7  下品な化け物

 くちゃくちゃと肉を咀嚼する音がひどく不快だった。

 本来であれば、自分にはこの男に文句を言う権利がある。

 否、権利どころかその気になれば死をも与えることが出来るのではないか。王権とはそもそもそれほどの力を持つものではなかったか。

 さすがにたまりかねたかのように、居並んだ諸侯の一人、ハルメス伯ネルトゥスが言った。


「セヴァスティス卿……ここは御前であり、また軍議の場でもある。失礼ながら、貴公はいささか……」


「下品で、無礼……ですかな?」


 そう言うと、赤鶏の股肉を食いちぎりながら、セヴァスティスはにっと笑った。

 端正に整った、ほとんど美貌といってもよい容姿に恵まれた男である。髪の色はネヴィオン人に多い、明るい金髪だった。大海に面するネヴィオンの地は古くはイマナリアと呼ばれ、先住民系と南方のノルダイム系蛮族の血が人々のなかには濃く混じっているため、明るい髪と目が醒めるような白い肌の持ち主が多い。

 そうした典型的なネヴィオン人の特徴を持ち、顔立ち自体は整っているというのに、誰もがセヴァスティスも見ればまず一つの言葉を連想するだろう。

 すなわち、下品と。

 なまじ端正な顔立ちをしているため、その性根の卑しさ、品性のなさのようなものがえって露骨に現れている。いまも脂でべとべとにした指を洗い鉢で洗うでもなく、音をたててしゃぶっている。


「しかしええと……ネルトゥス卿」


 セヴァスティスが鮮やかな緑の瞳を、愉快げに輝かせた。


「戦というものは、とにかく食べておかねば話にならぬのですよ。どんな状況でも必ず腹八分には詰めておく。ただし詰めすぎは良くない。食事は戦の基本ですぞ」


 それ自体は全くの正論である。


「しかしながら、時機を、あるいは場所をわきまえていただかねば」


 ネルトゥスが苛立ったように言った。


「陛下の御前でそのような……」


「はて」


 セヴァスティスが苦笑した。


「これはまた異なことを申されるものだ。シュタルティス陛下は国王ではありながら、すっかり私と意気投合し、いまでは親友同士の間柄。陛下とは幾度も会食を行い……確かに友情をはぐくまれたと思っていたがこれは私の思い違いというものか」


 わざとらしい、とシュタルティスは苦いものを飲み下しながらも言った。


「いや、セヴァスティス殿の仰る通り……余はなにも気にしておらぬ」


 この場でセヴァスティスによけいなことを言えば、そもそもの今回の「遠征」が途中で崩壊しかねない。それだけは、シュタルティスは国王としてさけねばならなかった。

 内心、この無礼者の首をはねよと絶叫したいところだが、それを弱気の仮面で押し隠しているあたり、シュタルティスも王としてはそれなりの演技力を備えている。

 しかしいまの一言で、この王軍の主導権がセヴァスティスにあることを他の諸侯たちにも示してしまうこととなった。

 いや、もちろんセヴァスティスはわかっていて、あんな挑発的な行為を行い、シュタルティスから例の言葉を引き出したのである。

 そんな挑発にのってしまうハルメス伯の浅慮ぶりが、シュタルティスには腹立たしかった。

 かつてはハルメスの鮫と呼ばれ、武人として恐れられていたネルトゥスではあるが、いまではすっかり「負け癖がついた」と見慣れされている。いつしか陣内には「敗北伯」とネルトゥスを露骨にあざける者さえ現れ始めていた。

 だが、そんな敗北伯が味方についていることは、下手をすればこの戦もまた負けるというのか。

 冗談ではない。セムロス伯の不運をそのまま軍全体にまで持ち込まれてはたまらない。それではなんのために、メディルナスの青玉宮からこんなナイアスくんだりまでやってきたというのか。


「しかしながら、セヴァスティス卿」


 卓を囲んでいた諸侯の一人、髪のだいぶ薄くなった大兵肥満の男が、渋い顔で言った。


「ここは御前である。ハルメス伯の申しようも、もっともかと」


「これは、また重ねてお詫び申し上げる」


 セヴァスティスは神妙な顔をしたが、その口元にはうっすらと笑みがはりついていた。


「なにぶん、私はネヴィオンの田舎者ゆえ、義兄上、礼に失することがあればどうかご寛恕願わしい」


 本来であれば許しを願うのはセムロス伯ディーリンではなく、国王であるこの自分にではないか。そうシュタルティスは思ったが、これだけは鍛え抜かれた忍耐の心でぐっと耐えた。

 いまこの天幕で卓を囲んでいる諸侯たちからみても、国王シュタルティスがただの飾りであることは完全に露見してしまったはずだ。もう、あはと好きにしろと席をたってやりたいところだが、そうすればさらにあの無能な国王が、と囁かれることになる。

 それにしても、ディーリンもとんでもない化け物をアルヴェイアに引き込んでくれたものだ。

 ネヴィオンの西方鎮撫将軍セヴァスティス。

 ディーリンの義理の弟にして、ネヴィオンを現在、実質的に支配しているリュナクルス公家の公子。

 武人としての有名よりも、悪名のほうが高い男だ。

 すでに配下のものたちにより近辺に潜んでいたナイアス領内の農夫とその家族たちを捕らえ、彼らはむごたらしくナイアスの城壁の前で殺されたという。およそ正気の人間には思いつかぬような独特な「見せ物」は、すべてを見ていたアルヴェイア軍の諸侯たちをも震え上がらせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る