12 ゼルファナスの闇

 ヴィオスは王国全土に、独自の情報網を有している。

 王家や王国魔術院の諜報とは独立した、彼自身の作り上げた情報網である。

 その網に、まだエルナス公領でもあまり知られていない、妙な噂がひっかかったのだ。


「例の……というと、エルナス公がゼムナリア信者であるという……あれですか?」


 レクセリアの言葉に、ヴィオスがぶるっと身を震わせた。

 ゼムナリア。

 それは古来よりセルナーダの地でひそかに人々に信仰されてきた、おそるべき死の女神である。

 ゼムナリア信者は、ありとあらゆる形の死を奨励する。

 他殺、自殺、とにかく死をまきちらすことが彼らの使命だといってもいい。

 当然のことながら、積極的な信者はほとんどいない。

 この異様な女神を信仰するのは、ある種の異常人格者くらいのものである。

 実際、帝国期からこのかたゼムナリア信徒は何度も弾圧を受けてきた。

 にもかかわらず、いまだこの女神を信じる者は社会の裏に潜んでいるという。

 実はエルナス公はひそかにこの女神に入神し、領内で被害者を捕らえては殺しているという奇怪な噂が、エルナス公領でひそかに流布しているのだ。

 だが、ゼルファナスは少なくとも為政者としては有能である。

 エルナス公領でも、彼の人気は絶大だ。

 そのため、この噂はあまり広まっていない。

 彼を妬んだ者が意図的に荒唐無稽な噂話を流していると、たいていの者は信じている。

 とはいえ、このような妙な噂が流れた下地は確かにある。

 先代のエルナス公の治世で、公領の治安が悪化した時期があった。

 衛視や文官たちの間で賄賂が横行し、盗賊団や強盗が跋扈した。

 エルナスの都は夜歩けば必ず殺される死の都、とすら呼ばれた時期もあるのだ。

 エルナス公となったゼルファナスは、犯罪者たちに苛烈な処罰を下すことで、治安を回復した。

 たとえ銅貨一枚でも盗みを働いた者は、必ず死罪に処されたのだ。

 さらに、この時代はよくあることではあったが、連日、死罪に処された者たちの死体がエルナスの都の広場に晒された。

 おかげで領内での犯罪はぴたりとやんだ。

 むろん、領民たちは新たなエルナス公を賞賛した。

 治安は回復され、エルナス公領はアルヴェイアで最も治安の良い地域となったのだ。

 こうした先例を考えれば、王家に反旗を翻した諸侯を全員、死罪に処するというのはある意味ではゼルファナスらしい処置ともいえる。

 どのような理由があれ、罪人は厳罰に処する、というのがゼルファナス流のやり方だとすれば。

 苛烈な処罰が有効な場合もある。

 たとえばエルナス公領の治安を回復したときのような場合、ゼルファナスのやり方は正しかったかもしれない。

 だが、南部諸侯たちはただの犯罪者とは違うのだ。

 単純に反逆者として全員、死罪に処するというのはある意味では正論だが、その影響はあまりにも大きすぎる。


「ゼルファナス卿は温厚そうに見えますが、その実、苛烈なご気性であるとすれば、南部の逆賊どもに対する処罰も一応、うなずけはしますが……」


 ヴィオスはそう言っていたが、レクセリアはまた別のことを考えていた。

 エルナス公になってから、犯罪者を取り締まった際、ゼルファナスは過酷な罰を下したわけだが、あるいはそれも、彼の生来の血を好む、残虐な性格のなせる技ではないだろうか?

 ゼルファナスは、一言でいえば、冷酷無惨としかいいようのない面をあの美貌の下に隠し持っている。

 あれはいまからもう七年くらい前になるだろうか。

 当時、十五、六だったゼルファナスは、王家の子供たちとともに日々を過ごしていた。

 一見すると穏和そうな、美しい従兄弟に、王家の子供たちはみな夢中になっていた。

 シュタルティスやミトゥーリアなどは、ゼルファナスとひどく仲が良かったものだ。

 だが、まだ幼かったレクセリアは、なぜか年長の従兄弟に不穏なものを感じていた。

 あの闇色の瞳が、彼女にはどうにも得体のしれぬものに思えたのである。

 もともとレクセリアは、王家の一員の仲でも変わり者扱いされていた。

 良くも悪くも、周囲から浮き上がっていたのだ。

 そのため、彼女がなんとなくゼルファナスと距離をおいているのも、レクセリア自身が変わり者だからと見なされていた。

 だが、ゼルファナスは自分が誰かから嫌われている、ということに慣れていなかったようだ。

 さまざまな方法で、彼はレクセリアの歓心を買おうとしたが、うまくいかなかった。

 彼女は本能的に、美貌の従兄弟に対して嫌悪感めいたものすら抱いていたのだ。

 いまでも、あの冬の日のことははっきりと覚えている。

 王宮のなかには、どこからまぎれこんだものか何匹もの野良猫がいた。

 レクセリアはこっそり彼らに餌をやっては、可愛がっていた。

 ただし、あくまでも秘密裡に。

 厨房や食料貯蔵庫の食料を荒らす鼠を捕らえるために、猫はそれなりに王宮の人々の役に立っている。

 だが、王家の一員が彼らに餌をやるというのは、ひどく卑しい行為、と考えられていたのだ。

 いまでも、あの猫たちのことをレクセリアははっきりと覚えている。

 一匹、一匹、名前をつけては可愛がっていたものだ。

 しかしある日を境に、猫たちは姿を消した。

 レクセリアはアルヴェイア王女として、表だっては猫たちの行方を探すことはできなかった。

 ある日、昼食のスープで変わった味をした肉を食べたことがあったが、レクセリアはその肉の正体に特に不審を抱いたりはしなかった。

 だが、自室に戻り、寝台の傍らに置かれているものを見て、彼女は悲鳴をあげた。

 切断された猫たちの首が、そこには並べられていたのだ。

 それもみな目玉をくりぬかけたり、舌をひきぬかれたりしたむごたらしいものだった。

 事が公になると面倒なことになる。

 レクセリア付きの侍女頭であるメシェラとヴィオスはそう判断した。

 なにしろ、レクセリアは王女なのだ。

 彼女の寝室に何者かが無断で侵入し、いやがらせをしたとなればことは王家の体面にも関わる。

 一応、ヴィオスが事後処理をすませ、国王ウィクセリスにも事情を説明した。

 一体、誰が犯人なのか。

 答えは、数日後、判明した。

 たまたまゼルファナスと回廊で出逢った際、彼はついとレクセリアに近寄ると、耳元でこう囁いたのだ。


(猫のスープの味はお気に召したかな?)


 それが、ゼルファナスの隠された一面だった。

 ヴィオスにはすべてをうち明けたが、かといってゼルファナスを処罰することはむろん、出来なかった。

 当時はゼルファナスはいまだ公爵位を継いではいなかったが、相手はエルナス公の嫡子なのだ。

 もしゼルファナスを処罰したりすれば、ただごとではすまされない。

 王家とエルナス公家との対立にまで発展する可能性すらあるのだ。

 ただのいたずら、ということで済ませるしかなかった。

 以来、レクセリアの心のなかでは、ゼルファナスははっきり言ってしまえば「敵」である。

 彼女がゼルファナスを敵視するのは、この幼少時の体験が大きく影響している。

 あんな残酷なことを平気でしでかすような者を、為政者にしてはならない。

 おそらく、ゼルファナスは自分とうち解けようとしないレクセリアに対していやがらせをしてきたのだろうが、それにしてもあまりにもやり口が陰湿で、残忍すぎる。

 むろん、人は変わる。

 成長して人格も変化する。

 だが、あの男の本質はそうは変わらないだろう、とレクセリアは考えている。

 誰もが彼の表の面しか見ようとしない。

 そしてゼルファナスは、自らの暗黒面をいまのところは隠し仰せている。

 王家の人間も、レクセリア以外には彼の人格の秘められた部分を知らない。

 だからこそレクセリアは思うのだ。

 彼だけは、決して王にしてはならないと。

 もしエルナス公が王になれば、アルヴェイアの民が、あの猫のように戯れで殺されることになるかもしれないのだから。

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