんな予言とやらは気に掛けていなかったが。

 いまの彼女はアルヴェイア王家の一員として、黙って儀礼が信仰するのを見つめている。

 レクセリアは即位の礼の時でもない限り身につけぬような、「太陽板」と呼ばれる黄金製の円盤を幾つも全身に飾り立てていた。

 そのため、彼女がわずかに動いただけでドレスに吊した黄金の円盤同士がぶつかりあい、じゃらじゃらという重々しい音をたてる。

 レクセリアは女の身であるが、こうしたドレスや装身具の類にはまったく興味がない。

 いまもいくら王妹とはいえ、なぜこれほど重たいものを下げなくてはならないのかと、内心、不満である。


(どうせ同じように重たいものなら、鎧でも身につけていたほうがまだましというものです)


 それが、レクセリアの本音だった。

 彼女は二ヶ月ほど前に起きた南部諸侯の反乱を、王国軍を率いて鎮撫している。

 反逆した諸侯は総勢五千をかぞえ、さらに彼らは重武装した騎士たちを千も揃えていたのだが、わずか三千の歩兵の集団であるレクセリアの軍勢にあっさりとうち破られたのだ。

 そのおかげでいまでは彼女は「アルヴェイアの戦姫」などという呼び名までつけられている始末だった。

 そもそも王女が一国の軍勢を率いて勝利をおさめるなど、長いセルナーダの歴史でも他に類例がない。

 芸術家肌、あるいは文人肌である兄シュタルティスに対し、レクセリアは女だてらに一種の「武人」と見なされていた。

 庶民の人気も、圧倒的とすらいえる。

 父王が亡くなり、兄であるシュタルティスが新王として即位して一番、安堵に胸をなで下ろしたのは他ならぬレクセリアだった。

 実は父王は亡くなる直前に、「シュタルティスを王太子より廃し、レクセリアを王位につけるよう」にとの遺言を残していたのだ。

 最悪の場合、兄と王位をかけて争うことに……否、「争わされる」ことになりかねなかった。

 なにしろ乱世でもあり、貴族諸侯のなかでも、惰弱なシュタルティスよりも女ながら軍略にも長けたレクセリアが女王に即位したほうが良いのではないか、と囁く者は少なくなかったのだ。

 水面下ではさまざまな働きかけがあったが、レクセリアはそれらをすべてはねつけた。

 レクセリアの目標は、アルヴェイアを現在の貴族諸侯が実権を持つ状態から、かつてのような王を中心とした中央集権国家に戻すことなのである。

 そのためには、国王の地位は盤石でなければならない。

 だからあえて、レクセリアは兄シュタルティスの支持にまわった。

 ここでもし自分が王位を主張しようものなら、アルヴェイアは大混乱に陥るだろう。

 だが、いまのアルヴェイアはそんなお家騒動をしている暇はないのだ。

 なにしろ北方の隣国、グラワリアが三万を超える大軍をもって王国領の北東部ネルディ地方に侵攻し、さらにはこの王都メディルナスを狙っているのである。

 国家存亡の危機、といっても決して過大な表現とはいえまい。

 すでに王国全土から兵力を招集し、重装備の騎士から歩兵、輜重隊、傭兵などあわせてアルヴェイアも二万二千の軍勢を集めている。

 そろそろ夏のネルドゥ麦の刈り入れ時だというこの時期では、ほとんど限界に近い動員をかけたといってもいいだろう。

 とりあえず新王としてシュタルティスを即位させ、軍勢を率いてグラワリア軍を追い払う。

 王家中心の政治に国政を戻すのは、それからの話となる。

 考えるだけで気の重くなる話だが、レクセリアは別に気負ってはいない。

 なにしろ彼女はいまだ十五で成人すら迎えてはいないのだ。

 だが、それが多難な道になるだろうことは容易に予想できる。

 なんといっても気がかりなのが、王国一の大貴族にして新王であるシュタルティスの信任も厚い、エルナス公ゼルファナスだった。

 一見するとこの世のものとも思われぬほど美しく、また賢明に見えるこの若者の性格に為政者として致命的ともいえる欠点があることを、レクセリアは知っている。

 ゼルファナスは、とにかく血を好むのだ。

 その思考は残虐、といってもいい。

 いまのところは庶民や他の諸侯も、他ならぬ兄であるシュタルティスでさえ彼のかぶった羊の皮に騙されているようだが、その下に隠れているおぞしいましい怪物の姿の片鱗を少なくともレクセリアは知っている。

 そしてゼルファナスは、先王ウィクセリス六世の妹の息子にあたるのだ。

 つまりはレクセリアたちとは従兄弟同士というわけだが、もともとエルナス公家は親王家で王家の血が流れている。

 もし、ゼルファナスが王位を狙うようになったら、と考えるだけでレクセリアの背筋には冷たいものが走る。

 アルヴェイアのためにも、ゼルファナスを王位につけるようなことだけは避けなければならない。

 だが、兄である王シュタルティスはあの男のことを信頼している。

 その事実が、レクセリアには不吉に感じられた。

 兄が猜疑心の強い性格であることはよく知っている。

 当然、亡き父王の遺言についてもシュタルティスは知っているはずだ。

 出来る限り、シュタルティスは妹であり、王位継承権を持つ自分のことを権力から遠ざけようとするだろう。

 その空隙をついて、あるいゼルファナスはなにか悪事をなすのではないか?

 すでにアルヴェイア軍の指揮をするのは、レクセリアに決まっている。

 これは、兄であるシュタルティスの判断だという。

 なるほど、確かにかつてレクセリアは反逆した南部諸侯軍を見事にうち破ったのだ。

 まだ十五の少女に一国の軍勢が率いられるなどそれこそ前代未聞だが、一応の実績があるのだから兄がその点を考慮したことは考えられる。

 だが、この軍勢の副将が、ゼルファナスなのである。

 小心な兄の本心としては、妹に大軍を預けるのは不安だったのだろう。

 この軍の矛先が自分に向けられることを恐れ、いわばその目付役としてゼルファナスが副将につけられたのだ。

 ゼルファナスを目付役にすること自体、兄がこの男をいかに信用しているかその証左というものだ。

 しかし、ゼルファナスとともに戦場に出て、まともに戦えるだろうか。

 もしレクセリア率いるアルヴェイア軍がグラワリア軍を撃破すれば、さらにレクセリアの人気は高まるだろう。

 そうなったら、シュタルティスとしては内心、穏やかではないはずだ。

 明後日にはこのメディルナスを進発し、グラワリア軍の待ち受けるネルディへと向かうことになる。

 暗い不安が、レクセリアの胸中でわだかまっていた。

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