4 炎

(ついにきた)


 レクセリアは本陣で、緊張につばを飲み込んだ。

 ガイナス軍は、不気味なほどに静かである。

 あの赤い人の壁の向こうで、ガイナス王もこちらを見ていることだろう。

 軍勢には、それを率いる者の性格が出るという。

 圧倒的な威圧感を放ちながらも、ガイナス軍の兵たちには乱れらしいものはまったくなかった。

 豪放磊落に見えて、ガイナスという王は細かいところにまで目が行き届く男らしい。


(あるいは……気づかれたか)


 もし、レクセリアの策をすでにガイナスが看破していたとしたら、この戦は正面からの力押しになる。

 そうなれば、レクセリアも正直にいって、簡単に敵に勝てるとは思えなかった。

 ガイナス軍はすでに連戦連勝で勝ちの勢いに乗っている。

 さらにいえば、策のためにレクセリアは騎士を後衛にまわしているのだ。

 どう見ても、真っ正面からのぶつかりあいは不利となる。

 だから、ガイナス王には、あのクーファーとかいう神の僧侶を使ってもらわなればならない。

 彼らには、炎を使用してもらわねば、この戦、おそらく負ける。

 レクセリアは陣中から遙か北の最前線を見通していたが、いまだ変化は現れない。

 敵軍は、動かぬままだ。


(やはり……)


 見抜かれた、ということだろうか。

 だとすれば、この戦は……。

 東の空を、北にむけて太陽が昇っていく。


(ソラリスよ……)


 一瞬、自らの王国の守護神に祈りかけ、すぐにレクセリアは自分の行為の皮肉さに笑った。

 確かにアルヴェイアの守護神はソラリス神だ。

 それどころか、アルヴェイア王家の人間はソラリス神の血、いわゆる「黄金の血」をひいているとされている。

 だが、それはもともとセルナディス帝室、さらにはネルサティアの太陽王にまで血脈をさかのぼることのできる三王国の王家すべてに共通しているのだ。

 いま、戦場で対面しているガイナス王も、やはりソラリスが一応の守護神なのである。

 とはいえ、ガイナスはクーファーとかいう異教にのめりこみ、そのよこしまな神の力を戦に使おうとしているのだ。


(ソラリスよ……彼に御身の裁きを)


 その願いをソラリスは聞き届けたかどうかは、まもなく明らかになるはずだ。


 太陽の光が左方向、つまりは東側からこんな谷間にもさしこんでいる。

 すでに陽はかなり高く昇っているので崖が生み出す影の部分はあまりない。


(暑いな……)


 なにしろいまは夏である。暑くて当然といえば当然だ。

 もともとガイナスは暑い北国の生まれであり、熱には慣れているつもりだった。

 自ら火炎王と呼ばれているくらいで、熱気も決してきらいではない。

 だが、さきほどから感じるこのどこか妙な、不快な感覚はなんなのだろうか。

 グラワリア軍が攻撃をいまだ行っていないのは、そのためだった。

 なにかが、戦をするために生まれてきたようなこの王の本能に危険だとささやき続けているのだ。

 あるいはアルヴェイアが罠を仕掛けたか。そう思い、様子をみようと軍をとめてはみたが、やはり考え違いだったのか。


「……下らん。まさか、俺は怖じ気づいているのか」


 声に出してみると、自分がいっそう、滑稽に感じられた。

 勝利のための準備は万全に整えたつもりだ。粗漏はいっさい、ないはずである。

 まずクーファーの火炎法力で敵の前面を焼き払った後、騎士の突撃をかけ、歩兵で蹂躙する。

 勝てる。

 そう思い、ガイナスはクーファーの僧侶団に儀式を始めるよう命じた。

 無数の歩兵が盾のように守っているあたりで、真紅のローブをまとった褐色の肌の男たちが何十人も同時に奇怪な異国の言葉で神への詠唱を開始する。

 ときおり馬のいななきや、武具がふれあう金属音が鳴る他は不気味なほどに静まりかえった谷間のなかに、やけに大きくクーファーの僧侶たちの声はこだました。

 これで、勝てる。

 数十人の僧侶たちは、儀式を行うことで法力の威力を増幅しているらしい。

 おそらく、最初の炎で敵兵は数百単位の死者を出すだろう。

 突如、生み出された炎は生き物のようにアルヴェイア軍の陣中を駆けめぐり、次々に兵たちの髪や着衣に発火しては彼らを焼き尽くすはずだ。

 否、場合によっては金属すらも溶かす威力をクーファーの炎は持っているのである。

 何度も儀式の場にたちあっているので、ガイナスはまもなく儀式が終わるのを知っていた。

 ついに、クーファーの炎が地上に顕現しようとしている。


 不気味な異国の言葉による詠唱めいたものは、ごくかすかではあるがレクセリアの陣にまで届いていた。

 ついに、敵はクーファーとかいう神の僧侶を使い始めたのだ。

 ソラリスは自分の祈りを聞き届けてくださった、とレクセリアは確信した。

 彼女は床几に座ったまま、大声で伝令たちにむけて叫んだ。


「全軍にただちに伝令を伝えよ! これから別命あるまで伏して動かざるべし、と! 決してそれまで顔をあげてはならぬ、と!」


 困惑したような顔でヴィオスが言った。


「殿下……そ、それは、一体……」


 レクセリアは凄艶な笑みを浮かべると、言った。


「私たちは賭けに勝ちました。ヴィオス、あなたも伏せて。北のほうをむいてはなりません」


 伝令たちの急報が全軍に伝わっていく。

 レクセリアには自軍の兵たちが混乱しているのがわかった。

 だが、ここで彼らを伏せさせねば、こちらの被害も甚大なものとなるだろう。


(そろそろか……)


 レクセリアが床几から離れて、うつぶせに伏せたその瞬間だった。


「!」


 まるで地上に新しい太陽が出現したかのような輝きとともに、すさまじい紅蓮の炎が爆発的な勢いでガイナス軍を包み込んでいった。

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