4  セヴァスティス

 いっそのこと、南北両岸に兵を進めてそれぞれの都を攻めるという案もあったが、これは戦力の分散を招くということで却下となった。敵の戦力も二分されるので相対的には北側の都に集中するのと変わらない理屈になるが、基本的に王軍は諸侯の寄せ集めである。それに対し、籠城側はナイアス候を中心に一つにまとまっている。不測の事態が起きた際、都の南岸と北岸がばらばらだと即応できない可能性があるのだ。もっとも、南側も当たり前の話だががらあきというわけではない。一応、五百の兵を配置していた。もしナイアス候が逃げ出したいのであればそれはそれで構わないのだ。重要なのは、ナイアスの都そのものを占領することなのだから。

 とはいえ、油断はできない。一応、何人もの魔術伝令は従えているのだが、諸侯がそれぞれの兵士や騎士を連れてくるという軍制度の基本的な問題があり、大軍ではあるが王軍は分散すると指揮系統が混乱する危険を常に秘めている。

 さらにいえば、もう一つの厄介な問題があった。

 今も、城壁の近くの陣の一画から、ときおりげらげらという悪趣味な笑い声が聞こえてくる。


「あのアルグ混じり……また、なにかよからぬことをしているようですな」


 ハルメス伯の騎士であるリクスが、ネルトゥスの傍らで吐き捨てるように言った。


「いくらなんでも……あいつらは酷すぎる。閣下、あのようなものを捨て置けば、王軍はいずれ大義を失いますぞ」


 リクスの言いたい意味は、ネルトゥスにもよくわかっている。


「とはいえ、奴らの総数は二千五百……実質的に、王軍の半分を占めている。無下に扱うわけにもいかん」


 そうと理屈を言ってみたが、内心、ネルトゥス自身、「あの連中」にははらわたが煮えくりかえる想いなのだ。


「所詮、あいつらはネヴィオン人ですよ。アルヴェイア人同士で決着をつけねばならぬ戦だというのに他国の兵を使うなど……なにか、面倒なことにならねば良いのですが」


 リクスがふと不安げに言った。


「あの者どもは……本当に、その……信用できるのでしょうか」


「滅多なことはあるまい」


 ネルトゥスは自身の不安を押し隠して言った。


「セヴァスティス将軍の率いる二千五百は、精兵揃いだ。さらにいえば、セヴァスティス殿はディーリン卿の妻の弟……」


「セムロス伯の奥方も、ネヴィオンのリュナクルス公家の出身でしたな」


 リクスが鼻を鳴らした。


「しかしリュナクルス公家といえば、現在はネヴィオンの政事を取り仕切っているとか。なにか口実をつけてこの戦にネヴィオンが介入してきたら……」


「それは……あるまい」


 というよりも、それは決してあってはならないことだった。

 ディーリンがなぜ、ネヴィオン兵二千五百を王国内に引き入れるような真似をしたのか、ネルトゥスにもよくわからない。


(あるいは毒には毒、ということなのだろうか……)


 エルナス公ゼルファナスは、ゼムナリア信者だという件で告訴され、そのまま王城から逃亡した。

 まさかとは想うが、もしゼルファナスが本当に死の女神ゼムナリアの信者であったとすれば……。

 それこそ悪夢のような話だが、兵たちの間でそうした噂が広まりつつあることをネルトゥスも知っている。そして兵たちはゼムナリア信者を憎むというより、恐れているのだ。さらにいえばゼルファナスは軍人としては決して無能ではない。

 それに対し、ディーリンは一軍の将としては、いささか頼りない感があった。「かつての一件」もあり、政治力はともかくとして、武人としてのディーリンの評価は、あまり芳しいものではない。

 だからこそ、妻の実家であるネヴィオンはリュナクルス公家の力を借りて、ネヴィオン王国軍西方鎮撫将軍の座につくセヴァスティスの力を頼ったのだろう。

 セヴァスティスの兵は、強い。ネヴィオン最強、との呼び名も高いが、それは高名というより実のところ悪名に近いものだ。

 確かに戦場では、それこそ魔物のように戦う兵たちの集まりではある。だが、彼らはあまりにも……残虐すぎるのだ。

 ネヴィオンの四公家でも内乱が一度、勃発しそうになったのだが、それを鎮めたのがセヴァスティスの率いる兵たちだった。彼らは確かに反逆をおこしそうになったものたちを即座に戦場で打ち破ったが……その後の所業が、セルナーダ全土を震撼させた。

 たとえばガイナス王などもヴォルテミス渓谷で、投降した兵、一万を殺すという非道を行っている。だが、ガイナスはある種の破壊衝動に取り憑かれた王には間違いなかったが、それは荒ぶる炎の如きものであり、奇妙に陰湿さを欠いていた。大量虐殺を行う際も、ある意味ではおかしな表現だが、少なくとも相手に苦痛を与えて喜ぶような趣味はなかった。

 だが、セヴァスティス軍は、違う。

 残虐無比。人の皮をかぶったけだもの。

 ガイナスが荒れ狂う炎だったとしたら、セヴァスティス軍は血に飢えたアルグ猿、といったところかもしれない。アルグ猿はその名の通り、高い知能をもつアルグであり、セルナーダでもっとも恐れられている怪物的な知的種族である。彼らは人の村を襲うと子供を殺し、女を……おぞましいことに猿の身でありながら……陵辱し、そして人々の肉を喰らう。さらには彼らは自らが崇める暗い神々への捧げものとして人をささげ、拷問のような儀式を行う。

 セヴァスティス軍のなかには、かなりの数のいわゆる「半アルグ」が混じっているという噂がある。半アルグとは、不幸にしてアルグに陵辱された女が生みだした人とアルグとの混血児だ。

 普通、半アルグは人間から迫害をうけてまともな社会からははみ出ささせるをえない。その結果、野盗や傭兵といった連中のなかにときおり半アルグの姿を見受けることになるのだが、セヴァスティスはあえて、その人間が怖じ気づくほどの凶暴さと残忍性を秘めた半アルグを自らの率いる兵に組み入れているという。

 もし、セヴァスティスという峻厳苛烈な将を失えばどう暴走するかわからない。

 セヴァスティス軍というのはそのような、まさに諸刃の剣なのである。

 また、城壁の近くから歓声と悲鳴らしいものが聞こえてくる。思わず、ネルトゥスは顔をしかめた。

 セヴァスティスたちはナイアス近郊の村人たちを集め、城壁のなかの人間に見せつけるようにして拷問をくわえようとしているのだ。

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