13  人ならざるものの語らい

 あまりにも巨大な樹木が、天に向かってそびえていた。

 その高さは実に一千エフテ(約三百メートル)にも及ぶ、怪物じみた巨樹である。

 古来より、この木は世界の中心にそびえるという宇宙樹、あるいは世界樹と同一視されてきた。樹木の種類としてはナラの木によく似ているが、果たしてなぜこれほどに大きく育ったのかは、いまだに魔術師や賢者たちの間でも意見が分かれている。

 ただ一つ確かなのは、この木が超常の力を帯びた、なにか魔術的な存在であるということだ。

 森と泉、そして狩猟の女神であるウェルシオンミリスを信仰する者たちは、この木こそが女神の地上における顕現の一つと考えている。また、大地母神アシャルティアの教団も、この木を聖木としていた。

 闇の中にそびえる巨樹の太い枝から、一人の女が眼下の街を見下ろしていた。


「ふむ……エルナス公ゼルファナス……なかなかけなげにわらわのために働いてくれる……」


 もし、黒髪をなびかせるその女の顔を見る者がいたとしたら、あるいは自分は狂気を司るホスに憑かれた、と思ったかもしれない。

 銀の月の月明かりをうけた女の顔は、それほどまでに美しかった。

 否、それは美しいなどという話ですむものではない。誰もが彼女の顔をみた瞬間に、魂を奪われたように呆けてしまうだろう。あまりにも「美しすぎる」ものはそれ自体、一種の異形であり、そしてまた呪力を持つものでもある。

 あまりにも整いすぎたその白面の白さは、荒野にさらされた白骨にも似ていた。そして長い艶やかな髪と、簡素の黒いローブの色は闇を煮詰めたよりも黒いものだ。

 漆黒の瞳の奥には、明らかに人智を越えた深遠な知識が宿っている。同時にその瞳はうつろでもあった。その目に見つめられたものは、たいてい、正気を失うか、死ぬ。

 まさに、この世ならざる存在としかいいようがない美女は、凄艶な笑みを浮かべた。


「しかし……やはりゼルファナスは良い……わらわの期待に応え、セムロスの民を、五万、殺した……」


 遙か下の下界から、風にのって人々の悲鳴がときおり聞こえてくる。それすらも彼女にとっては、耳に快いものなのだった。


「ついに、熟した果実がおちるように、このアルヴェイアも滅びのときが訪れようとしている……否、アルヴェイアだけではない。ネヴィオンも、グラワリアも、このセルナーダの地にただ『死』が満ちるときが……」


「さて……それはどうかな?」


 そのとき、女の眼前に、なんの前触れもなく奇妙な人影が現れた。

 さまざな原色の使われた衣裳をまとった、珍妙な出で立ちの若者である。もしリューンがこの男を見れば「あの道化の神の僧侶か」と叫んだことだろう。


「ふん……また、そなたか」


 黒衣の女は、完璧に整った眉宇をわずかに寄せた。


「道化。またぞろ、なにやらたくらんでおるようじゃな」


「それが僕の『役割』ってもんだからね。あんたがネルサティアの地でソラリス神の力のほとんどを奪って以来、いろいろな物事の均衡が崩れつつある」


 それを聞いて女が笑った。


「あれは、わらわであってわらわでない。共に同じ『死の神格』ではあるが……わらわはノーヴァとは違う」


「違わないさ」


 道化がくるりと宙で体を一回転させた。


「あんたはネルサティアでは死と闇の女ノーヴァ、シャラーンではザーナリア、そしてこのセルナーダでは……ゼムナリアと呼ばれている」


 ゼムナリアと呼ばれた女は、笑った。


「汝にもそれを言うのであればまたあまたの名があろう。道化のナルハイン殿」


 すると道化が肩をすくめた。


「まあそれは否定しない。けど僕らが『人間の格好』をしているときは、そんな野暮なことはいいっこなしだよ」


「この話題は……汝が言い出したことであろうに」


 顕現した死の女神……むろんそれは神の本体のごくごく一部を地上に現出させたに過ぎない……はあでやかな笑みを見せた。


「ところで、汝はあのウォーザの『駒』に関わり合っているようじゃな。かの者を道具に選んだか」


「まあね」


 ナルハインがにやにやと笑いながら言った。


「他にも、あちこちいろいろと愉しい『仕掛け』をさせてもらっているよ。あのウォーザのおじさんはずぼらだからね。やることが大味というかおおざっぱだ」


「汝の仕掛けもでたらめだらけであろうに」


 すると、心外といったようにナルハインが言った。

「失礼な! いくらあんたが死の女神といったところで、言っていいことと悪いことがあるよ! 僕の仕掛けは『わざと』でらためにしてあったりするんだよ! そこらへんの楽しさを理解してもらわないと」


「そして汝を信じたものは馬鹿をみる……か、例のリューンヴァイスとか申すものも、災難だな」


 それを聞いて、ナルハインが相変わらず笑いを浮かべたまま言った。


「さあ……どうだろうね。あれはなかなか愉しいよ。一応、ウォーザのおじさんの息がかかってるとはいえ……なんというか、ひどく人間くさい。遊んでいると実に愉しい。ひさびさにあんなに『人間らしい人間』を見た気がするよ」


「あいかわらずオモチャで遊ぶのが好きなようだが」


 ゼムナリアは地上をうつろな目で見つめていた。


「それにしても……人というのはよう飽きもせずに似たようなことを何百、何千年と繰り返すものだ。戦、虐殺、殺戮……ま、わらわとしてはありがたい話ではあるが、あまり忙しすぎるとちとつかれる」


「殺し合わないオモチャなんてつまらないだけさ」


 ナルハインが笑った。その目には、人智を超越した冷酷に輝きが宿っていた。


「でも……ときおり彼らがうらやましく感じられるよ。なんでみんな、あんなに必死になって戦ったり生き抜こうとしたりするんだろうねえ。どうせたいていの人間は百年もせずに放っておけば死ぬのに」


「だからであろう」


 ゼムナリアが、どこか優しげに言った。


「彼らには死がある。死が約束されている。だからこそ、限りがあるからこそ人の生は愛でる価値がある」


「死の女神の言葉とは思えないね。生を愛でるだなんて」


 ふとゼムナリアが皮肉げに笑った。


「生と死は同じものの二つの顕れという見方も出来るぞ? だから汝は考えが浅いのだ」


「そんなもんかねえ」


 ナルハインが派手なあくびをした。


「それで……あんたはどれくらい死ねばよいと思ってる?」


「さてのう」


 ゼムナリアの瞳が、二つの底知れぬ深淵となった。


「三王国全土で……一千万というところか」


「それじゃ絶滅じゃないか」


 あきれたようにナルハインが言った。


「いくらなんでもやりすぎだ」


「当たり前だ。わらわは死の女神ぞ。つまりは我が意志こそは死。いずれ人は死ぬ。であるならば、皆殺しにしてもよかろう」


 ナルハインが珍妙な意匠の帽子をぬぐと、頭を掻いた。


「参ったな……それじゃオモチャがなくなって困るじゃないか」


「それは道化の理屈」


 ゼムナリアは優しげに言った。


「死には道理は通じぬ。死は万人に平等に訪れるもの。それを少しばかり早めてやってなにが悪い?」


「悪いさ」


 まるでだだをこねる子供のようにナルハインが叫んだ。


「そんなの、面白くない! 登場人物がみんな死体だったら物語じゃない!」


「わらわは物語に興味はない。わらわはいかに多く人を殺すか、その点に興味がある」


 ナルハインがため息をついた。


「やれやれ、どうやら交渉決裂のようだね」


「いまのどこが交渉なのだ?」


 死の女神があきれたように言った。


「いずれ、道化、汝がくることはわかっていた。最後の敵はやはりいつも汝だ。汝は自分の大切なオモチャである人間を殺されたくないとやれにはりきる」


「そりゃそうだ。人間は僕のお気に入りのオモチャなんだ」


 ナルハインは断言した。


「僕の大切なオモチャを全部、壊されるのは困る……だからまあ、僕は僕なりのやりかたで、またあんたに逆らってみるつもりさ」


「さて、どちらが勝つものかのう?」


 その瞬間、世界樹の上から、二つの人影がふいに消えた。


 銀の月と星々が、夜空で輝いている。


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