7  炎を背にうけて

 汚い手だ、とレクセリアは思った。

 卑劣で、しかもダルクス男爵の命を犠牲にした策だ。

 むろん、戦はきれい事ばかりでは勝てないと承知している。

 このままでは、リューン軍も壊滅することはわかっている。

 だからこそ、これが必要なこともわかっている。


(でも……それでも、ダルクス男爵が死ぬことには変わりがない)


 というよりも、むしろ男爵は、それを望んでいたように思える。


「レクセリア殿下」


 レクセリアとさほど身長の変わらぬ小男であるダーナスが、その黒い瞳を潤ませながら言った。


「父は、たぶん殿下に感謝しています。父はいつも、武人でありたいと言っていた。古来らの伝承を守るだけで自分は死んでいくのかと思っていた。そんな父は……人生の最後に、『武人』になれたんです」


「ですが」


 レクセリアは、思わず叫び声をあげそうになった。


「私は……私は……」


「いいんだよ、殿下」


 背後から立ちのぼる炎を見つめながら、リューンが言った。


「男ってのは、馬鹿な生き物でな。くだらないことに命をかけて、死んでいくのに満足する奴もいるんだ。でも、はたからみればくだらないことでも、本人にとってはそれはとても大事なものだったりする……」


 男にしかわからない世界が、あるというのか。

 やはり自分はいくらこうした策を思いついても、兵たちを率いても、所詮は女ということなのか。


「ダーナス……俺は戦場でいろんな奴を斬ってきた。殺してきた。そんな奴らのなかでも、お前の親父は……ダルクス男爵は、大した武人の一人だ」


 すでに、城にはかなりの火の手がまわりはじめていた。

 石造りの建物は一般に、燃えにくいとされている。

 たしかにすべてが木造の建物に比べればその通りなのだが、それでも梁や柱に木材を使っているので、結局、石造りに見えても建物は案外、火には弱いものなのだ。

 赤々と天を焦がすような燃え方は、だが通常よりは派手にすぎる。

 おそらく城内に油を撒いたのだろう。

 正門からは城内の下働きをしていた男や女たちがあわてて飛び出してきた。


「もう……残っていないな」


 ダーナスの問いに、一人の男がうなずいた。


「あとは男爵閣下だけです! 閣下は……閣下はあくまで城に残ると……私たちで閣下の体をお運びしようとも思ったのですが……」


「いいんだ」


 ダーナスが言った。


「これで、父上は武人として死ねる。ガイナス王のように炎に包まれて。そして嵐の王リューン陛下を助けるために、死ぬことができる……」


「畜生! ダルクス男爵のためにも、こっちも、負けてられねえぞ!」


 リューンはいきなり、凄まじい獅子吼をあげた。


「リューン軍の全員に告ぐ! ダルクス男爵は自らの命を捨てて俺たちを助けてくれた! いや、いまも俺たちはダルクス男爵と一緒に戦っている! ここが勝機だ! いまこそ勝機だ! 突き抜けるぞ! タキス伯の軍勢がうろたえているいまが好機だ!」


 そのとき、確かに戦の流れが変わった。

 戦とは生き物のようなものだ。

 流動的で、その流れを掴んだものだけが勝利をおさめることができる。

 いままでは、明らかにタキス伯軍のほうが圧倒的に有利だった。

 彼らからすれば、夜襲による奇襲効果で優位にたったうえ、数そのものが違うのだ。

 だが、いきなり背後の城が燃えだしたことで状況が変わった。

 なにしろ、これ以上攻めてリューン軍をおいつめようとしても、それは自ら火のなかに飛び込むようなものなのだ。

 しかも夜の暗さに慣れた目に、正面から火明かりをうけることになって視界もきかなくなっている。

 それに比べ、リューン軍は火を背に負っている。

 このままそばにいれば、その炎に巻き込まれて命を落とすかもしれない。

 つまり、死にたくなければいやでも敵中突破するしかないのだ。

 ある種、極限状況に追い込まれた兵は、強い。

 この瞬間、リューン軍の誰もが死を覚悟していた。

 というより、覚悟せざるを得なかった。敵中突破ができなければ、死ぬ。

 誰にもそのことがわかっていたからだ。


「野郎ども! いくぞ!」


 そう絶叫して、嵐のようにリューンが戦場のなかへと飛び込んでいった。

 指揮官自体が先鋒をつとめるなど、もう無茶もいいところだ。


「おう、リューンの旦那!」


「リューン王、私もお供を!」


 雷鳴団の兵士や、近衛騎士あがりの兵士、そしてランサールの槍乙女たちが、さきほどまでの苦戦ぶりが嘘にように生気を取り戻していた。


「おらあああああああああ!」


 リューンが大剣を振り回すたびに、まるで暴風に巻き込まれるようにして敵兵が吹き飛んでいく。

 アルヴァドスとの戦いを経てから、あるいは戦士としての力量すらもリューンはあがっているのかもしれなかった。


(なんという……なんという男!)


 レクセリアは背筋に戦慄すら覚えていた。

 興奮に、胸が激しく鼓動していく。


「さあ、レクセリア殿下!」


「ここから、一気に駆け抜けますぞ!」


 レクセリア専用の警護役であるランサールの槍乙女たちが、レクセリアを囲むようにして前進を始めた。

 まるで巨大な潮のように、どっと三百のリューン軍の兵たちが、タキス伯軍を押し始めた。


「僭称王リューンを狙え!」


「リューンさえ殺せばなんとかなる!」


「気をつけろ! レクセリア姫は決して殺してはならんぞ!」


 皮肉なことに、自分の身さえもがリューン軍の「戦力」となっていることに、夢中になって駆けながらもレクセリアは気づいていた。


(タキス伯は欲をかきすぎた! 私の身柄をおさえて後々、利用するつもりか!)


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