6  ミトゥーリアの思考

「やれやれ」


 ゼルファナスは小さく肩をすくめると、今日の昼食の品の一つである、新鮮な鯛の切り身にクラム油と香辛料をかけたものを指で摘んだ。


「男にとっては、美しいというのはあまり褒め言葉ではないのですよ」


「ですが、美しいものは美しいのです」


 負けずにミトゥーリアは言ってみせた。


(本当にお美しい……まるで生きている人間というより、芸術品が生きているような)


 ある意味では失礼なことではあるが、そんな妄想をかきたてられるほどの美貌をゼルファナスは誇っている。

 しかし、彼がただの美男子でないことくらいはミトゥーリアも理解していた。

 ゼルファナスは内政の手腕も相当のものだということは、現在のエルナスの都の繁栄ぶりがそれを証明している。

 さらには彼は武人でもあり、また政略、謀略にかけても貴族としてはなかなかのものだ。

 ミトゥーリアと小姓一人を連れてメディルナスの青玉宮から脱出するほど、いざとなれば大胆な行動もとれる。

 これほどなんでもこなせる人間がいると、なんとなくミトゥーリアなどは怖くなってしまうほどだ。

 ただ、そんなミトゥーリアにも解せない点がある。


(なぜ……エルナス公は、国王陛下を悪王として、玉座から追おうとしているのかしら。そんなことをすれば、王位を狙っていると露骨にみられて諸侯の不興を買うことくらいはわかっていると思うのだけれど)


 実際に、ゼルファナスはシュタルティス二世はセムロス伯ディーリンにたぶらかされた暗愚な王であり、ただちに廃位して、いまミトゥーリアのなかにいる子に王位を譲るべきだと主張している。

 そんなことをするよりも、むしろ国王をかばい、悪いのは国政を影で操るセムロス伯ディーリンであると宣言したほうが、よほど大義もたつし、諸侯も蜂起して味方につけやすいはずなのだ。


(一体、なにを考えているのかしら? エルナス公は、やはり王位を狙っている……?)


 シュタルティスを廃した後、まだ名前もないミトゥーリアの子を王位に就ける。

 その後、ミトゥーリアの子の摂政となり王宮を支配し、いらなくなった時点で王を「消して」しまえば、玉座はエルナス公のもとへと転がり込んでくることになる。

 このあたりの計算ができるあたり、ミトゥーリアはやはり王族の娘だった。

 自分の価値というものを、彼女はきちんと理解している。

 一見するとおっとりとした、ぼんやりとしたところのある女性と思われがちだが、さすがにこれは王家の血というべきだった。


(とりあえず、わたくしの中の子がいる間は、わたくしの身も安泰のはず……)


 とにかく、自分の命は当面は安全だろう。

 もしメディルナスにいれば、最悪、ディーリンによって暗殺されていたかもしれないのだ。

 とはいえ、ゼルファナスが「蜂起」したことで、すでにアルヴェイアはまっぷたつに割れていた。

 貴族諸侯のうち、もともとゼルファナスと親しかったウナス伯ユーナス、そしてナイアス候ラファルは、すでにエルナス公支持にまわっている。

 それに対し、もともとセムロス伯に近しい、というよりエルナス公と敵対していたネス伯家の双子やヴィンスのウフヴォルティア侯爵夫人などは、セムロス伯側にまわっている。

 さらにセムロス伯は、妻の実家であるネヴィオンのリュナクルス公家の力を借り、二千五百もの兵士を準備しているという。

 ここまで至れば、戦はまず避けられまい。

 女として、ミトゥーリアは戦が好きではない。

 といって、戦が回避できない場合があることも知っている。

 いつも夢見るような目つきをしてはいるし、そのことで王宮内で自分がひそかに侍女たちにからかわれているこもと知っていたが、ミトゥーリアは冷徹な現実家だった。


「閣下……セムロス伯は、ネヴィオン兵を二千五百も集めてきたという話を昨日、伺いましたが……」


「ああ」


 途端にゼルファナスは眉をひそめた。


「なるほど、そのことであるいはお悩みでしたか。これは迂闊でした。やはり、あの話はしないほうが……」


「いえ」


 ミトゥーリアはあわてて言った。

「わたくしも、女ではありますが子供ではありません。王家の一員……そして、未来の国王の母として、真実はしりとうございます。ただ、私にはいささか解せぬのです。ネヴィオンといえば、かつては我がアルヴェイアと幾度か戦にもなった相手です。そんな異国の軍勢を引き入れれば、セムロス伯は国内の諸侯に、逆に敵視されることになりはしないでしょうか?」


「ええ、その可能性はございます」


 ゼルファナスがそのネヴィオンのシェルディア産になる最高級の白葡萄酒で口を潤すと言った。


「ましてや、ネヴィオン軍を率いているのは西方鎮撫将軍セヴァスティス……」


「あの、『首狩りセヴァスティス』ですか」


 あやうくミトゥーリアは声をあげそうになった。


「なぜ、よりにもよってそんな男を……セヴァスティスは、敵兵をむごたらしく殺し、名も無き兵卒であっても首を切らせて遊んだ、そのような噂を聞いたことがあります」


「いかにも。そしてそれこそが、セムロス伯の賭けなのですよ」


 ミトゥーリアもこれはわからなかった。

 そんな残虐な男を味方にしてなんの得があるのか。


「想像してください。セヴァスティスを戦場で敵にまわすようなことになればどうなるか。セヴァスティスは残虐ではありますが名将であることは事実。もし敵対すれば……」


 そこまで聞いて、ミトゥーリアもようやく理解できた。


「つまり、セムロス伯は財力や政治力にくわえ……『恐怖』を武器に使ってきた、そういうことですか」


 ゼルファナスはうなずいた。


「さようです。そしてこれは、セムロス伯の今回の戦にかけた『決意』の現れでもある。セムロス伯は、敵対する諸侯……つまり我々を、徹底的に打ち砕くつもりでしょう。つまりアルヴェイアは、私につく一派と、セムロス伯につく一派、この二つに二分される。そして、この勝負に妥協はない……どんな尊貴な身であっても、いままでのように貴族同士の争いのように身代金をはらえば生きて帰す、といったことは今度の戦に限ってはない。セムロス伯は完全にアルヴェイアの敵対諸侯を潰すつもりなのです。皮肉なことですが、その点において私とセムロス伯の意向は完全に一致している。反逆を決して許さない絶対的な王権を、戦乱のなかからつくりあげるという点においては、ね」

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