9  王の重み

 リューンの目にも、はっきりとそれは見えた。

 狼の遠吠えが聞こえる中、地平の果てに広がる黒い戦のようなアスヴィンの森の一部が、青白く発光して天上に光を放っている。


「おい……お前、あれが見えるか?」


 そばにいたガラスキスにむかってそう尋ねたが、髭面の巨漢は不思議そうな顔をした。


「リューンの旦那! なに言っているんだ? あたりは真っ暗で、銀の月の光くらいしか……」


 やはり、この自分にしかあの光は見えないらしい。

 ダルクス男爵の言った通りだ。

 狩人ダールの道。

 アスヴィンの森の秘密の抜け道。

 それは遙か神代の昔に、ウォーザ神その人によってつくられたという。

 神話、伝説だとばかり思っていた話が実は事実を伝えている。

 そうしたことは、神々や魔術の実在するセルナーダの地では、珍しくはあるが決してないこともない。

 いま見ているのは、まさにそうした、神話や伝説の世界にすぎなかったはずの道なのだ。


(ありがとよ、ウォーザの神様! って素直に歓迎したいところだが……)


 やはりなにか、ざらりとした違和感がある。

 いままで、リューンにとってウォーザ神とはもっとも親しい神だった。

 天上の嵐を司る神であり、母からはかの神こそが父親と教わってきた。

 むろん自分が「神の子」であると鵜呑みにしていたわけではないが、それでもウォーザ神がいつも自分を加護してくれているような感じはあった。

 特に嵐の日などはリューンにとっては「良い天気」、縁起の良い天気といってよかった。

 だが、なにかいまの自分は、ウォーザ神に対していままでとは別の感情を抱き始めている。


(ありがたい神様だとは思っていたけど……ひょっとして、俺は神様にとっちゃ、道具にすぎねえんじゃないのか?)


 そんな根源的な疑問である。

 もしウォーザの僧侶が聞いたなら、冒涜だと言って激怒しそうな言葉だ。

 だが、それでもなにかこう、リューンには気にくわない。


(やっぱりこう、いま考えてみると、いろんなところで俺はなにかついていた……それも、ウォーザ神の加護なのか?)


 都合良く話が進みすぎる。

 まるで誰かがあらかじめ絵図をかき、その通りに進んでいるかのような。


(でもここまできたら……もう、逃げられねえ)


 一月前の紅蓮宮での出来事は、リューンの人生を変えてしまった。

 いまやリューンの名は、グラワリアじゅうで知られている。

 ほとんどのグラワリア人にとって、リューンといえば「ガイナス王をたぶらかした僭称王」ということになっているだろう。

 あるいはリューンがガイナスを殺して玉璽を奪った、といった話がまことしやかに語られているかもしれない。

 つまり、下手な諸侯よりも遙かにリューンという個人の立場は重い意味を持つようになっていたのだ。


(なんかこう、鎖で縛られたみたいだな。今までは、俺は自由に、好き放題やっていられた。でも、いまの俺は……)


 リューン軍を率いる、嵐の王だ。

 ダルクス男爵は自らの城館に火を放ち、命をかけてリューンを助けてくれた。

 それほどの価値が自分にはあるのか。


(わからねえ……けど、たぶん、もう悩んでいる暇すらねえんだな、きっと……)


 自分にだけは、あの青白い光が見えている。

 後ろを振り返らずとも、三百人を越える仲間が後ろについてきていることはわかっていた。


(でも……本当にいいのか? 俺なんかを王として担ぎ上げたのはいいが……それで死ぬ奴だってでてくる。いままでは、戦は『他人のため』にやった。金のためにやった。でもこれからは……『俺のために仲間たちが死んでいくことになる』ってことだぞ)


 いや、すでにこの一月で死者は何人も出ている。

 まるで親に従う小鳥たちのように、リューンをおいかけてくる兵士たちの命が、ふとひどい負担のようにリューンには感じられてきた。


(重いな……くそっ! いままでと違って俺には、こいつらの面倒を見る責任ってものができちまった!)


 人の命を預かるのは、重い。

 自由で奔放不羈に見えるリューンではあるが、ある意味、親分肌というのか、彼は情に厚いところがある。

 だからこそ、仲間たちの、部下たちの命がひどく重く感じられる。


(でも王になったら……俺は、奴らにいつか、俺のために死ね、そう命じることになるんだろうな)


 耐えられるのか。

 その重みに。

 奇妙なことに、いままで数え切れないほどの敵兵を戦場で殺してきたリューンは、そういった倫理的ともいえる悩みを抱えていた。

 指導者になる、王になるとは、そうした責任を抱え込むということなのだ。

 自由が奪われる。


(くそっ……いっそのこと、このまま一人でアスヴィンの森に逃げちまうか? 他の奴らはおいて、俺一人で……)


 むろん、そんなことができるはずがなかった。

 そうなればいま新たに態勢を整えているタキス伯の軍勢に追撃され、おそらくリューン軍の兵たちは全滅するだろう。


(もう……とっくに逃げる時期なんて終わっていたってわけか)


 そもそも自ら望んで、王位を狙ったのではなかったのか?


(違う……いや、確かに王になってみたかった。それがどんなもんか、味わってみたかった。でも……なんていうか、こんなに面倒で、重い物をしょいこむことになるなんて……)


 いままでは王位といっても、ある意味、リューンにとっては決して手の届かない宝物のようなものだった。

 だからその宝物を持てばそれがどんな重みを持つかなど、想像したことさえなかった。


(けっ……なんだか、思ったほどいいものじゃないかもしれねえ! ひょっとすると……俺は、おふくろやウォーザの神様にその気にさせられて……なんか、とんでもないことさせられるんじゃないのか?)


 嵐の王。

 三王国の時代に終わりをもたらす者。

 あるいは、そういうことではないのか。


(だとすりゃあ……俺は後の世の人間に、さんざん悪口言われるかもしれねえなあ)


 そんな悪口を言われてまで、ちゃんとした王位につきたいか。


(でも……ここまできて逃げるわけにはいかねえな!)


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