6  見世物

 現国王シュタルティスのような暗愚な王には、これからのアルヴェイアを切り盛りしていく力などかけらもありはしない。

 それなのになぜ、セムロス伯ディーリンのような優れた人物が、王軍についたのか。

 しばらく前から、ディーリンの行動はおかしかった。少なくともラファルは違和感を抱いた。かつてのセムロス伯は、ラファルもひそかに尊敬する人物だったのだ。

 民を愛し、無益な戦を好まない大人物。ひそかに王国を影で支える支柱たりうるとさえ思っていた。

 だが、それがどうだ。

 今では娘のシャルマニアを使ってあの愚物の国王をたぶらかしている。さらには、妻のつてを使ってなんと幾度にも渡りアルヴェイアと戦ってきたあのネヴィオン王国から、二千五百もの兵を引き入れてきたのだ。

 これは愚行という域を超えている。なぜディーリンがそれほどまでにして、国王の裏で権力を握りたいのか、ラファルには理解できない。

 さらにディーリンはゼルファナスをゼムナリア信者だと見なしている。

 まさに言いがかりもいいところだ。あの王たるにふさわしい魂を持つものが、なぜ残虐なゼムナリア信者などであろうものか。


(馬鹿だねお前は見る目がないんだよ!)


 また母の声が聞こえてきて、ラファルは息を呑んだ。


(エルナス公はお前を利用して、使うだけ使っていらなくなったら切り捨てる腹に決まっているだろう! そうでなきゃ、なんでお前の醜い醜い醜い痣を認めたりするものかね! あれはあれなりの黒い腹づもりってものがあるのさ!)


 黙れ、そう叫びたくなるのをなんとか抑える。


(どこまでもどこまでも愚かな男なんだよ、お前は! はははははははは! エルナス公に道具として使われるだけの無能な男だ!)


 だから、黙ってくれ。あのときのように、殺してしまうぞ。


(馬鹿言っちゃ困る……こっちはもう、とっくの昔にお前に殺され、石壁の奥に塗り込まれたってのに!)


 うるさいうるさいうるさい!

 ラファルの全身からどっと汗が溢れてくる。

 すでに殺してしまった者は……二度、殺すことはできない。では、この声はなんだとういうのか。

 魔術師たちは霊体は実在するという。それは現世に残ったある種の強烈な感情などが魔術界に焼き付けられたものなのだと。

 だから死霊術師まで雇い、ナイアスじゅうのそうした亡霊たちを浄化し、清めた。

 それなのになんで声が聞こえてくるのだ?

 これが神々の罰だというのか?

 なるほど、俺は母を殺した。だがそれは、母があまりにも下品で愚劣で、ナイアス侯爵の母たるにふさわしくない人物だったからだ。つまり俺は領主としての務めを果たしただけで悪くはない。


(とんだ詭弁だね……ははははは!)


 また母が嗤った。


(お前はいずれ、むごたらしく殺されることになるんだよ! 首を切られ、その頭をさらされることになる! 醜い愚かな痣の侯爵と嗤われながらね!)


 違う!

 これ以上、俺のことを嗤うと母とはいえ許せぬ。決して許せぬ。


(だったらどうする? 『また』私を殺すつもりかえ?)


 黙れ。黙れ。黙れ。


「黙れ!」


「……はっ?」


 ふいに、現実が怒濤のようにラファルのもとに戻ってきた。

 いまいるのは、物見の塔の頂き近くだ。そこで周囲の情景を巡察して回っていて……。

 あの「母」と語っている間に、どうやらまた別の塔に来ていたようだった。そういえばぼんやりと、螺旋階段を昇ったような記憶が残っている……。


「ですが、その、あれは放置してよろしいのでしょうか……」


 見ると、ナイアス候家に仕える老騎士ダングスが、いささか顔を青ざめさせて言った。

 ダングスは、遙か昔からナイアス候家に仕え続ける騎士である。幼少の頃は「爺」と呼んでいた。つまり、ラファルの教育係でもあったのだ。


「なにやらあのセヴァスティスとか申す者どもは……また、呪わしいことをしでかそうとしているようですぞ」


 呪わしいこと。

 なにが呪わしいのだ。あの母の罵声や嘲笑よりも呪わしいことがこの世にあるとでもいうつもりなのか。

 そう思い、塔から下を見渡すと、何人もの男たちの下卑た笑い声が風に乗って聞こえてきた。


「ほうら……ナイアスのみなさんに、しっかり愉しんでもらわないとなあ」


「ナイアスの兵士の皆さん、見てますかあ? これは領内の、なんの罪もない農民とその娘たちですよお」


 わずかにネヴィオン訛りの混じったその笑い声には、ひどく陰惨なものが込められていた。

 目を落とすと城壁の比較的、近くに何人もの武装した、賎しげななりの男たちがい

る。一応はネヴィオン軍に属することを示しているらしい緑の軍装をまとってはいるが、そうでなければ傭兵くずれの野盗かなにかとすらしか思えない人品の卑しさがにじみ出ている。

 いや、そもそもあれは人なのか?

 そう疑いたくなるほどに、どこか人間離れした容貌の持ち主が多かった。

 一人の男はまるで異様なほどの多毛であり、ある者の筋肉の付き方は、人間の常識をこえている。またある者は異常なほど痩せこけているうえ、顔が人というより猿に見える。


「まさかとは思いますが……あれらの者は、みな、アルグ混じり……半アルグではありますまいな」


 言われてみれば、忌まわしいアルグとの混血児のような特徴を示していた。ディーリンはやはり、正気すらも失っているのだろうか。あのような忌まわしい者たちをわざわざ異国から呼び寄せるなど、とても正気とは思えない。


「さあ、みなさん」


 一人の、やたらと派手な道化のような格好をした者が言った。


「そろそろ、西方鎮撫将軍セヴァスティス卿率いる『悪夢隊』の、愉しい見せ物の始まりですよ」

 

 それを聞いて、農夫やその娘たちらしいまだ十代の少女たちが、悲鳴をあげた。

 そして、城壁の下で惨劇が始まった。

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