6 愉しんではならない
宦官にして水魔術師、レクセリアがこの世に生まれ落ちてからずっと教師をつとめてきた男が、怖い顔をして言った。
「戦は、愉しむものではありません」
言われて、はっとなった。
確かについさきほどまで、自分は戦そのものを愉しんでいたのではないか。
だが、ヴィオスが倫理的な意味でそんなことを言うつもりはないことくらい、レクセリアには察しがついた。
そもそもヴィオスは、必要がありさえすればどれだけ酷いことをしても構わない、と考えているような人間なのだ。
「私は……愉しんでいたのでしょうか」
ヴィオスはうなずいた。
「戦は、愉しむものではありません。これは、遊技ではありません。戦場とは、命をかけて、真っ正面から現実を見つめたもののみが生存を許される場所でしょう。そこで将が戦を愉しめば……」
レクセリアは自分の教師が言いたいことを理解した。
「その通りですね。いまは、戦を愉しんでいる場合などではない……」
そのときだった。
突如、天上からごろごろという、巨大な岩を転がすような音が聞こえてきたのは。
ついさきほどまで見事な晴天だったというのに、いつしか天の端に黒い雲があった。
雲は驚くような勢いで、青い空を駆逐していく。
どうやら、嵐が近づいているらしい。
危ないところだった、とレクセリアは背筋にひやりとするものを感じた。
もし嵐がくるのがあと四半刻(約三十分)早ければ、自分の策は潰えてしまっていただろう。
雨がふれば大気中の炭の粉は、すべて水滴によって洗い流され大地に落ちていたはずだ。
そうなれば、クーファーの僧侶が火炎法力を使っても、粉塵爆発は起きなかったはずなのだ。
戦を、愉しんでいる場合ではないと、改めて思い知った。
確かに戦況は現状ではこちらが有利だ。
すでに王国軍三千は、敵の縦深陣の半ば近くまで食い込んでいる。
だが、すでに戦況は新たな段階を迎えつつあった。
炭塵爆発の衝撃から立ち直ったグラワリア兵が、組織的な抵抗を開始したのだ。
そもそもあの劇的な爆発も、ガイナス軍すべてに及んだわけではない。直接、爆発に巻き込まれて死傷したのは前衛の歩兵や左右に配された騎士、合計三千ほどである。
残る一万四千は、まったくの無傷なのだ。
「ガーガール!!」
「ガーーーガーーーーールッ!!」
グラワリア軍から澎湃とすさまじい鯨波がわき起こった。
ガーガールとは、グラワリア軍が伝統的に使う鬨の声である。
敵陣を食い破ったように見えるアルヴェイア王国軍の精鋭三千の周囲を、グラワリアの赤い兵たちは包囲しはじめた。
何千本もの槍が互いに突き出され、剣と剣とが打ち合う剣戟、兵たちの怒声と悲鳴、鬨の声がこだまする。
負傷したアルヴェイア兵が大地に倒れ、頭を剣の刀身で見事に割られたグラワリア兵が絶叫しながらその場でくずおれる。
槍の刃がかげりゆく太陽の光を浴びてぎらぎらと輝き、大地に大量の鮮血と脳漿と臓物とがあふれ出した。
グラワリア軍は確実に、もとの軍隊としての冷静さを取り戻していた。
「まずい……」
背後から戦場を見ているレクセリアも、自らの過ちに気づいた。
確かに粉塵爆発直後、戦の序盤ではアルヴェイア軍は圧倒的だった。
なにしろ爆発で負傷した者たちを殺すだけだったのだから、優勢なのも当然のことである。
だが、レクセリアは調子に乗りすぎてアルヴェイア王国軍の歩兵を、前に出しすぎてしまっていた。
この狭い谷にひしめきあう歩兵は、両軍とも当然、縦深に陣を敷いている。
というより、そのような陣を敷かざるをえない。
そして縦深陣とは、当然のことながら横にしかれた陣形より突破が困難なのである。
皮肉なことに、炭塵爆発で負傷した敵軍があまりに弱体化してしまったので、王国軍歩兵三千は先に進みすぎ、自ら罠にはまるような格好になってしまったのだ。
すっと再び背筋に寒気が走るのをレクセリアは感じた。
ここまで兵たちが密集していては、もはやグラワリアの騎士は騎兵としては使えないだろう。
彼らは下馬して戦うしかないのだが、そもそも装備からして騎士はアルヴェイアの一般の歩兵などとは違う。
さらに騎士たちはみな職業軍人として訓練を積んでいるのだ。
その、下馬した騎士たちが奥に追い込まれた王国軍の精兵を、左右から攻撃し始めていた。
どうやら炭塵爆発の被害は、ガイナス王率いる本陣までは届かなかったようだ、とレクセリアは確信した。
もし王が死亡していれば指揮命令系統はずたずたになり、グラワリア軍はこのような見事な反撃は行えなかったろう。
さきほどまでは圧倒的なまでの優勢だったというのに、もう状況は移り変わりつつある。
それが戦の常ではあるのだが、生き物のように戦は姿を変えていく。
確かにクーファーの火炎法力は、奇策を用いることでなんとか封じた。
だが、ガイナス軍はもう一つの、強力な武器を持っている。
ランサール雷槍団の、雷である。
もし天候が晴れのままであれば、問題はない。
雷でも、炭塵爆発は十分に発生しうるからだ。
だが、もしこのまま天候が変わって雨が降り出せば、グラワリア軍はランサール雷槍団の雷を使用できることになる……。
それに対して打つ手を、レクセリアは持っていなかった。
すでにこちらの策は、つきていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます