7 奇妙な少女
ミトゥーリアは王女として育てられてきた。
現在では彼女は王妹にして王妃であり、さらに体の中には未来の王となるかもしれぬ子を宿している。
それゆえに、ミトゥーリアも自分がメディルナスから出れば、それなりの波乱が起きることは予想していた。
おそらくセムロス伯とエルナス公を中心とした二大勢力によって国がわかたれることも、ある程度の想像はついていた。
だが、そんな彼女でさえひょっとすると自分の行為により、アルヴェイアという国に恐ろしい内乱の種を蒔いてしまったのではないかと、さすがに恐ろしくなってきた。
エルナス公は優しげな顔をしているが、いざとなれば罪人に無惨な死刑を処すことをためらわない。
つまり、戦において相手に容赦をしない、ということだ。
そのエルナス公の軍勢と、セヴァスティス率いるネヴィオン軍や、セムロス伯方についた諸侯の軍勢が、いまアルヴェイアを二つにわって戦をしようとしている。
一体、どれほどの民の血が地上に流されることになるのだろうか。
そんなミトゥーリアの心を読んだように、ゼルファナスが微笑した。
「ミトゥーリア妃殿下。殿下は、なにもご案じなさる必要はございませんぬ。戦は男の仕事です」
「しかし……」
ミトゥーリアはひどい喉の渇きを感じた。
「もし戦となれば、民たちが……」
「ええ」
ゼルファナスは相変わらず微笑んだままだ。
「民には迷惑をかけます。しかしながら、これも王国の安定を保つためにはいた仕方のないこと。いままで、アルヴェイアは国王の権威をかさにきた無数の貴族たちが、互いに覇を競ってきました。このままでは、いずれ王国は滅びましょう」
恐ろしい言葉を、ゼルファナスは平然と口にした。
「であるからにこそ、ここで圧倒的な、絶対の力のもとに王国を一つにまとめる必要があるのです。そうした意味では、実に皮肉な話ではありますが、セムロス伯は私とまったく同じ考えの持ち主といっていい。おそらくは、むこうも私の真意を汲んでいることでしょう。だからこそ、セヴァスティスをネヴィオンから招いたのですよ。私は……なにしろ、ゼムナリア信者の疑いがかけられるほど、罪人を厳しく処罰してきた……私の『そうした面』に対抗するには、同じような毒……さよう、毒を以て毒を制すしかないと、セムロス伯は考えたのでしょうな」
「毒、ですか」
ミトゥーリアは、眼前の従兄弟をしばし見つめた。
「毒にしては、あまりにも美しい。あるいは、毒をもつからこそゼルファナス閣下のお美しさはひきたって見えるのかしら」
「またお戯れを」
ゼルファナスが口をかすかにゆがめるようにして笑ったが、その闇色の瞳がいつしか二つの暗い深淵のように、ミトゥーリアには見えた。
ミトゥーリアは昔から、ゼルファナスのことが好きだった。
兄と結婚させられると決まる前までは、あるいはゼルファナスの嫁となるのではと考えたこともあった。
実際、事情によれば、それは十分にありえた話なのである。
「ところで……閣下。閣下は、ご結婚なさらないのですか?」
それは婉曲な言い回しを好む上流階級の会話としては、きわめて率直にすぎるものだった。
彼らが互いに幼なじみで、従兄弟同士だからこそ許される会話ともいえる。
「さて……なかなか。いまは正直に申し上げて、誰を婚約者に選ぶかで王国の運命が変わるような時期ですからな。私は、妻は政略の道具とはしたくない……」
現在のようにセムロス伯派との戦をひかえる身とあっては、多くのエルナス公につくと決めた有力諸侯から「娘をぜひ嫁に」との打診がくるはずである。
もしエルナス公が内乱に勝利した暁には、当然、エルナス公の岳父となったものは外戚としての巨大な権力を得ることになる。
あるいはエルナス公ゼルファナスは、国王になるかもしれないのだ。
(ひょっとすると……そのほうがよいのかもしれない)
などとミトゥーリアは思うことがある。
兄のことは兄妹として、また夫としてそれなりに愛しているが、国王としての資質が彼にないことをミトゥーリア以上に痛感している者もまたいないだろう。
もしレクセリアが男であったら、父は間違いなくレクセリアを王位に推していただろうと考えている。
もっとも、そうなったらなったでシュタルティスを王に推す者があらわれて面倒なことになったろうが。
しかしレクセリアよりも、ゼルファナスのほうが王たるにふさわしい。
なにより彼は男でもあるし、いまだ若いとはいえすでにエルナス公領を見事に経営している実績もある。
(そしてシュタルティス陛下と私と、私の子は……どこかに小さな領地でももらうか、あるいはネヴィオンあたりにでも亡命するか……それでゼルファナスが国王になるのが、一番良いのかもしれない……)
それが甘い夢であることはわかっている。
国王の血をひいているというだけで、自分の身柄がときには国家をも動かすことをミトゥーリアは理解している。
それでも、そんな夢をつい、見てしまう。
ふと、幼い頃のゼルファナスを思いだした。
彼にはリゼルシアという姉がいた。
将来はリゼルシアと結婚すると言い張っては、周囲を苦笑させていたものだ。
神聖な兄妹婚を行えるのは、古来より三王国の王だけと決まっている。
だからゼルファナスは姉と結婚できるのは王だけだと聞かされると「自分が王となる」と息巻いたものだ。
だがリゼルシアは、何年も前に亡くなっている。
理由はよくわからないが、病死ということになっていた。
あるいは、いまもゼルファナスは亡き姉の面影に取り憑かれるようにして、王位を求めているのかもしれない。
(だとしたら……ゼルファナスも、なんだか可哀相な……)
そのときだった。
部屋の外からなにやら制止するような声とともに、いきなり木製の扉が開かれた。
「いけませぬ! リゼル様! いまは……」
黒髪にやはり黒い瞳の整った面差しの少年が、そう言って一人の少女をひきとめようとしていた。
あの少年はフィニスといって、ゼルファナスのそば仕えをしている闇魔術師である。
少なくともミトゥーリアはそう思っている。
「フィニス! はなしさない! 私の言うことが聞けぬというのですか!」
その声を聞いた瞬間、ミトゥーリアは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
いま、確かリゼル様とかフィニスは言っていなかった?
それにあの声は……。
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