第二部 火炎王ガイナス

第一章 新王即位

1 戴冠

 戴冠式の行われたソファランス大聖堂は、王都メディルナスのソラリス寺院でも最も神聖な場所といえた。

 円蓋状の天井には幾つもの硝子窓が張られ、そこから陽光が無数の光条となって射し込んでいる。

 ソラリスはそもそもが太陽神である。

 そのために、ソラリスに捧げられた寺院も自然の太陽光の視覚効果をうまく取り入れた設計となっていた。

 天上より射しこんだ無数の光の束が寺院の金箔や鏡の張られた壁や柱で互いに反射しあい、乱舞するさまは、到底この世のものとも思えぬきらびやかさである。

 精妙にして細緻な装飾で知られる後期ゴブラース様式で建てられた巨大な大伽藍の下には、いま、数百人もの人々が参集していた。

 皆、このアルヴェイアの支配層に属する貴顕ばかりである。

 青い礼服をまとった法務官や財務官といった王国の官僚に、鬱金色のローブをまとい、放射状の光をかたどる、太陽冠とよばれる装身具をかぶったソラリス寺院の僧侶たち。

 だが、なんといってもこのなかでも最大の権勢を誇るのは、色鮮やかな外套をまとい、首に権力の象徴である爵具と呼ばれる金属器を下げた貴族諸侯たちだった。

 彼らこそがいまでこのアルヴェイア王国の支柱となり、国家を支えているのだ。

 かつての中央集権華やかなりし時代はすでに過ぎ去っている。

 いまは、地方を領する貴族たちが互いに集い、国王という神輿を担ぐことでこのアルヴェイアを一つの王国として維持しているのだ。

 その国王……正確にいえば、先日、みまかったウィクセリス六世のあとを継ぐ新王……は、アルヴェイア教区の大僧正により、すでに戴冠式を済ませている。

 頭上に七層もの段となった王冠を頂いたアルヴェイア国王シュタルティス二世は、ソラリス寺院の祭壇の前に立ちつくしたまま「王の短剣」と呼ばれる祭器で自らの親指をそっと切り裂いた。

 紅い雫が白い指の上に盛り上がり、やがて雫となって滴り落ちていく。

 新たな王の血は、高さが実に三エフテ(約九十センチ)もある、巨大な黄金の器へと落下していった。

 器にまんまんと満たされた真紅の葡萄酒と王の血とが混じり合う。

 これから「王の血の洗礼」と呼ばれる、新王即位の際、必ず執り行われる儀式が執行されようとしているのだ。

 セルナーダ人の祖である古代ネルサティア人は、血液を「炎の水」として神聖視していた。

 ネルサティア神話によれば、人間の血は炎がはらむ生命力がとけ込んだ水であり、この水が全身に流れることで初めて生物は生ける物として活力を得ることが出来るのだという。

 故に、血にはその人間の生命の根源が宿っているとされている。

 特に王の血は「黄金の血」とも呼ばれ、太陽神ソラリスの力を持った神聖なものとされていた。

 その血液を葡萄酒に溶かし、王の臣下たる貴族たちが飲み干して新王と霊的に一体化するための魔術儀式が「王の血の洗礼」なのだ。


「ゼルファナス卿」


 新王が、貴族たちが参集しているあたりにむかって、神経質な声をはりあげる。

 一人のまだ年若い男が、黄金の器と新王のもとへと、外套を翻すようにして近づいていった。

 美男である。

 あまりにも端麗に整いすぎた美貌はほとんど人の域を超越しているようにすら見えた。

 人間というよりは、なにかかりそめに人の姿をとった超自然の精霊の如き容貌の持ち主である。

 少女のような面差しに、白っぽくみえる艶やかな白銀色の長い髪、そして花の如き、とても男とは思えぬ華麗とすらいえる唇。

 だが、なんといっても印象的なのは、彼のその瞳だった。

 どこか神秘的な輝きをたたえていながら、同時に深淵のような暗さをあわせもつ闇色の瞳である。

 その美しい面とあいあまって、黒い瞳の妖しい輝きがますます彼をなにか人ならざる存在に見せていた。

 彼は現在、王国一の大貴族、エルナス公に封じられている。

 否、厳密にいえばかつての王が薨去した時点で爵位を持つ者はその位を一時的に失うのだ。

 これから執り行われる「王の血の洗礼」の儀式は、新王に仕える貴族たちの叙爵式でもあるのだった。


「新たなる国王陛下に、我が忠誠を」


 そう言うとゼルファナスは、新王にむかって恭しい仕草で複雑な形状をした金属器を差し出した。

 普段は首から鎖などで下げている、爵具と呼ばれるものだ。

 外套と並び、セルナーダの地での貴族の象徴ともされる物だが、もともと爵具とはこの儀礼で、王の血をまぜた葡萄酒を汲み取るための杯なのである。

 新王に即位したばかりのゼルファナスが、緊張のためか、かすかにうわずった声で言った。


「ゼルファナス卿……汝を、エルナス公爵に任ずる」


 そう言って、爵具を葡萄酒のなかに沈め、真紅の液体をすくい取る。

 エルナス公爵家の爵具にもごてごてと装飾の施されていたが、本来の杯としての機能は失っていなかった。

 紅い色の液体が、爵具にはなみなみとたたえられている。


「陛下の仰せのままに」


 そう答えて、爵具につがれた葡萄酒をゼルファナスはゆっくりと飲み干した。

 かくてゼルファナスは、改めてエルナス公爵として封ぜられたのである。


「先代エルナス公爵ゼルファナス卿、新たなる王によりて再びエルナス公爵に封じられましてございます」


 布令係の小姓の甲高い声とともに、大聖堂のなかには歓呼の声が響き渡った。

 同時に、貴族諸侯が自らの諸侯を天にむけて高々と差し出す。

 これは「王のご採決に意義はなし」という、なかば儀礼化した意志表示である。

 続いて何人もの諸侯たちが、爵位や家格などの高い順に、次々に「王の血の洗礼」の儀式をうけていった。

 この儀式は、単なる古くからの伝統というわけではない。

 魔術的な効果を持つ神聖な儀礼なのだ。

 爵具と葡萄酒をたたえた黄金の器は、ともに太陽神ソラリスの祭器である。

 この儀式を通じて、王と諸侯たちの間には霊的な繋がりが生まれるのである。

 一度、王と霊的に絆を結んだ者は、たとえば王に対して反逆したりしようとすると、心身に苦痛を覚えるようになる。

 つまりこの儀礼は貴族たちと王を結びつけると同時に、諸侯の反逆を押さえるためのものでもあるのだ。

 とはいえ、両者を結びつける力の源であるソラリス神の力そのものが、近年、急激に衰えていた。

 アクラ海の向こうから伝わってくる風聞によれば、ソラリス神は地上に顕現した後、敵対する死の女神ノーヴァと戦い、敗北したという。

 この二柱の強大な神の戦いのあおりをうけて、ネルサティア文明そのものも滅亡したらしい。

 死の女神にソラリス神が敗北としたという事実は、かの神に仕える僧侶たちにも深刻な影響を与えていた。

 かつてに比べて神からの力の現れである法力の威力が、極端に減衰してしまったのである。

 この影響は、当然、ソラリス神の祭器である爵具や黄金の器にも及んでいるだろう。

 となれば、王と貴族諸侯たちの間に結ばれた霊的な絆も、かつてよりは遙かに弱いものとなっているはずだ。


(となれば……いまは神妙にああして爵具の葡萄酒を飲み干している者たちの間からも、いずれ王家に反旗を翻す者が出るかもしれませんね)


 「王の血の洗礼」をうける貴族たちを見つめながら、一人の少女が皮肉な思いでそう胸のうちでつぶやいた。

 なかなかに美しい、凛然とした雰囲気の少女である。

 だが、彼女がまとっている七段礼装の青いドレスは、このような式典の場で王家のものしか着用が許されぬものだ。

 とはいえ、むろん誰も彼女が七段礼装のドレスをまとっていても、とがめだてはしない。

 彼女は名をレクセリアといい、新王の王妹にあたる王族だったのだから。

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