11 忌まわしき地
次々に、兵士たちがアスヴィンの森に入っていく。
レクセリアの目には、二本のねじくれたブナの木の間に開いた幅十エフテ(約三メートル)ほどの空間の奥に、青白い光を放つ道の姿がはっきりと見えた。
だが、他の者たちにはどうやら、この光は見えていないようだ。
(ということは……私もリューン同様、ウォーザ神の加護をうけている、ということなのだろうか……)
正直にいって、レクセリアとしては複雑な思いがある。
なにしろ彼女はアルヴェイア王国王家の出身なのだ。
三王国の王家はもとをたどればみなネルサティアの太陽王に辿り着く。
つまり、ソラリス神の血、「黄金の血」をひくとされているのだ。
当然、自分の守護神はソラリスだと当たり前のようにレクセリアは考えていた。
だが黄金の血をひく自分にもこの道が見えるということは、嵐の王ならぬ「嵐の女王」として認められた、ということだろうか。
実際、ソラリス神の力はいま、非常に弱まっている。
つい数年前にネルサティアの地で、ソラリス神は地上に実体化し、宿敵である死の女神ノーヴァと戦ったとされている。
神々がかりそめの姿をとって地上に現れることはまれにあるが、どうもこの際、神の力本体が実体化したらしいのだ。
ソラリスとノーヴァは戦い、ネルサティアの地は地形がかわるほどの大変動に襲われたという。
降神大戦と呼ばれるこの戦いにソラリスは敗北し、ネルサティアはいまでは死の女神の力が支配する不毛の地と化したという。
ちなみにいえば、このノーヴァなる女神はセルナーダの死の女神ゼムナリアと同一視されている。
以来、ソラリス神の力は劇的に弱まった。
三王国の王権の衰退は、この守護神の力の弱体化と無縁ではないとレクセリアは思う。
(私も……ソラリスからウォーザに宗旨替えしたほうがいい、ということだろうか)
そのあたりのことが、よくわからない。
ウォーザが古くからこの地に住んでいた先住民たちの神だということはレクセリアも理解している。
だが、現在では熱狂的なウォーザ信仰というものは存在せず、ソラリスを主神とした「実りの神々」と呼ばれる神群のなかで嵐や雨を司る、農耕においては確かに重要ではあるが、それだけの神にまで地位は低下していた。
(人の世の移り変わりは……歴史は、あるいは神々の世界の事象の影のようなものなのか……)
神々は実在する。
そして神々は僧侶を通して法力とよばれるさまざまな魔術を与え、またときおり人界に使徒とよばれる超常の存在を送り込む。
さらにはあの紅蓮宮でのリューンへの落雷のような形で「奇蹟」を起こすこともごくごく稀にある。
(あるいは……私も、神々の道具、いわば駒のようなものなのか……)
人間の世界の政争などもその裏には特定の神格が絡んでいるというのは、実はわりとよくあることでもあった。
(だが……ウォーザはあらぶる神と聞く……そのような神の力で、本当に民の安寧をえることができるのだろうか……)
ふと後ろを振り返ると、もうレクセリアの護衛をつとめるランサールの尼僧たちしか残ってはいなかった。
タキス伯はまだ軍勢の立て直しに忙しいようで、こちらには来ていない。
遙か遠くに、天の一部を赤く焦がすダルクス城の姿が見えた。
(ウォーザ神の力に、あるいはダルクス男爵もまきこまれたようなもの……ウォーザ神は強き神ではあるかもしれないが……あるいは無情な神なのだろうか)
考えてみれば、いま自分の身の回りにいるランサールの槍乙女たちも、ウォーザの娘、稲妻の女神ランサールに仕えているのだ。
(古き太陽の王の時代が終わり、いままで抑圧されてきたさらに古き先住民の神々たちが力を取り戻している……ということなのか)
そのとき、まだレクセリアと同い年くらいの、黒い瞳が印象的な、気の強い少年みたいな槍乙女が言った。
「殿下……これで、私たちをのぞいては全員、アスヴィンの森に入りました。我々も……」
「ええ」
確か、この少女はシェアとかいったはずだ。
「では……我々も、森のなかに入りましょうか」
そう言うと、レクセリアは覚悟を決めて、鬱蒼と木々の生い茂るアスヴィンの森のなかへと、ついに足を踏み入れた。
途端にあたりの空気の質そのものが、変わった気がする。
普通、森の中はさわやかな空気に満たされているものだが、このアスヴィンはさすがに魔の森というべきか、異様な悪臭めいたものが感じられた。
まるで死臭のような、不吉きわまりない匂いである。
空は張り出した木々の枝が複雑に錯綜し、月影を遮っている。
隙間から銀の月の光が何条もの光線となって射し込んではいたが、その光がひどく弱々しく感じられた。
いまは落葉樹が葉を落とし、ようやく緑の芽が萌え出る時期だというのにこれほどに暗いのだ。
落葉樹の葉がおいしげる時期は、真っ暗になるかもしれない。
だが、レクセリアの目には前方に道が延びているのが見える。
何人もの兵士たちの背中が視認できた。
道幅は十エフテほどあるので行軍するには問題がないが、それでもみな、周囲を落ち着かない様子で見渡している。
森の奥から、ときおり悲鳴や獣の咆吼らしいものが聞こえてきた。
いまは夜行性の獣が、森のなかを闊歩しているのだろう。
しかし、まともな獣がこの森のなかにはたしてどれほど残っているのだろうか。
昔、読んだ書物のなかでは、魔力の歪みが残った地に長く住む獣は、その姿もねじまげられ、魔獣と呼ばれる魔術的な力をもつ獣に変異してしまうのだと書かれていた。
だとすれば、アスヴィンの森の獣がそっくり魔獣となっていてもおかしくはない。
「これは……なかなかに、強烈な場所ですなあ」
いままで無言だった宦官魔術師のヴィオスが、眉をひそめた。
「なにか、異常でも感じるのですか?」
レクセリアの問いにヴィオスが苦笑した。
「異常ところの騒ぎではありませんよ。私は魔術師でもありますので、魔術界の歪みはすぐにわかりますが……これはひどい」
さすがに魔術師であるだけに、ヴィオスの指摘は専門的なものだった。
「相当、昔にこのあたりの森で、強大な魔術が使われたようですな……おそらくは、ネルサティア人がやってくる前よりもさらに何百……ひょっとすると何千年も前に。この歪み方は、ネルサティア魔術を行使したときのものともまた異なる……先住民の使う、精霊魔術とかいうものの痕跡のようです」
ネルサティア魔術がいまのセルナーダでもっとも一般的なものであり、ただ魔術といえばたいていはネルサティア魔術を意味するものとむろんレクセリアは知っていた。
だが、精霊魔術というのは、よくわからない。
名前ぐらいは知っているが。
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