12  帰還の口づけ

(だが……さて、アルグの神の穢れを背負ったお前がどうなるか……いささか、不安ではあるのだがな……)


 そのときだった。


(父上……このような者より、私のほうがやはり『嵐の王』にふさわしいのでは?)


 気がつくと、一人の男が、リューンの傍らに立ちつくしていた。

 金色の蓬髪に、整った、美男といってさしつかえない面。筋骨たくましい男性美のあふれる肉体には……見覚えがある。


(ちょっと待て……お前は……)


 その男は、リューンと瓜二つだったのだ。


(気安く呼ばないでほしい。お前はアルグの穢れを背負った……もしお前が『嵐の王』にふさわしくない者と父が知れば……この私こそが、真の嵐の王となる)


 この男は鏡に映した似姿のように、自分に似ている。

 だが、ただ一点……右の目の色が違っていた。

 リューンも、そしてレクセリアも右の目の色は青かった。

 だが、この男は、まるで太陽の輝きのような、黄金に輝く右目の持ち主だったのである。


(誰だ……誰だ、お前?)


(いまはまだ、我らが出会うときではない)


 くすくすと金色の右目を持つ男が笑った。


(だが……いずれまたまみえるときもあろう……『我が分身』よ……)




「……きました! リューンが、リューンヴァイスが!」


 誰かが泣いている。泣き声が聞こえる。

 まだ若い女だ。少女といってもよい相手だ。


(女泣かせるなんて最低だな……女ってのは、可愛がってやるもんだ……)


 まるで頭のなかに霧がかかっている感じがする。同時に、ひどく血なまぐさい匂いがつんと鼻をついた。


(えっと……俺はなにをしていたんだっけ)


 そこで、ふとさきほど見たあの奇怪な夢を思いだした。

 稲妻で形作られた男。神を名乗る男と会話を交わした。

 それでアルグの穢れがどうとか言い、さらには……。


(そうだ……誰だったんだ、あの、へんなきんぴかした右目の野郎は……)


 自分に瓜二つでありながら、なにかがあきらかに異質な男。あれが何者なのか、まいだリューンにはわからない。

 そもそもあれは本当に……ただの夢だったのだろうか?

 なにかが、違う。

 あるいはあのとき、自分の魂は本当に幽冥の境を彷徨っていたのかもしれない。そこで、あの神のような存在に助けられたのか……。


「驚きましたな」


 堅苦しい口調の男の声にも、聞き覚えがあった。


「キリコの治癒法力を使っても……あるいはこれは駄目かと思いましたが、さすが団長……いや、その……『王』であられる。まるで一度体を抜け出しそうになった魂が、戻ってきたかのような……」


 そうだよ、と言いたいところだったが、うまく言葉にならなかった。

 次の瞬間、体のあちこちから激痛がやってきた。

 生きている。それを実感する。傭兵にとってもっとも恐ろしいのは、無感覚だ。無感覚こそは死に繋がるものである。

 苦痛は不快である。そして危険も告げるものだ。だが、痛いと感じられるということは……つまりは、生きているということなのだ。


「生きて……」


 なんとか、ようやく声を出せた。


「俺は……生きている、のか……」


 少なくとも死んではいない。これは夢にしてはあまりにも生々過ぎるのだ。


「生きてる……畜生、生きてやがる……」


 笑おうとしたが、腹に激痛が走ったのでやめた。

 そのとき、上から熱い液体が幾つも幾つも滴ってきた。

 目を開けると、レクセリアの美しい顔が、くしゃくしゃに歪んでいた。


「なにを……なんてことを……あなたはむちゃくちゃです。アルグの神と戦うなんて……まともじゃありません! ああ、神々よ! なぜこんな愚かな男が私の夫なのですか!」


 助けてやったのにはそれはないだろう、とリューンは思った。


「待ってくれよ……レクセリア殿下。俺はあんたを……」


「殿下はいらない、たしかそう言いませんでしたか?」


 またレクセリアの両目から、涙がぼろぼろと溢れた。


「あなたは限度というものをしらなすぎる。いくら強いからといって……」


「そうだよ、俺は……強い」


 リューンは、口元だけ微笑んでみせた。腹の筋肉を使うと痛いのだ。


「とりあえず……女房も守れないようじゃ王様、失格だと思ってな……」


「まったくです!」


 レクセリアは泣きじゃくりながら言った。


「あなたは……本当なら私を置いて先に進むべきでした。そうすれば……」


「出来るわけねえだろ」


 ああ、とリューンは思った。

 いままであまり、考えないようにしていた真実に、気づいてしまったのだ。

 俺はこの小娘が好きだ、ということに。

 王妹だとかそういう肩書きはどうでもいい。こいつの男まさりなところも、よく回る知恵も、そしてもちろん綺麗な顔も、みんなみんな大好きなのだと。

 そして相手もこちらのことを同じように思っているのだと。


「レクセリア……ちっと、顔かせ」


 そう言うと、リューンはレクセリアの後ろに手をまわすと、彼女の唇に口づけた。

  






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