8  未知への道標

 それがこの状況でどんな意味を持つのか、レクセリアは誰よりも理解していた。

 通常の戦場では、女が男の兵士にまじっていれば、目立つ。

 少なくとも髪を長く伸ばした娘がいれば、それはあきらかだ。

 だが、リューン軍にはランサールの槍乙女という、普通は考えられない女だけの部隊が存在するのだ。

 タキス伯の兵士たちからすれば、瞬間的に相手が女かどうかはわかっても、それがレクセリアかどうかなどはわからないはずだ。

 言うなれば、タキス伯は自分で自分の首を絞めるような真似をしている。

 おそらく、タキス伯にとってもこんな反撃は想定外の出来事だったのだろう。

 アヴァールは武人だが、同時に貴族でもある。

 いずれリューン軍は降伏し、レクセリアの身柄を安全に確保できると考えていたに違いない。


(私を見誤りましたね、タキス伯!)


 まさか、城を燃やして敵に向かって突撃するなどという奇策を生み出したのがレクセリアの頭脳だとは、アヴァールも夢にも思わぬに違いない。


(勝てる……この戦、勝てる! いや、必ず勝たねばならない!)


 ひたすらに、レクセリアはかけ続けた。

 もはやタキス伯軍の劣勢は明らかである。

 彼らは突然の変事になにが起きたかさえ、たぶんよくわかっていない。

 そもそもなぜ城が燃えているのか。

 さらにはレクセリアを殺すなという命令が出ているので、うかつにランサールの槍乙女を殺すこともできない。

 形勢は完全に逆転していた。

 ランサールの槍乙女が鋭い槍の穂先を振り回すたびに、兵士たちの首から赤い血が吹き出る。

 月影を浴びたその血は実際には赤というより黒い蛇がのたくっているようにも見えた。

 城が燃える火明かりをうけて、剣や槍や連接棍、長柄の斧といったさまざまな武器や鎧の金属部が夜の闇のなかで銀色やオレンジ色に輝いている。

 いつしかレクセリアは、ほとんど音のない世界にいた。

 いや、音は聞こえているのだが、とにかく走るのに必死になっているので意識にまでそれが届いてこないというべきか。

 遙か遠くで、誰かが高笑いをあげながら長い槍を振り回していた。

 確かあれは、アシャスといういつも笑いながらしゃべるリューンの部下だ。

 他にもクルールが連接棍で兵士の頭蓋を兜ごとたたき割り、またキリコの僧侶イルディスが恐るべき剣技で敵兵を屠っていた。

 メルセナの槍からは紫電の稲妻が放たれ、敵兵を焼いていく。

 あちこちでランサールの尼僧が稲妻の法力を使うたびに、世界に紫色の光が走った。

 一千の兵にくさびのようにうちこまれたわずか三百の兵は、すでに敵中を突破しかけている。


「おらあああああああ!」


 だが、なんといっても凄まじいのはリューンである。

 まさに嵐が具現化したような、恐ろしい戦闘能力の持ち主だった。

 軽く大剣を振るだけで、なにかの冗談のように周囲にいた敵兵の手足が吹き飛び、首が転がっていく。

 リューンの鎧はいつかし赤黒く濡れていたが、それはほとんどが返り血を浴びたことによるものだろう。


「落ち着け!」


「陣をたてなおせ! こちらのほうが数では勝っている! 押し囲んでもみつぶせ!」


 タキス伯に仕える騎士らしい軽騎兵たちが必死になって叫んでいるが、すでにタキス伯の兵たちは一つの軍勢としてのまとまりを失いつつあった。

 あちこちに死体や負傷者が転がっている。

 途中で、レクセリアははらわたをこぼした男をあやうく踏みつけそうになった。

 吐き気に襲われるが、いまはそんな暇はない。

 とにかく駆け抜けるのだ。


「ガーガール! タキス!」


「ガーガール! ガーガール!」


 タキス伯の兵士は鬨の声をあげてなんとか形勢を逆転させようとしているが、もう無理だろうと冷静にレクセリアは判断した。

 完全に勝機はこちらに移っている。


「リューン! レクセリア!」


「リューン王万歳! レクセリア女王……万歳!」


 そんな鬨の声が、どこからともなく澎湃とわき起こってきた。

 まるで大地が鳴動するかのような音を聞いて、レクセリアの聴覚が戻り始めた。

 槍と槍がぶつかる金属音、鎧の一部が鳴るがちゃがちゃという音、そして悲鳴と喚声と鬨の声がごちゃごちゃにまじりあい、すさまじい音響となってレクセリアを押し包んでいる。

 やがて、タキス伯軍の限界がやってきた。

 ついに、中央に潜り込んだリューン軍の激烈な攻勢に耐えきれず、タキス伯軍は二つに割れて壊走を始めていた。

 この時代の戦は、実は直接的な死者はさほど出ない。

 戦とはつまり、「戦線を維持できなくなったほうの負け」なのである。

 そして大量の死者が出る場合、たいていは壊走する敵兵を追撃したときだ。

 撤退戦が難しい、また殿軍は死を覚悟しなければならないといわれるのはこのためである。

 だが、戦場で狂気のような戦いぶりを見せながらもリューンの頭脳は明敏なようだった。


「壊走した奴らは追うな! ただ、俺に従ってアスヴィンの森にむかって駆けろ!」


 途端に、敵軍の、まだなんとか踏ん張っていた兵士たちも、戦闘を放棄して逃げ始めた。

 アスヴィンの森。

 それは魔の森であり、一度は入れば生きて戻ってくることは出来ないとされる。

 そんなところを目指して逃げるような狂った奴らと戦っても無駄死にするだけ、とタキス伯の兵たちは考えたのだろう。

 そしてたぶん、リューンもそれを計算して叫んでいる。

 恐ろしく強く、それでいてやはり戦いのときにはこれ以上、ないほどの判断力をしめす。

 さすがに戦場で鍛え上げられてきただけのことはあった。

 あるいはリューンには、全体の戦の絵図を描くようなことは向いていないのかもしれない。

 だが、それは自分がやればいいだけのことだ。

 女で非力な身とはいえ、どうしたものかそうした策は、レクセリアの頭脳からはいくらでもわき上がってくる。


(あるいは……似合いの夫婦ということか)


 思わず苦笑が漏れたそのときだった。

 遙か遠くから、狼の遠吠えのようなものが聞こえてきたのは。


(狼……あるいは、ダルクス伯の言っていた狼とは……)


 東向きの正門を出たリューン軍は、いつしかその方向の南へと変えていた。

 タキス伯軍のなかは、完全に突破している。後ろでタキス伯は兵を再編成しているようだが、一度、壊走した兵を集めるのには時間がかかる。

 ましてやいまは夜なのだ。


(このままなら、逃げ切れるか……)


 そう思い、前方を見たレクセリアは、あっと声をあげそうになった。

 黒い塊となって地平線にわだかまるアスヴィンの森の一部が、まるで道標のように青白い光を天にむかって放っているのが見えたのだ。

 

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