11 道ならぬ恋
「ヴィンス侯爵夫人は、ご自分の部屋に戻られたようです」
ヴィオスがそう言うのを聞きながら、レクセリアは寝台の上で葡萄酒の杯を傾けた。
硝子窓の外はすでに暗くなり、銀の月が天に昇りつつある。
「他の諸侯の間者たちには、私たちの仲は気取られていないでしょうね」
それを聞いて、ヴィオスは苦笑した。
「殿下も、そうしたことをお気になさるとは意外ですな。たとえ道ならぬウォイヤの愛を交わしても平然としているほうが殿下らしゅうございます」
家庭の主婦のような顔をした宦官は、そう言うと微笑した。
レクセリアは、いま寝台の上で亜麻布の上掛けを羽織っている以外は、完全な全裸である。
ついさきほどまで、ヴィンス侯爵夫人ウフヴォルティアと、彼女は愛を交わしていたのだった。
女同士の恋愛という意味でも確かに道ならぬ恋だが、ウフヴォルティアは夫のいる身だからこれは二重の意味で人倫に背いた愛ともいえる。
「私はウフヴォルティア様を愛していることに、なんの後ろめたさも抱いていません」
そう言うと、レクセリアは体の火照りを鎮めるために、銀杯になみなみとたたえられた葡萄酒を煽った。
「ですが、あのお方は侯爵家の夫人です。私との関係が公になれば、政治的な意味でいろいろと面倒なことになりましょう」
むろん、ヴィオス本人がそんなことは一番よくわかっているはずだ。
さきほどの科白は、二人の間だけの一種の冗談のようなものだった。
密会の時間は、短かった。
日が暮れて夕食を終えた後、わずか四半刻(約三十分)ほどである。
ウフヴォルティアは女の身である。
彼女自身、女同士の愛の女神ウォイヤの信者と考えられていたが、まさかレクセリアと情を通じているとは人々は夢にも思わぬだろう。
女同士の歓談、という形にして時間をつくり、二人で床を愛を交わしたのだ。
レクセリアが結婚を望まぬのは、こうした個人的な恋愛に対する嗜好も、ある程度は影響している。
幼い頃から、彼女は男を恋愛対象として見たことはなかった。
そんな彼女の初恋の相手が、あの美しい貴婦人、ウフヴォルティアだったのだ。
彼女はたちまちのうちにレクセリアの嗜好を見抜き、接近してきた。
いまから、一年ほど前のことだ。
以来、二人は恋人同士としてつきあっている。
今のところ、周囲の人間が彼女たちの関係に気づいた様子はなかった。
レクセリアは別に女同士であっても、恋愛をするのはかまわないと思っているし特に後ろめたさはない。
むしろ問題なのは、ウフヴォルティアがヴィンス侯爵の妻だという点にある。
もともとが彼女は後妻であり、ヴィンス候の権力と財力を狙って結婚したと人々に思われている。
そんな彼女が王女とウォイヤの愛を交わしているとなれば、レクセリア当人より十も年上のウフヴォルティアのほうに、人々の非難は及ぶだろう。
さらにいえば、彼女たちはともに男性社会であるアルヴェイア上流階級に属する人間なのだ。
女性同士の恋愛となれば、父系社会である現在のセルナーダでは好奇の目だけではなく嫌悪の念を抱く男たちも多いだろうことはレクセリアも自覚している。
もっともそれは男性同士の恋愛が死刑になる環境では、まだ甘いものではあるのだが。
そうなると、これから王国の国政を改革しようとしているレクセリアに対し、敵意をむける者も出てくるだろう。
だからこそ、二人の愛はあくまでも密やかでなければならないのである。
ただでさえ、女が政治に口出しをするな、と思っている諸侯たちは少なくないのだ。
その王女が、こともあろうに人妻であるウフヴォルティアの情人と知られれば、さまざまな意味で面倒なことになる。
女の身なのに女を愛し、戦を指揮し、今度は王国の政治にまで参入しようとしている。
そんな自分はやはり変わり者としか言いようがないだろう、とレクセリアは窓の外の月を見ながらぼんやりと考えていた。
「しかし……ヴィオス、ゼルファナスは一体、なにを考えているのでしょう」
レクセリアの言葉に、宦官が咳払いをした。
「反逆した諸侯を死罪に処し、家門を廃絶する。過激ではありますが、王家の権威を保つために必要な措置、と考えられなくもないですな」
ヴィオスはレクセリアの空になった杯に、新たな葡萄酒を注いだ。
「しかしお話を伺う限りでは、それから諸侯会議は紛糾したようですが……」
彼の言う通り、諸侯会議は荒れた。
あまりにも苛烈すぎる処罰だという者もいれば、逆にゼルファナスの意見は正論だという者まで、激しい議論が交わされたのだ。
だが、なぜゼルファナスはあんな厳罰を反逆者に求めたのか。
それが、レクセリアの頭にはひっかかっている。
あえて王家が厳罰を処したという前例をつくることで、王家の無慈悲さを人々に知らしめるつもりなのか。
あるいは反逆した諸侯の朝貢率を七割にするというレクセリアの案をつぶすため、とも考えられる。
だが、もし王家に刃向かった者たちをゼルファナスの提案通りに処罰すれば、空いた彼らの所領は王家が没収するのが当然の成り行きだろう。
そうなれば、ゼルファナスはかえって王権強化の後押しをすることになる。
どうしても、彼の考えがレクセリアには読めない。
一体、なにが目的でゼルファナスはあんな残酷な処罰を望んでいるのか。
そこまで考えて、ふと、あの雪の日の猫のことを思い出した。
まさかとは思う。
エルナス公爵といえば王国一の大貴族である。
当然、諸侯としての自分の立場をよく理解しているはずだ。
「あるいは……」
レクセリアは、思わず口に出して言った。
「エルナス公は……単純に残酷なことが好きだから、ということは考えられませんか? 苛烈な処罰は、別に深い意味などなく、ゼルファナスの性格から自然に出た考え、ということは……」
途端に、ヴィオスが顔を曇らせた。
「まさかとは思いますが……」
かつてレクセリアは、ヴィオスにもあの猫のことを話したことがある。
王家の人間、つまりレクセリアの「家族」は誰一人、彼女の言うことを信用してくれなかったが、ヴィオスだけは真剣に聞いてくれた。
「ゼルファナス卿が、殿下のお考え通りの残酷な面を持ち合わせているとすれば、決してありえない話ともいいきれませんな。それと、例の噂もありますし……」
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