13 崩御

 ひどく体が重かった。

 一体、この病はいつになれば治るというのか。

 実はその答えがどんなものか、ウィクセリスは薄々、気づいていた。

 この病は、快癒することはない。

 これは死病だ。

 自分はこの寝台で、遠からずソラリス神の御許に召されるようになるだろう。

 死が恐くないといえば嘘になる。

 だが、それよりも恐ろしいのは自分が死んだ後のことだ。

 当然、自分の死後は王太子であるシュタルティスが後を継ぐことになるだろう。

 しかし、親の欲目で見ても、シュタルティスはとても国王の器ではない。

 むしろレクセリアこそが、次代の王にふさわしいのではないかとさえ、いまのウィクセリスは考えている。

 なにしろまた十五の娘の身でありながら一軍を率い、ラシェンズ候をはじめとする南部諸侯をうち破ったのだ。

 しかも、レクセリアは林檎酒税を徴用するときから、すでに南部諸侯の反逆を予知していたふしがある。

 おかげで南部に隠然たる影響力を持ち、さまざまな意味で王家に対して野心を抱いていたラシェンズ候ドロウズを排除することができた。

 もし始めからすべてを見通していたとしたに、おそるべき知略とかいいようがない。

 しかし、幸か不幸か、レクセリアは女の身である。

 もし彼女が男であったら、それはそれで面倒なことになったろう。

 無能な……父親としては受け入れたくないことだが、ウィクセリスの国王としての目からすればそうとしか言いようがない……シュタルティスの下に遙かに王位をつぐにふさわしい才気を持つ「弟」がいたら、王位継承をめぐって争いが起きても不思議ではない。

 一番の理想は、レクセリアがシュタルティスを補佐しながら国政を行うことだが、彼女は女である。

 古来、セルナーダの地では女が政治に口をだしてもろくなことになった試しはないのだ。

 どうしても、諸侯の反発を買うだろう。

 それに、エルナス公の問題もある。

 まさか、とは思う。

 だが、万が一、あの若者が王位を要求してきたら……。

 ウィクセリスにとって、ゼルファナスは甥にあたる。

 エルナス公家に嫁いだ彼の妹の子が、ゼルファナスなのだ。

 もともとエルナス公家には濃い王家の血が流れている。

 レクセリアとゼルファナスの不仲は、いずれ王国に暗い影を落とすだろう。

 レクセリアがなぜあれほどゼルファナスを嫌うのか、実をいえばウィクセリスにもわからぬことはない。


(ああ見えて、なかなかレクセリアは人を見る目がある……ゼルファナスは有能な為政者かもしれんが……どうにも、人としてなにか重要なものが欠落している)


 一言でいえばそれは人間としての温かみ、とでもいうのだろうか。

 ゼルファナスは幼くして母を亡くしている。

 そのぶん、彼は姉のユーフィリアに甘えるようにして育ってきたのだが、彼女も数年前、自殺した。

 なぜ彼女が自殺したのか、理由はいまだによくわからない。

 以来、ゼルファナスの心には巨大な空隙ができたように思える。

 一見すると穏やかなように見えるし、民衆への人気とりもうまい。

 だが、あまりに巨大な権力を握らせるとゼルファナスはなにか恐ろしいことをしでかすのではないか。

 そんなかすかな恐怖めいたものを、ウィクセリスも感じている。

 そのときだった。

 突如、扉が開かれたのは。

 イリアミス寺院の尼僧にして、王の看護役を務めるアーティアが、驚いたように声をあげた。


「一体、何事ですか?」


 なにやら、室内が騒がしいことになっている。

 聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。


「これは失礼いたしました。しかしながら、危急の大事にて、一刻も早く陛下にお目通り願いたく……」


 それは、王国宰相カトゥレスの声だった。


「カトゥレスか……そんなに勢い込んで、一体、何事だ」


「それが……」


 カトゥレスが、魁偉な顔をこわばらせて言った。


「ネルディ地方に、グラワリアの軍勢が侵入したとの知らせでございます」


「な……」


 驚きのあまり、一瞬、ウィクセリスは言葉を失った。

 ネルディはアルヴェイアの北東隅に位置する地域であり、金や銀の他、特に大量の鉄を産することで知られている。

 またセルナーダ全土で使われている鉄製の武器や鎧の半分近くは、ネルディで作られたものだ。

 このため、ネルディの鉱物資源を求めてしばしばグラワリアは兵馬を差し向けてきた。

 だが、近年、即位したグラワリア王ガイナスは、弟のスィーラヴァス一派との国内での戦いに力を向けていたため、とてもいまアルヴェイアに遠征する余裕はないはずなのだ。


「ガイナス王が親率するグラワリア兵の総勢は、三万前後と思われます」


「三万……だと?」


 これにはウィクセリスも、唖然とさせられた。

 これほどの規模の軍勢は、この十年ほど三王国のどこも集めてはいない。

 それほどの軍なのだ。

 油断していなかったといえば、嘘になる。

 グラワリアもアルヴェイア同様、あるいはそれ以上に国内の政情は不安定だったのだ。

 むろん、アルヴェイアも間諜をグラワリア国内に放っている。

 これだけの大軍が動けばそれなりに予兆があるはずなのだが……。

 いや、とウィクセリスは苦い思いで考えた。

 あるいは、情報は入っていたのかもしれない。

 しかし、すでにアルヴェイア王国の官僚機構は疲弊しきっている。

 さらにいえば、王太子シュタルティスがグラワリアからの知らせを無視していたのかもしれない。

 ありうることだ。

 南部諸侯が決起した際も、シュタルティスは動かなかった。

 それどころか仮病を使い、妹であるレクセリアを戦場に派遣した。


「やはりシュルタティスでは、だめか……」


 暗澹たる思いでつぶやいたそのときだった。

 突如、体の内側が獣に食い破られるかのような凄まじい痛みを感じて、老王はうめき声あげた。

 なにか熱いものが喉の奥からせり上がってくる。

 気がついたときには、真っ赤な液体を国王は吐き出していた。


「陛下!」


 アーティアが悲鳴をあげる声が遙か遠い世界の出来事のように聞こえてくる。

 駄目だ、とウィクセリスは思った。

 もう自分の肉体は限界に近づいている。

 いや、すでに限界を突破してしまったのか。

 世界が、暗い。

 死とはこういうものか、と他人事のようにウィクセリスは思った。

 だが、その前になすべきことがある。

 シュタルティスに王位を継がせてはとてもグラワリアの侵攻には耐えられない。

 たとえ女であっても、軍事的な才に恵まれたレクセリアを王位に就かせねば……。


「は……はい……ちゃ……」


 激しく吐血しながら、ウィクセリスはなんとか言葉を絞り出そうとした。


「はいちゃく……せよ……シュ……シュルティ……ス……を……」


 どこまで自分の言葉は届いているだろうか。

 これが最後の仕事だ、とウィクセリスは遠のく意識で考えていた。

 この時期にシュタルティスを廃し、レクセリアを王位につけようとすれば国内にさらなる混乱が起きるのは必定である。

 だが、すでに老王の頭からは冷静な思考を行う能力は失われていた。

 彼は文字通り、死力を振り絞って、「王としての最後の仕事」を行おうとしている。

 それがおそるべき混乱の引き金となると気づくことすらなく。


「かわりに……レク……レクセリアを王に……アーティア……カトゥレス……よく聞け……」


 その瞬間、凄まじい量の血液が国王の口から寝台の上に迸った。


「があっ……次代の王は……レクセリアを……レクセリアを……王位に!」


 次の瞬間、顔面を蒼白にしたアーティアと王国宰相の眼前で、アルヴェイア国王ウィクセリス六世は、死んだ。


 かくて新たなる動乱の嵐が、アルヴェイアに吹き荒れることとなる。

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