5 痣
籠城というものは、常に「援軍がいずれやってくること」を前提としている。
基本的に、援軍がこないことがわかっているのに城に籠もるのは愚行である。
もっとも、これには例外がないわけではない。たとえば敵の兵糧が少なかったり、あるいは敵軍の仲に不和があった場合、籠城もそれなりに意味を持つ。つまり、ただ包囲しつづけるという行為そのものを敵軍が維持できなければ、勝機は巡ってくるからだ。
だが、この場合、王軍のほうが有利なのは明らかだった。
どうやら、積極的な攻勢にはまだ出てこないらしい。無駄に力を使って攻めても兵を失うだけで意味がないことを、王軍もわかっているのだろう。
とはいえ、むこうがなにもしてこないということもまた、ありえない。少なくともこのナイアスの城都を治めるナイアス候ラファルは、そう踏んでいた。
物見の塔から周囲を検分すると、一応は西と北にも兵を配置しているが、やはり東門のむこうに「敵」の本陣が置かれている。
敵の大将は、名目だけのものとはいえ、アルヴェイア王国国王シュタルティス二世である。王族が参陣していることをしめす黄金旗が、はるか東の、天幕が密集しているあたりに見えた。
周囲の土は、黒く染まっている。近在の農家などは建物ごとすべて焼き払っていた。敵が防御拠点として利用するのを防ぐためではあるが、我ながらむごいことをしたと内心、ラファルは思う。
(言ってみれば、これは俺のわがままから始まったような戦だ)
我知らず、髪で隠した痣の上をそっと手でなでさすった。
痣。
自分に刻印されたおぞましい印。この痣のことで、どれだけ母から疎まれたことだろうか。
母は言ったものだ。
(まったくなんて汚らしい痣なんだい! こんな痣を持つなんて……やっぱり、お前の本当の父親は……)
母の声は、いつもどこからともなく聞こえてくる。
もうっとくに殺したのに。それなのに、声はやまない。悪霊祓いの儀式を行い、何人もの魔術師に霊体がいないか確認したというのに、それでも母の声は聞こえてくる。
(お前はね……やっぱり、ナイアス候家の血なんて一滴も受け継いじゃいないんだよ! はん! なに、ナイアス候家ったって大したことはないよ! いいかい、私はね、アルヴェイアの王女だったんだよ! 神聖な黄金の血をひいているんだよ! 確かにナイアス候家といえばそう悪い家じゃない! だが、それだけの話じゃないか! メディルナスみたいに賑やかでもないし、王都に近いっていったってやっぱり田舎だよ! あんな橋を馬鹿みたいなありがたがるのがだいたい、田夫野人の証拠ってもんじゃないか!)
うるさい。周囲を見渡し、敵兵の今日の配置を改めて確認しながら、心の奥底でラファルは絶叫する。
うるさい!
(なにがうるさいんだ! 結局、お前はそうやって王家に反旗を翻した! この反逆者があ! いつかこうなるってことは、私にはちゃあんとわかっていたよ! なにしろお前はナイアス候家の血なんてひいていないんだ……本当のお前は、醜い痣を持つ、賎しい吟遊詩人の子なんだからね!)
違う。それは違う。すでにナイアス候家への降嫁が決まった際、かつていろいろと噂のあった吟遊詩人はメディルナスの都を去っていることを調べ上げてある。だから母の言っていることは戯言なのだ。
(それは違うよ! 吟遊詩人なんて身軽なものさ、ひょいとナイアスに立ち寄り、あの馬鹿なお前の父親のいない間に私の寝室に入り込んだとは思わないのかい?)
ありえない……とは言い切れないのが、ラファルの論拠の弱いところだ。
家臣は誰もが口をそろえて言う。先代御当主とそっくりだ、まさに瓜二つだと。
だが、彼らが陰口をたたいていることも知っている。
本当に、あの痣さえなければなあ……。
誰もが痣を笑っている。
それはときおり絶対的な真実となり、ときおり疑念という程度にまで和らぐ。だが、常に人目がある場所では、周囲からの無数の目をラファルは意識せずにはいられなかった。
痣。誰もが俺の痣を醜いと思い、笑っているのだ。
実をいえば、ラファルはなかなかの美男であり、四十を超えているのにまだ髪も黒々と豊かで、さらにはいささか骨張っているが貴公子然としたその姿は、女性たちには特に人気があった。また、鎖帷子をまとった武人としての姿も男ぶりがよく、ひそかに彼に使える騎士たちは「うちの殿様ほど立派に武者姿はない」と自慢している。
ただし、そのあとに「でもあの痣さえなければなあ」という一言がくるのだが。
みな、ラファルの顔の痣のことは知っている。ときおり、それを話の種にする者もいる。だが、誰もが好意から痣の話をする。ナイアス候ラファルという、生まれ育ちもよく、人徳もあり、統治者としてもほぼ完璧なこの男の唯一の瑕疵を探そうとすると、痣くらいしか話の種がないのだ。
その痣で、ラファルがこの四十年以上の人生でどれほど傷ついてきたのか、知るものはいない。
否……ただ一人だけ、粘っこい闇のなかでもがき続けるラファルの心の傷を見抜き、そして暖かい言葉をかけてくれたものがいる。
エルナス公ゼルファナス。
ああいう者こそが真の王にふさわしいのだと、ラファルは思う。惰弱で判断力もないシュタルティスなど、ただ甘やかされただけの無能な若造にすぎない。
孤独なラファルにとってゼルファナスこそは唯一の心の友と呼べる人物であり、彼のためなら命を賭けてもいいとすら思っていた。
だが、それはゼルファナスがよく噂されるような男ウォイヤ、つまりは同性愛的なものではまったくない。むしろ、男が自分と対等、あるいはそれ以上の人物に対して抱く敬意に近いものだ。
ゼルファナスは幼少の頃より美しい少年として知られていた。おそらく、美しいというただそれだけのことで、彼は幼い頃から不愉快な目に幾度もあっていたに違いない。
美しすぎるというのは、つまり人目をひく、ある種の異形ということなのだ。
そうだ。俺は同じだ。この俺もまた、目のまわりの世にも醜い痣を持つ男だ。誰もが口では見事な武者ぶりといいつつも、醜い男が、痣男が騎士のようなふりをしてと嗤っている。
誰もが俺を嗤っている。
俺のことを嗤わないのは……ただ一人、エルナス公ゼルファナスのみ。
真に、王たるにふさわしい人物ではないか。
王とは本来、そうした者が就くべきものなのだ。さらにいえば、ゼルファナス公家は親王家でもあり、立派な王位継承権を有している。
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