10 恐怖の森
いままで戦ってきたのはなんのためか。
夢、という言葉が実はリューンはあまり好きではない。
いや、人前では王になるのが夢と公言して笑われてきたが、実はリューンはそれをただの「夢」だと思わず、ただ目指すべき現実的な目標だと思っていたからだ。
(これが現実か……だが、いまさら四の五の言っても仕方ねえ! これからは、先のことを考えるまでだ!)
そうわりきるしかない。
気づくと、すぐ傍らに何匹もの狼が駆けていた。
狼は実は人を襲うことはよほど飢えてでもいない限り滅多にない。
とはいえ、こうして伴走してくる狼というのも異常である。
おそらく、ウォーザ神の超常の力が働いているのだろう。
(また……『奇蹟』か)
ウォーザは大いなる神であり、かつてはソラリス神とセルナーダの主神の座を争ったほどなのだ。
その神の後ろ盾を得ているということは、同時に全セルナーダのウォーザ信者や僧侶たちも味方につけるということだ。
さらにウォーザは超自然の使いをよこしてくるかもしれない。
(ここは、ウォーザ神に頼るしかねえってことか……)
もはや、自分だけではない。
リューン軍という軍勢の命がかかっているのだ。
(もう自由じゃいられねえ……そういうことか!)
ふと、目の前を走る一匹の狼に気づいた。
その毛皮は白い。
古来より、白い狼は「氷狼」と呼ばれる魔獣でなければ、神の使いであるとされている。
ウォーザ神の使い。
神の使いである白き狼に導かれ、アスヴィンの森にむかって駆けていく。
それは、まるで神話のなかの光景のようでもあった。
(もし俺が本当に王になるんなら……こういうのもそれこそ、セルナーダ英雄伝に書き記されるんだろうな)
事実、後に、「リューンのアスヴィン越え」はセルナーダ英雄伝に記されることになる。
ウォーザ神の使いである白き狼に導かれるリューンは……後世の伝説となる。
だが、いまのリューンは、現実にはわずか三百の手勢をもつだけの男にすぎない。
いくらウォーザ神の加護があっても、それは無限ではない。
確かにアスヴィンを越える道があるのはありがたい。
とはいえ、アスヴィンは魔獣や怪異で満ちあふれているという魔の森である。
道があったとしても、そうした者から守ってくれるとは限らないのだ。
ぐんぐんと、アスヴィンの森が近づいてくる。
ふいに、首の後ろの毛が逆立つような悪寒に襲われた。
これは、ほとんど本能的なものだ。
何度、この勘働きに助けられたか、わからない。
その本能が告げている。
この森は危険だと。
あまりにも危険すぎると。
理性ではない。
原始の本能とでもいうべきものが、凄まじい勢いでリューンに警告を発している。
「リューンの旦那!」
すぐ後ろにいたガラスキスが叫んだ。
「本当に……いいんですかい? なんだか俺にゃあ、すごく嫌な予感がするんですけどねえ。この森は……」
「わかってるよ!」
リューンは思わず、怒鳴り声をあげた。
「わかってるけど……仕方ねえだろ! 他に逃げるところはねえんだから!」
さきほどウォーザの神の加護について微妙さを感じていたリューンだが、即座に考えを撤回した。
(やばい……この森は本当にやばい感じがするぞ、くそ!)
心なしか、腐臭めいたものが森から漂ってくるようにも感じられた。
あるいは、死臭というべきか。
自分でも気づかぬうちに、駆ける足の速度が鈍くなっていく。
リューンのような剛の者さえをも怖じ気づかせるような圧倒的な威圧感が、森からは感じられるのだ。
どんどん森が近づいてくる。
しだいしだいに、一本一本の木々の姿が見えるようになってきた。
ブナやナラが基本となっているようだが、針葉樹らしいものも混じっている。
少なくとも植生という意味では、セルナーダのどこにでもあるようなごく普通の森といえる。
だが、一目この森の木々をみれば、ここがとうてい、まともな場所ではないと誰であれ慄然とさせられるだろう。
一本として、まともな形をした樹木が存在しないのだ。
巨大な腫瘍のようなこぶを無数に生やしたブナの木の枝は、苦悶にのたうっているように見える。
また、まっすぐに上にのびるはずのモミの木の幹が、途中でぐるりと輪を描いていた。
月明かりの下でも、健全な発育をした樹木が一つとしてないことがはっきりとわかる。
どの木をみても異様なふくらみやねじれといったものだらけなのだ。
さらにいえば、悪臭を放つ樹液らしいものが木の枝からだらだらと垂れている。
まるで森の持つ毒素にやられてしまって嘔吐でもしているかのようだ。
「リューンの旦那! ひでえ匂いまでしてきたぞ、それに……」
今度は、異様な獣の声らしきものが聞こえてきた。
狼とは違う。
熊でもない。
明らかに通常の獣とは異質な、なにか怪物じみたものの発する咆吼だ。
さらには人間の悲鳴のようなものまで聞こえてくる。
気のせいか、樹木の影で白っぽい亡霊のようなものが飛び交っている姿が見えたような気もした。
「まったく、大した森じゃねえか。さすがに悪名高いアスヴィンの森だ!」
戦いとはまた異なる、未知の超自然に直面したときのような恐怖が背筋を駆け上ってくる。
怖い。
本音をいえば、このまま踵を返して一目産に逃げ出したかった。
そうすれば、この森に入らずにすむ。
リューンのような男でさえ、そう考えてしまうのだ。
気になって後ろを振り返ると、リューン軍の兵士たちの足取りはひどく鈍っていた。
もちろんいままでかけ続けてきた疲れもあるだろうがそれだけではない。
誰もが、やはり怖じ気づいているのだ。
まずい。
このままだと全員の士気に関わる。
リューンは改めて覚悟を決めた。
「おい……お前ら! いよいよ悪名高いアスヴィンの森だ! 怖じ気づいている奴は容赦なくおいていくぞ! ここで怖がっているような奴は……俺の部下には必要ねえ!」
そう叫ぶと、リューンは青白い光を発している「ダールの抜け道」にむかって、勇を鼓して走り始めた。
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