3 対峙

 赤い軍装に身を包んだ一万七千の精兵たちが、ヴォルテミス渓谷を南下していた。

 言うまでもなく、ガイナス王が親率するグラワリア軍である。

 むろん、彼らもこれからの戦に対し、緊張はしている。

 だが、おそらく誰一人として、この軍のなかで自分たちが負ける、と思っている者はいなかった。

 事実、国境を越えてネルディに侵攻して以来、ガイナス軍は勝ち戦を続けている。

 もっとも、これは敵が小勢にすぎなかったからなのだが、それでも連勝というものは将兵たちに自然と勢いのようなものをもたさせるのだ。

 さらには、彼らはクーファーの火炎法力と、ランサール雷槍団のすさまじい法力を目のあたりにしている。


「どう考えって、俺たちの勝ちだよな」


 乾いた谷を南進するグラワリア兵の声は、明るいものだった。


「ああ……あのクーファーって神の僧侶ども、ものすごい炎を生み出すことができるし、ランサールの稲妻乙女たちもすごい。それになにより……」


 兵卒の一人が、にやりと笑った。


「俺たちを率いている御大将は、あのガイナス陛下なんだ。この戦、負けるわけがない」


 ガイナスにむけられている兵たちの信頼は、ほとんど絶対的なものと言って良かった。

 アルヴェイア軍の兵卒はレクセリアのすごさをなんとか信じ込もうとしているのに対し、ガイナス軍はもはやこの王のもとで戦っていれば勝つのは当たり前、と確信しているのだ。

 とはいえ、軍律が乱れるわけでもなく、兵たちは狭い谷間を南にむかって進撃していった。


「ふん……意外と、静かなものだな」


 グラワリアの北、リュワンザの高原で産する黒鹿毛の馬の上で、火炎王ガイナスはいぶかしげに言った。


「わざわざこうして谷にこちらを誘い込んだのだ。なにか罠でも仕掛けているかと思えば……」


 今回はレクセリアが防御的な戦いを行う側にまわっている。

 そもそもガイナスは守るというよりは攻めるほうが遙かに得意な将なので、あえてこうして敵の意図にのってやったわけだが、敵がなにも小細工をしてこないというのは不審に感じられた。

 ガイナス軍は、左右に騎士を配し、中央に歩兵を押し立てるという陣形である。

 なにより彼らが頼りにするクーファーの僧侶たちとランサール雷槍団も、前衛にまわっていた。

 クーファーの僧侶が大規模な炎を起こすためには、儀式が必要なために多少の時間がかかる。

 その間、分厚い歩兵の陣が僧侶たちを敵襲から守るのだ。

 一度、火炎が生じればクーファーの炎は圧倒的な火力で敵の前面を焼き尽くす。

 それで敵の陣形が崩れ、火がおさまった頃合いを見計らって騎士たちを左右両翼から突撃させ、敵を完全に撃破する。

 さらには背後に控えた歩兵たちを前進させ、敵を完膚無きまでにたたきつぶす。

 それがガイナスが今度の戦でたてた、策だった。

 いかにもガイナスらしい、力押しといえば力押しだが、そのぶん、下手な小細工をしていないので打ち破ることが難しい手堅い用兵といえる。

 過大な力をもった者は慢心し、つい細かいところがおろそかになるものだが、ガイナスは全軍の隅々まで目を行き届かせていた。

 今度の戦は、レクセリア軍に勝利してもそれで終わりというものではなかったのだ。


(ぐずぐずしていると、スィーラヴァスがなにをするかわからんからな)


 スィーラヴァス軍一万三千は、現在、ヴォルテミス渓谷の西二イレム(約三キロ)の地点で、アルヴェイア側のゼルファナス軍と対峙している。

 むろん、スィーラヴァス軍は友軍ということになっているが、当然のことながらガイナスはこの異母弟のことをまったく信用していなかった。

 そんなことはありえないとは思うが、万一、レクセリア軍にこちらが圧倒されるようなことになれば後背の谷からスィーラヴァス軍は侵入し、こちらの背後をついてくるかもしれないのだ。

 そう考えれば、とても慢心などできる状況ではない。

 あえて敵の策にのってやることで、ガイナスは剣の刃の上をわたっているような興奮を味わっていた。


(これだから……戦はたまらんというのだ)


 実のところ、ガイナスにとって戦とはどうしても必要だから行う行為というより、「やりたいからやっている」という側面がないこともない。

 そのあたりを、直接、かつてガイナスと戦ったことのあるネルトゥスなどは武人の直観で看破していたのだ。

 破壊することが楽しい。

 殺すのが楽しい。

 戦争することが楽しい。

 いたずらに戦を好むのは、名君ではない。

 それは間違いなく暗君である。

 だが、ガイナスという男の異常さは、それはそれでかまわないと割り切っている点だった。


(かつてガイナスという暗愚な王がいた。その男は腹違いとはいえ実の弟と相争い、国を傾け、戦することにしか興味のない人間のくずだった……それは、それでいいではないのか)


 馬にゆられながらしだいにレクセリア軍との距離が狭まってくるのを見るにつれて、ガイナスはそんなことを考えていた。


(後の世でどのように語られようが、俺の知ったことではない……俺は、俺のやりたいようにやるだけだ)


 火炎王は獰猛な笑みを浮かべると、前方に見えてきたレクセリア軍を観察した。

 どうやら物見の報告通り、敵軍は歩兵でこちらの騎士を迎え撃とうという腹づもりらしい。

 あるいはレクセリアはクーファーの火炎法力の力をすでに知り、警戒しているのかもしれない。

 炎は馬を刺激するため、前衛に騎士をおけば非常に面倒なことになるのだ。

 もしそのあたりまで考えているとすれば、まだ十五の少女とは思えぬほど、なかなか非凡なところのある敵将といえる。

 そのときだった。

 ふと、ガイナスの周囲で黒っぽい、薄い煙のようなものが巻きあがった。


「……?」


 どうやら、谷の底の黒い土が乾燥して埃となってあたりに舞い上がっているらしい。

 歩兵たちが歩き、また馬の蹄が大地をたたいたせいで、黒い砂のような粒子が宙へと浮き上がっているのだ。

 もし、この瞬間に、この黒い粒子の正体にガイナスが気づいていたら、このあとの歴史はまるで変わっていたかもしれない。

 だが、ガイナスは特に黒い砂など気にもかけずに、軍勢を前進させた。

 やがて両軍は、それぞれ六百エフテ(約百八十メートル)ほどの距離を挟んで、互いに向き合った。

 北には赤い鎧や武具で身を包んだガイナス軍一万七千。

 対する南には青い武装で統一されたレクセリア軍一万五千。


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