11  対話

 暗い闇のなかで、強風が吹いていた。

 黒雲が驚くべき速度で天上を流動している。ときおり、紫色の雷光が天で輝き、大地に稲妻を迸らせた。


(どこだ……ここは)


 リューンはいずこともしれぬ闇の中で、ぼんやりと思った。


(そういや……さっきまで、あのアルグの神と戦って……神って言ってもひどくでっかい猿だったけど……)

 

 いや、実際の身長ではリューン本人とさほど変わらなかったと思う。そうした問題ではなく、存在感そのものがあまりにもあのアルグは巨大すぎたのだ。


(でも……勝ったんだよな。俺は……そして、勝って……それから……)


 意識がなにか黒い闇のなかに引きずり込まれていったことは覚えている。


(ってことは……ここは、『あの世』ってこと……か?)


 だとしたらなんだか荒々しいというか、騒々しい世界だと、内心、リューンはげんなりした。


(おいおい……てことはやっぱり俺……王様なんかになれずに死んじまった……ってことかよ! おい、なんだよ、それ!)


 意外と死ぬなどあっけないことらしい。まるで他人事のように、リューンはぼんやりとそんなことを考えた。


(くそ……なんだよ……俺、猿とはいえ神様までぶったおしたんだぜ! それじゃあ相打ちってことか……)


 ふつふつと、奇妙な怒りのようなものがわいてくる。


(ああっ! もったないことをした! 考えてみりゃ夫婦とかいったって、レクセリアとなんにもしてないじゃないか!)


 この期に及んでそんなことを考えるあたり、やはりリューンは大物なのかもしれない。


(あーあ……まあ、でも俺にしては上出来な人生だったかな。派手に暴れて、仮にもグラワリア王なんて呼ばれて、それで……)


 なにかこう、生まれてから現在に至るまですべてのことが、一瞬の間に見た夢のように感じられた。


(生きるってのは、結局そんなものかもしれねえ……生きているうちは考えもしなかったが、死ぬ前にちょっとだけ見る夢ってのが、生きるってことなのかも……けっ、俺らしくもねえな)


 だが、今更そんなことはどうでもいい。

 やはり、ここは死んだものとみるべきだろう。後悔はない……といえば、嘘になるか。


(暴れた。戦った。女を抱いた。酒を喰らった。馬鹿な仲間と喧嘩したり宴会やったり、まあ面白おかしい人生ではあった……)


 そのときだった。

 どこか遙か遠くから、恐ろしいほどの威厳に満ちた声が聞こえてきた。


(貴様は、それで満足か?)


 それは、遙か記憶の奥底に眠っていたものを揺り起こすような、なにか懐かしい声だった。


(誰だ……あんた?)


 リューンは思わず言った。


(誰なんだ、あんた……人の名を聞くときは先に自分から名乗るもんだ……そんな礼儀もしらねえのか?)


(我は人ではないゆえにな)


 人ではない者。だとすれば、一体相手は何者だというのか。

 稲妻が輝いたかと思うと、一人の、恐ろしいほどの力を秘めた男の姿を闇のなかから照らし出した。

 金色の蓬髪に密生した顎髭、そして青い目と銀色の月のような目を持つ男である。

 その全身が、稲妻で出来ているかのような不思議な感じがした。また男の周囲には強い風が吹き、雲が取り巻いていた。

 確かにこれは、人ではない。直感的に、リューンはそう悟った。


(お前……いや、あんたは……)


 さしものリューンも、少しばかり緊張した。


(ひょっとして……)


(我は貴様の父だ。少なくとも、霊的な意味においては)


 霊的な意味。

 魔術的な詳しいことはよくわからないが、では、本当にこの男は……。


(つまりあんたが……俺の本物の親父……そう考えていいわけだな?)


 稲妻からなる人影が、ゆっくりとうなずいた。

 幼い頃から「父」の話は聞かされていた。だがそれは、母の造りあげた偽りの話、あるいは思いこみくらいとしか思わなかった。

 なぜなら、あまりにも途方のない話だからである。

 まさか、自らの……霊的な意味、と言っていたが……自らの父が、「神」だとは。


(ははっ……笑っちまうな……あんたが本当にこの俺の親父か? じゃあ俺は半神みたいなものだってのか?)


(人どもの使う魔術の言葉はよくしらぬ。だが、我が加護があるとはいえあくまでお前は人だ。人として、ほとんど極限の力を備えているとはいえ、人であることにはかわりがない……)


 ということは、半神とか使徒とか妖魔とか、そういった「なんだかよくわからないもの」ではなさそうだったので正直、リューンはほっとした。


(しかしいまの貴様は……いささか、穢れてしまっているな。霊的な意味において)


 穢れ。それがなにを意味しているのか、よくわからなかった。


(貴様は人でありながら、アルグの神を倒した。むろん、神の本体はもとのアルグの神々たちの薄暗い世界に戻ったが……それでも現世より放逐したことには、かわりがない。さらにお前はあの神の血を、小量とはいえ口にした……お前の魂の一部は、アルグたちの神の血より穢れている……)


(けっ)


 リューンは笑った。


(あんときゃあ、仕方なかったんだ。俺だって好きでやったわけじゃ……)


(だが、お前はすでに穢れた)


 その声は、いんいんと世界そのものを轟かせた。


(お前の霊的な力を、おそらくアルグたちは本能的に察することだろう。さらにいえば、あのアルグの神による穢れ……祓うのは難儀だぞ)


 穢れを祓う。それがなにを意味するのかがわからない。


(なんだ……でも、俺はもう死んじまったんだろう? それとも『あんたのいるところ』は穢れた者は受け入れないってのか?)


(なにを言っている……まだ、お前は死んでなどいない)


 それを聞いた瞬間、リューンは思わず声をあげそうになった。


(ふん! 真はどこかで気づいておったはずだ。貴様がそう簡単に死ぬものかよ。我が加護と霊的な強靱さを備えた貴様は、くわえて怪物じみた力さえ持っている……)


 どこかその声の主は呆れているようにさえ思えた。


(じゃあ……俺は、またもとの世界に……つまり、その、みんなが生きている世界に戻れるってことか?)


(然り……貴様はそれを望むか?)


 リューンは笑った。快活な、陽性の笑いだった。


(あったりまえだろ! 俺はせっかく女房を助けたってのに、まだなんにもしてないんだぜ! まだ小娘だけど将来はもっとすごいべっぴんになる! あんないい女をおいて死ねるか!)


(さすがに霊的に我が血脈を受け継ぐもの……というべきか)

 

 また神は呆れたような声を漏らした。

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