10 死臭

「まさかとは思いますが……ゼルファナス卿、あんた、あのラシェンズの殿様みたいに王家と……」


「兄者!」


 たちまちカグラーンが声をはりあげた。


「そ、そ、そんなこと冗談でも言うもんじゃない! 第一……」


 カグラーンが落ち着かなげにあたりを見渡すのを見て、ゼルファナスが笑みを浮かべたまま言った。


「なにも心配はいりませんよ。この部屋は、私に仕える術者がそれなりの結界をはっていますからね」


 ネルサティア魔術のなかには、遠くの会話を盗み聞きするようなものもあるのだ。

 当然、人に聞かれたくないような話をする際は、貴族はお抱えの魔術師たちによって、そうした外部からの「盗み聞き」を防ぐような結界をはるのである。


「それに、別段、ここで話されてる会話が他の者の耳に届いたとしても、私には別にやましいところはありません。私はただ、王国のためにも自分の自由になる兵士を欲しているだけなのですから」


 有事の際、諸侯は王家の招請があれば自らに仕える騎士や兵士たちを集めて、戦場にはせ参じる義務があるのだ。

 ゼルファナスの言っていることは、理屈では正しい。


「なるほど……それで、俺たち雷鳴団に目をつけた、そういうことですかい?」


 ゼルファナスはフィニスという小姓が運んできた冷えたジョナ茶に口をつけると、リューンの問いに答えた。


「まあ、そんなところです。なにしろあなたたちはフィーオン野の戦いで、レクセリア殿下の身をお守りしたほどの剛の者の集まりと聞いています」


「ですが……閣下」


 カグラーンが言った。


「その、なんていうか……確かに俺たちを頼られるのは嬉しいんですが、いまの雷鳴団は二十人ほどしかいないんです。フィーオン野で、だいぶやられましたからね」


「それはわかっています」


 ゼルファナスが言った。


「ですが、あなたたち傭兵の間では、他の傭兵団とも交流があるでしょう。そうした人脈も活用したいと思いましてね」


「なるほど」


 カグラーンが納得がいったようにうなずいた。


「しかし……いま、この時期に傭兵を集めるってのは……ええと、王家から誤解をうけるんじゃありませんか? なにしろついこの間、ラシェンズ候が挙兵して鎮圧されたばかりだ。それに、俺たち雷鳴団は、レクセリア殿下をお救いはしましたが、あれは成り行きみたいなもので、もともとはラシェンズ候に雇われていた。そんな俺たちを雇えば、閣下のお立場ってものが……」


「ほう」


 興味深げに、ゼルファナスが言った。


「カグラーン殿は……なるほど、なかなかそういうことにも目が行き届くようですね」


 ふいに、カグラーンが不敵な笑みを浮かべた。


「所詮は卑しい傭兵の処世術って奴ですがね。傭兵もただ戦場で切ったはったをやっていればいいってわけじゃあないんですよ。生き延びるためには、頭を使う必要もあるってことです」


 リューンは雷鳴団の首領ということになっているが、カグラーンはいうなれば参謀といったところだった。


「ゼルファナス卿にあえて申し上げますが、傭兵っていうのはご存じの通り、戦争のないときはごろつき同然の連中です。王国の大事ってときには役に立ちますが、ふだんはただ飯をくらって酒を呑んでいるだけの奴らですから、常時、雇っておくとなるといろいろと面倒なことになりますぜ?」


「その通りですね」


 ゼルファナスは、カグラーンをあの闇色の瞳で凝視した。


「傭兵は戦力としては非常に役に立ちます。しかし、確かに平和なときでも領内にとどめておけば、あなたの言う通りごろつきとなって領内を荒らしかねない。そこで……」


 ゼルファナスは、しばし間をおくと言った。


「私は、傭兵たちをいずれ規律のとれた『エルナス公家軍』とでもいうようなものに変えていこうと思うのです。つまり、ただ傭兵を雇っているのではなく、一種の常備軍にしようというのが私の考えです」


 それを聞いて、リューンはジョナ茶を噴き出しそうになった。


「ええっと……ゼルファナス卿、それはつまり、王国軍みたいなものをエルナス公家でも自前で用意する、ってことですかい」


「その通りです」


 ゼルファナスは首肯した。

 この時代、三王国いずれもが王国としての常備軍である王国軍を所有している。

 しかし、一介の領主が、常備軍を有するというのは前代未聞である。


(おいおい、えらいことになってきたぞ)


 リューンは大声をあげて笑い出したくなった。

 いままで領主の常備軍といえば、騎士がそれにあたるといえるが、軍馬や金属製の鎧といった高価な装備を持つ騎士は数をそろえるのがなかなか大変だった。

 だが、傭兵を訓練して常備軍として雇えばどうなるか。

 傭兵は戦慣れしているぶん、戦力としてはかなり期待できる。

 騎士ほど高い戦闘能力は持たないが、農民などから徴用される間に合わせの歩兵などとは比べ者にならない。

 しかし、兵を常備するにはそれなりの金がかかるし、なによりなぜ「常備」する必要があるのか?

 戦がなければ、兵を常に準備しておく意味がない。

 それをしようとしているということは、つまり……。


(エルナス公は、長期に渡る戦の支度をしている)


 としか考えられないではないか。

 むろん、表向きはアルヴェイア王国を守るため、とゼルファナスは主張するだろう。

 しかし、わざわざ自前の常備軍をエルナス公が有するとなれば、誰もが考えることは一つだ。

 人々は、エルナス公は自分の目的のために軍隊を所有するつもりだと考えるだろう。

 そしてその目的とは……。


(こいつも、俺と同じだ)


 リューンは、一見、柔和そうに見える世にも美しい若者を見ながら思った。


(こいつはアルヴェイアを守るために傭兵を集めて常備軍にするわけじゃあない……おそらくこいつも、いずれ俺と同じように「王」になることを考えているんだ)


 そのとき、さきほどかすかに嗅いだ香りの正体を、リューンは悟った。

 なぜか理由はわからないが、この二人が体にまつわりつかせている匂いは、戦場で嗅ぎ慣れた臭気……つまりは、死臭だった。

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