5 激闘

 いま、このヴォルテミス渓谷で起きているのは、俗に炭塵爆発と呼ばれる現象だった。

 主に炭坑で発生することが多いが、理論的には炭の粒子を大量に含んだ閉鎖空間であればどのような状況でも発生する。

 エルキア伯ヴァクスは、かつて炭坑を視察した際、この炭塵爆発による事故に巻き込まれたのだった。

 レクセリアはその詳細をヴァクスから聞き、この現象のことを初めて知った。

 そしてそれを、軍略へと転用したというわけである。

 昨日から兵たちに行わせていた作業は、露出した石炭の鉱床から石炭の塊を削り、粉にしたものをヴォルテミス渓谷のそこにばらまくというものだった。

 この上を一万を超える軍勢が通れば、馬蹄や人の靴底が大地にしかれた炭の粉を巻き上げ、谷のなかに炭の粉が充満する。

 そこでクーファーの僧侶が火炎法力を使えば、当然、大規模な爆発が起きる。

 だが、それにしてもこの爆発は、レクセリアが予想したよりもすさまじい効果を発揮していた。

 もし爆発を直視していたら、閃光で目が灼かれていたかもしれない。

 大音響が谷でこだまし、轟音となって耳を聾する。

 爆発にわずかに遅れて衝撃波がレクセリアのもとまで届き、鎖帷子の上に羽織った陣羽織をひきちぎらんばかりのすさまじさではためかせた。

 衝撃波が去った後、レクセリアはゆっくりと顔をあげた。

 ガイナス軍の前衛は、赤く染まっていた。

 もともとのグラワリアの赤い軍装ともまた異なる、もっと生々しい色合いの赤い液体があたり一面にぶちまけられているのだ。

 言うまでもなく、それはグラワリア兵たちの鮮血だった。

 さらには焦げ臭いような臭気とともに、肉が焼ける匂いも漂っている。

 よくよく見れば、何十、否、何百、ひょっとすると千を超えるグラワリア兵たちの体が、爆発の衝撃でちぎれていた。


「あー! あーーー!」


 なにが起きたかまるでわかっていないのだろう。

 全身を真っ黒にしたグラワリア兵が、悲鳴じみた声をあげて無意味にあたりをうろついている。

 その横では両腕を亡くした兵卒が、口から泡をふいてなにかをつぶやいていた。

 さらには頭から眼球を飛び出させた者や、爆発の衝撃で腹部をやられたらしく、臓物を口からあふれさせたものなど、グラワリア軍の前衛は文字通りの地獄絵図と化していた。

 さらに左右では騎士たちの騎乗する馬が荒れ狂い、すさまじいいななきをあげて互いに体をぶつけたり、乗り手を振り落として踏みつけたりしている。

 ガイナス軍もクーファーの炎を兵器として使用するからには騎士たちの馬に火炎を目にしても恐慌をきたさぬようななんらかの措置を施していたのだろうが、それも直接、爆発をくらっては無意味なようだった。

 敵軍はいまだ、なにが起きたかも理解できていないだろう。

 完全に混乱し、軍隊の兵ではなく、ただの一万七千の人間の集団に戻ってしまっている。

 いまこそが、好機だった。


「伝令! 弓兵、矢を放て!」


 レクセリアの命令をうけて、弓兵の指揮官たちと魔術で意識をつなげた伝令魔術師が、彼らに伝令を下した。

 数瞬の後、レクセリア軍の両翼から黒い羽根をもつ巨鳥が飛び立つかのように、ものすごい数の矢がグラワリア軍にむかって放たれた。

 アルヴェイアの弓兵はみな王国軍に属しているが、数はさほど多くはない。

 弓兵というのは訓練のための非常に時間がかかる、つまりは高くつく兵なのである。

 そのため、この時代は弓兵はあくまで主役である騎士の援護をする補助兵として使われていた。

 それでも次から次へと放たれる無数の矢が放物線を描いてグラワリア軍に殺到するにつれて、グラワリア兵も浮き足立ちはじめた。

 高所から恐るべき速度で落下する矢は、頭に直撃すれば鉄製の鎧すらも貫通し、下手をすれば頭蓋を砕いて顔の肉と骨を半分ばかり大地にぶちまけたりもする。

 さらには胴体にも深々と矢は突き刺さり、すでに炭塵爆発で凄惨なことになっているグラワリア兵たちの地獄にさらなる彩りをくわえていった。


「歩兵、前進せよ!」


 レクセリアは凛乎とした声を放って、新たなる命令を兵たちに下した。

 王国軍の精鋭三千が、いまだに混乱状態にある敵兵にむかって殺到していく。

 大地が鳴動するような音とともに、青い軍装に包まれた兵たちが北へとむかってわずかに傾斜した坂を駆け上っていった。


「アルヴァール!」


「アルヴァーーーールッ!」


 アルヴェイア特有の鬨の声をあげながら、王国軍の兵卒たちはグラワリア前衛と激突した。

 歩兵たちの主武器は、柄の長さが六エフテ(約一・八メートル)ほどある槍である。

 さらに彼らは、腰に長剣を下げていた。

 鎧はといえば、軟式の革鎧のあちこちに金属片を縫いつけたものである。

 王国軍の兵卒とはいえ、それほど重装備ではないのは戦術的な意味があるというよりは、単に経済の問題だった。

 兵たちみなに金属製の鎧を着せるほど、いまのアルヴェイアは豊かではなくなっていたのだ。

 もっとも、それはグラワリアとて同じようなものである。

 装備においてはほぼ同等といっても良い両軍はしかし、現在、置かれている状況が明らかに違っていた。

 グラワリアの前衛にいた歩兵はすでに戦闘力をほとんど喪失している。

 これに対し、アルヴェイア側の歩兵はまったくの無傷なのだ。

 たちまちのうちに、戦闘というよりは一方的な殺戮に近い状況が展開されていった。

 なにしろ前面にいたグラワリア兵はほとんどがさきほどの炭塵爆発で程度の差はあれ負傷しているのだ。


「アルヴァール!」


「グラワリアの奴らを殺せ!」


「ネルディの民の仇を討ってやる!」


「ガイナスの赤犬どもを殺せ!」


「アルヴァーーーーッ!」


 いまだ爆発による衝撃から回復していないグラワリア兵たちを、アルヴェイア兵は次から次へと殺してまわっていた。

 敵兵の腹を槍で突き、剣をふるって首筋に刀身を突き立て、負傷して大地に倒れ伏したグラワリア兵に短剣を刺してとどめを刺す。

 流血と殺戮に酔いしれながらも、三千のアルヴェイア兵は戦争という名の狂気に憑かれ、軍事行動の名をかりた虐殺を続けていた。

 むろん、後背に控えているレクセリアには最前線の様子はわからない。

 だが、それでも恐ろしいような勢いでアルヴェイアの青がグラワリアの赤を圧倒していくのは視認できた。

 そして、前線でなにが起きているのかは、さほど想像力に恵まれなくても容易に想像できる。

 すでに、鉄くさいような血臭が本陣にまで流れ込んできているようにも思えるが、これは錯覚かもしれない。

 ひどい。

 なんてひどい。

 そう思う一方で、どこかで悦びを感じている自分がいることが、レクセリアには恐ろしくあった。

 アルヴェイアの戦姫などとおだてられ、火炎王とおそれられるガイナスと戦うことになった。

 そして、いまのところ自軍が敵軍を圧倒している。

 血が浮き立つ。

 酒でも飲んだかのような酩酊感に頭がくらくらする。

 興奮のあまり、絶叫したくなる。


(私は……戦が好きなのかもしれない)


 どこかでわかっていたことではあった。

 かつて南部諸侯軍を打ち破ったときも、似たような興奮を覚えたものだ。

 だが、レクセリアは表向きは冷静に、魔術伝令を使って次々に配下の兵たちに命令を伝えていった。

 敵前衛は、完全に壊滅している。

 王国軍歩兵三千に続くのは、諸侯軍の歩兵たちだ。

 彼らは練度は低いが、ここで肝要なのは数である。

 勢いにのって、このまま敵の密集陣形を打ち崩すのだ。

 愉しい。

 愉快だ。


(可愛い可愛い私の兵たち)


 グラワリア兵を殺戮してまわっている自軍の兵卒一人一人が、我が子のように愛しく感じられる。

 同時にこんなことは狂っている、という自分がいる。

 戦争とはいえやっていることは人殺しだ。

 しかも大量殺人なのだ。

 だからどうした。


「……殿下、レクセリア殿下」


 気がつくと、背後からヴィオスに声をかけられた。


「笑っておられますが……それは、いけません」


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